イスラエル流過ぎ越しの過ごし方 2013.3.28

国境を守る治安部隊や、政府関係者がトルコとの交渉や予算案で頭を抱える中、市民たちは、25日から始まった過ぎ越しの休暇を楽しんでいる。

イスラエル流過ぎ越しの過ごし方は家族とともにいること。穏やかな気候の中、各地でバーベキューを楽しんだり、子供向けのイベントが行われたりして家族が一緒に過ごしている。

シリア国境の危険性が懸念されるゴラン高原については、イスラエル軍が「今すぐの危険はないだろう」との見通しを出したため、これまでにすでに10万人がゴラン高原を含む全国の国立公園でのハイキングを楽しんでいる。

今年は、過ぎ越し期間限定ということで、西岸地区・サマリヤ地方の遺跡(アハブ王の宮殿跡など)を訪れることも可能になっている。

シナイ半島でベドウィンに誘拐されていたアラブ系イスラエル人男性も、エジプトの仲介で無事帰宅することができた。
<話題>
イスラエルのスター誕生のようなテレビ番組で、アッコ在住のアラブ人クリスチャンが歌姫の座に輝いた。

今日から過ぎ越し 2013.3.25

エルサレムはなんとも忙しい。新政府ができたと思ったら、オバマ大統領がやってきて大騒ぎ。オバマ大統領が帰ったと思ったら、クリスチャン(主にはローマ・カトリック)の群衆がやってきて、昨日はオリーブ山で、パームサンデーのマーチをやっていた。

日差しが強く、多くの人がサングラスをかけているので、カトリックの司祭たちもほぼマフィア状態。群衆の間をパレスチナ人の子供たちが水を売っていた。

そして今日は過ぎ越しの祭り。ユダヤ人たちは出エジプトの出来事を覚える。エルサレムには大勢のユダヤ人が世界中から集まって、今夜は過ぎ越しの夕食(セダー)の時となる。昨日ショッピングセンターにいくと、過ぎ越しの最終の買い物に来ている客でごったがえしていた。

最後の晩餐は、過ぎ越しのセダーだったので、毎年、過ぎ越しとキリストのパッションウイークが同じ頃に重なるのである。

今週は、ユダヤ人は嘆きの壁へ。カトリックたちは聖墳墓教会で、28日、足洗の儀式、夜はゲッセマネで祈り、29日には十字架を担いでビアドロローサを行進。31日はイースター、4月2日は、ユダヤ人の過ぎ越し最終日と、エルサレムは実に忙しい1週間となる。

<第三神殿建設に向けて>

ここ数年エルサレムに「第三神殿」と建てる準備をしている一派が、エルサレムで、過ぎ越しには子羊を本当に聖書的に屠っているという。

今年は、とさつ業界がこれに反対し、裁判沙汰になったが結局、子羊は屠ったとのこと。この一派は今週27日、神殿センターを開き、第三神殿建設に向けた意識付けをすすめるという。

<治安のために>

過ぎ越し中は毎年、テロが発生しやすいので、西岸地区からの出入りを制限するなど、治安部隊はオバマ大統領以来、大忙しといえる。昨日、ペレス大統領、ネタニヤフ首相は、治安部隊に謝辞を述べ、今日はペレス大統領が、治安部隊とともに過ぎ越しの乾杯をするという。

また、毎年、このゴールデンウイークを利用して、海外旅行に出かける人が多くなる。現在、警告に反してシナイ半島に旅行に行ったアラブ系イスラエル人とそのガールフレンドがベドウィンに誘拐された。各国でのイスラエル人誘拐やテロが起こらないようにとりなしが必要となっている。

トルコへの謝罪の目的はシリア 2013.3.24

中東では謝罪はリスクになりうる。ネタニヤフ首相は23日、そのリスクを負ってでもトルコに謝罪したのは、深刻化するシリア問題に対処することが最大の目的であることを明らかにした。

ネタニヤフ首相によると、シリアでは、イスラエルとの国境を反政府勢力が制圧しつつあり、膨大な武器が、イスラム過激派聖戦主義組織にわたりはじめているという。これを食い止めるためにはトルコとの軍事協力は欠かせない。

トルコとの外交関係が途絶えている現在、イスラエル軍はトルコ上空を通過することができていない。軍事協力関係が回復すれば、トルコ上空からシリアやイランへのアクセスを得ることになる。

<24日朝、シリアからイスラエル軍への砲撃>

ネタニヤフ首相の懸念を裏付けるかのように24日朝、ゴラン高原南部の国境をパトロールするイスラエル軍のジープが、シリア側からの砲撃を受けた。物的被害はあったが、負傷者はなし。これを受けてイスラエル軍は、シリアの軍事施設に向けて反撃を加えた。

シリアからの砲弾がイスラエル軍をねらったものか、流れ弾なのかは不明。

<謝罪のリスク:トルコとハマスの勝利宣言?>

イスラエルは謝罪とともに、トルコ人犠牲者の家族に補償金を支払う。さらに、イスラエルはトルコの要求に応じ、ガザ沖の海上封鎖を解くという部分にも合意しているという。

ネタニヤフ首相の謝罪を受けて、ガザのハマスはトルコのエルドアン首相に、勝利の祝辞を伝えた。エルドアン首相も近々ガザならびに西岸地区を訪問する意向を発表した。トルコのエルドアン首相は「これでトルコが昔のように地域でも発言権を持つようになる」と大きくかまえている。

なお、トルコ側の譲歩は、マルマラ事件に関わったイスラエル兵(アシュケナジ当時参謀総長を含む)の国際法廷への提訴を却下するというもの。

それぞれの約束が果たされるのを確認し、両国は段階を経て、大使を派遣しあい、外交関係を回復することになる。

中東で動くアメリカ:オバマ大統領の後を引き継ぐケリー米国務長官 2013.3.24

オバマ大統領は、22日イスラエルからヨルダンへ移動し、アブダラ国王との会談。オバマ大統領は、すでに45万人のシリア難民を抱え、さらに国境を開放したままにして難民を受け入れているヨルダンに対し、2億ドル(約19億円)の支援を行うと約束した。

オバマ大統領は翌23日、ペトラを観光した後、アメリカへ帰国した。オバマ大統領就任直後の中東歴訪の最大の成果はイスラエルとトルコの和解だったが、今後、現実がどう動くかどうかはこれからが勝負である。

<中東に残って動くケリー米国務長官>

オバマ大統領の中東歴訪全行程に、目立たず付き添っていたのがケリー国務長官だった。ケリー国務長官は、オバマ氏が花火をあげて去って後、中東に残って、実際のビジネスにとりかかっている。

1,直接交渉再開にむけて

まだ公式発表ではないが、アメリカは、近々ヨルダンのアンマンで、イスラエル、パレスチナに、ヨルダンとアメリカが加わる4カ国で中東和平会談を開催する方向で動いているという情報がある。

ケリー国務長官は23日、アッバス議長と会談。アッバス議長は、イスラエルが西岸地区での建設を停止することを直接交渉の前条件を変えなかった。(2010年、ネタニヤフ首相が建設を10ヶ月停止したが、直接交渉は実現しなかったのだが・・。)

ケリー氏はその後、ネタニヤフ首相と会談。刑務所にいるパレスチナ人テロリストを解放し、入植地の建設をひそかに停止するよう伝えたという。この会談には、パレスチナとの交渉担当のツィッピー・リブニ氏も加わっていた。

2.シリア問題解決にむけて

BBCによると、ケリー国務長官は、24日、ひそかにイラクを訪問しているもよう。イラクに対し、イラク上空をイランの航空機が通過してシリアに物資を運ばせないように要請した。イランは人道支援物資だと言うが、実際は兵器だとみられる。

イスラエルとトルコが和解へ 2013.3.23

オバマ大統領が3日目の行程を終えて、ヨルダンへ旅立つ直前、ホワイトハウスが、ネタニヤフ首相がトルコのエルドアン首相に電話し、2010年のマビ・マルマラ事件(トルコ人9人死亡)についてイスラエル軍にいくつかのミスがあったとして謝罪。両首脳が和解にむけて動き出したと発表した。

ネタニヤフ首相は、謝罪と共に、犠牲者9人の家族に補償金を支払うことも申し出た。トルコはこれを受け入れ、両首脳は、この事件以前までのイスラエルとトルコの友好関係を回復させることで合意したという。

<イスラエルとトルコの関係が改善するとどうなるか>

ホワイトハウスから速報で流されたこのニュースはたちまち世界のトップニュースとなった。トルコとイスラエルの関係改善は、周辺諸国に広がりつつあるシリア問題を解決する大きな布石になりうる。

また非イスラム主義国家であり民主国家である両国が友好関係を回復することで、中東で広がりつつあるイスラム主義勢力に釘をさすことにもなりうる。

ネタニヤフ首相はエルドアン首相への電話で、「オバマ大統領から、地域の協力関係について、その中でトルコとイスラエルの関係改善が非常に重要であると聞いた。」と伝えた。この関係改善は、オバマ大統領のイスラエル訪問における大きな成果の一つとして評価されている。

*マビ・マルマラ事件

2010年5月、イスラエルのガザ沖海上封鎖に抗議するため、トルコを出立、地中海を横断してガザへ向かった人道支援物資を乗せた船・マビ・マルマラ号を、イスラエル海軍が停止するよう要請。

要請を無視して前進してきたため、イスラエル軍兵士が船にのりこんで乱闘となり、結果的にトルコ人活動家9人が死亡した。

船に乗り込んだイスラエル兵は大人数でなぐられて負傷しているため、反撃は正当防衛だったと主張。これまで9人の死亡に遺憾の意を表しながらも、謝罪は拒否してきた。

この事件発生時、外務相だったリーバーマン氏は、今回のネタニヤフ首相の謝罪は間違いだと非難している。

<クルド人との和解も進む?トルコ>

トルコでは22日、30年来となる独立を求めるクルド人との紛争にも終止符になる可能性が出てきている。

クルド人指導者で、1999年からトルコの刑務所にいるアブドラ・オカランが、クルド人戦士たちにトルコと和解し、数千人にのぼる兵力をトルコから撤退させるよう指示したのである。

クルド人は、トルコ、イラン、イラク、シリア、レバノンなどをまたいで存在する民族。独立を求めて紛争になることが多く、特にクルド人勢力からなるPKKは、アメリカ、EUからテロ組織に指定されている。

これまでにクルド人は、何度も停戦、破棄を繰り返してきたため、トルコは、クルド人武装勢力、特にPKKがどうでるのかを見守っているもよう。

なお、上記マルマラ事件でも、実際に船に乗船していて犠牲になったのは、平和活動家ではなくPKKメンバーだったとの分析もある。イスラエル、トルコ、クルド人勢力、ここにアメリカが介入してなんらかの動きをしているのかもしれない。

オバマ大統領3日目・イスラエルへの敬意を表明 2013.3.23

オバマ大統領は22日、イスラエルでの最終行程を終えた。ヘルツェルの丘では、イスラエル建国の父、ヘルツェルの墓に献花、続いて和平を望みながら暗殺されたイツハク・ラビン首相の墓にも出向いた。

ラビン首相の墓では、ラビン首相の妻、息子、孫たちも加わって、ともに石を置いた。(ユダヤ教では墓参すると石を置く習慣がある)ホワイトハウスによると、オバマ大統領の置いた石は、マルチン・ルーサー・キング・メモリアルから持参した石だったという。

その後ホロコースト記念館ヤド・バシェムを訪れ、ネタニヤフ首相、ペレス大統領、チーフラビとともに見学。「ユダヤ人迫害は二度とおこらない。しかし平和のためには、積極的な行動が必要だ。」と語った。

<砂嵐の最後>

オバマ大統領は、この後、ベツレヘムの生誕教会を訪問したが、午後になって砂嵐がひどくなっため、ヘリコプターから車での移動に変更。大幅な時間の遅れが発生した。

このため、ベツレヘムから空港までも車で直行。お見送り式典は中止。ネタニヤフ首相やペレス大統領に軽く挨拶しただけで、さっさとエアフォースワンに乗ってヨルダンへと出立していった。

<アラブ・メディアの反応>

今回のオバマ大統領のイスラエル訪問と、エルサレムでのスピーチに注目していたアラブ・メディアは、「オバマ大統領は、パレスチナの国を支持していると言いながら、アンバランスにイスラエルにへつらった」とオバマ大統領の親イスラエル姿勢を”認め”て非難する報道を行った。

これは、ある意味オバマ大統領のイスラエル訪問の目的達成を現している。

オバマ大統領のベツレヘム訪問

オバマ大統領のベツレヘム訪問は、まるで天候がパレスチナ人の「歓迎しない」を現したようだった。大統領は、予定より1時間半も遅れてベツレヘムに到着。報道陣も砂嵐の中2時間はたちっぱなしだった。

ベツレヘムでは、オバマ大統領が来る前に、パレスチナ人たちが”歓迎しない”を表明するため、オバマ大統領のポスターを引き破り、踏みつけ燃やすという行為に出ていた。

そのためか、警備はかなりのもので、マーケットはほとんどすべてが閉鎖。周辺ビルの屋上には何人もの射撃手が見え、報道、見学者らも、大統領が来る直前には教会からさらに離れる位置まで押しやられた。

見物に来ていたパレスチナ人はすべて男性で、数は少なく、ほとんどの人は家にいたとみられる。子供たちやティーンの少年たちが多かった。笑顔で迎えたイスラエル人に比べ、男性たちはにらみつけるように生誕教会を見ていた。

1時間半遅れてやってきた大統領一行。結局、大統領は大勢の護衛に囲まれていてためか、別の所から入ったのか、車から降りるのも教会の中に入るのも見えなかった。(写真)

<街角インタビュー>

ある男性は「オバマ大統領はイスラエルの支援に来ただけだ。パレスチナのことなどどうでもいいのだ。私は来たくなかったが、この子(7才くらいの少年)が大統領を見たいと言い続けるので連れてきた。」と言った。ところが1時間半待てずに、親子はいつの間にか消えていた。

おみやげ屋さんの男性に、オバマ大統領について聞くと、先の男性と同じ表情で、「オバマ大統領には何も期待していない。関心は、イスラエルと、シリアやイランだ。パレスチナには全く関心がない。」とつらそうな顔で言った。

また「こんな大人物が来たら必ず、パレスチナでは何か恐ろしいことが起こる。これまでの経験からすると必ずそうなる。だからみていなさい。」と言った。

<石のひとりごと>

オバマ大統領がイスラエルの友達であるとアピールすればするほど、今度はパレスチナ人が孤立することを実感した。

パレスチナ人は全員がテロリストではない。普通の一般市民が大半だ。彼らにしてみれば、何もしていないのに、アメリカからの支援はカットされ、イスラエル軍はいつまでも家の周囲にいる。

勝手に来て挨拶もせずに去っていくオバマ大統領に、世界から見捨てられた感を感じるのも無理はない。それでも何もいわず、黙々と生きていかなければならない。

暴力に訴えるしかない一部のパレスチナ人の怒り反骨精神の中に、親に認められず、反抗を繰り返す若者の姿をみるようで、なにやら悲しいものを感じた。

おみやげ屋さんの男性が言ったように、この後、大きな暴力に発展しないよう、とりなしが必要である。

イスラエルの友達?オバマ大統領 2013.3.22

21日、オバマ大統領はとても長い一日を過ごした。

1.イスラエル博物館

朝はイスラエル博物館で、ネタニヤフ首相と共に死海写本を見学し、その後、イスラエルから発信され、世界に貢献している技術(たとえば車いすの人を歩けるようにする義足など)の数々を見学した。

ロボットコンテストで優勝した作品のところでは、開発した少年たちがロボットを操作して、オバマ大統領に過ぎ越しのマッツァをプレゼントするなど、展示物それぞれの開発者との対話の方を楽しんでいるようだった。

ペレス大統領も一部参加したが、去るときにオバマ大統領に「ラマラであんまりやりすぎないようにね!」と言って周囲の笑いをとっていた。

2.パレスチナ自治政府・ラマラ訪問

エルサレムからラマラまでは車で行けば30分ほど。しかし、安全のため、移動は専用ヘリコプターとなった。ラマラでも赤じゅうたんでアッバス議長、ファイヤド首相などがオバマ大統領を迎えた。

オバマ大統領はラマラで、パレスチナ人も国を持つべきだとの2国家2民族の解決を支持していることを強調。

その上で、「イスラエルの西岸地区の入植地で建築は和平にはつながらないが、だからといって何もしないという言い訳にはならない。国のために、パレスチナ人も痛みを伴う妥協する覚悟をもって、前条件を出さず、イスラエルと話し合うべきだ。」と述べた。

<ガザからのロケット弾>

この朝、久しぶりにスデロットなど南部にむけて5発のロケット弾がガザから発射された。1発は民家の庭に着弾し、物的被害を残したが負傷者はなし。2発はガザ内部に着弾。

これはハマスが、オバマ大統領来訪に会わせ、その存在を強調したものと分析されている。

3.エルサレム・スピーチ「イスラエルはユダヤ人の国。あなた方は孤独ではない!アメリカがついている」

夕方17時より、エルサレムでは、国際コンベンションセンターで、全国から選ばれた大学生ら600人を招いてのスピーチが行われた。実際には会場はいっぱいになっていたので、メディア関係者など学生以外の者も大勢いたと思われる。

ケリー国務長官も会場現れたが、このイベントは、イスラエルの若者との対話というホワイトハウスの主催なので、イスラエル政府関係者は全く来ていなかった。イスラエル政府プレスオフィスのディレクターも私たちと一緒に並んで受付をしていた。

スピーチの前に、イスラエル国家、アメリカ国家が全員起立で歌われた。その後、オバマ大統領が、大拍手の中でステージに現れた。スピーチは約50分だった。

オバマ大統領は前半で、イスラエルの聖書との歴史的なつながり、迫害をへて国家を建国したこと、戦って自由を獲得した、開拓してきたいう点では共通の歴史を持っていると言えると言い、何度も拍手喝采をあびた。

オバマ大統領のスピーチの3ポイントは、①治安、②平和、③繁栄。

①治安

治安という点では、スデロットのロケット弾の被害者に会ったことを持ち出し、イスラエルはこうしたハマスやホズボラからの攻撃を受け入れられないと述べ、イスラエルが自衛する権利を持っていることを強調した。

イランがイスラエルを壊滅させるといいながら核開発を行っているいう点について。「イスラエルはここからなくならない。」さらにヘブル語で、「あなた方は孤独ではない!」と語り、スタンディングオベーションの拍手喝采となった。

②平和

オバマ大統領は「友達だから真実を言うべきだと思う。友達だからあなた方の将来を思い言っていることだと思ってほしい。」と述べ、以下のように語った。

平和は必要であること。イスラエルは聖書的にユダヤ人の国であるべきだということ(大拍手喝采)その平和のためには迎撃ミサイルは十分でない。パレスチナ人との平和が必要だ。

ここに来る前に、15-25才のパレスチナ人の若者にあってきた。彼らも皆さんと同じ人生の願いを持っている。

彼らの立場に立って考えてほしい。外国の軍隊に囲まれ、出入りを妨害されることはフェアではない。皆さんにはどんな民主市議を将来、築きたいのかを考えてほしい。彼らにも国が必要だ。占領は解決ではない。和平は必要不可欠だ。

イスラエルの破壊を願う者との交渉ができないことはよくわかる。アッバス議長、ファイヤド首相は対話できる相手だと信じる。

いつも対話を妨害する過激派がいる。しかし、交渉は可能だ。2つの国に2つ人々。そこに至るまでにはいろいろな道があるだろう。難しい選択をしなければならない。イスラエルはユダヤ人の国、パレスチナはパレスチナ人の国。どのようにこの信頼を築き上げるかだ。将来を担うあなた方にはどんな民主主義を持つのかを考えてほしい。

③繁栄

イスラエルは、スタートアップネイション(開発先端の国)。あなた方がイスラエルの次のページを作る。世界のために働いてほしいと期待を述べた。

<若者の反応>

スピーチ後、数人の学生に反応を聞いた。どの学生も「希望を与えられた。」と言っていた。また「オバマ大統領に安心した」とも言っており、「占領」という厳しい言葉も出たものの、イスラエルの言いたいことをすべて網羅し、理解を示したので、学生たちの心をとらえたようである。

ハイファ大学から来たアラブ人男子学生1人が、スピーチ前半の親イスラエルの部分で、「イスラエルに武器を与えにきたのか!」とやじをとばして途中で出ていく場面があった。後で他のアラブ人学生にコメントを求めたが、「コメントはない。」と無表情な感じだった。

コンベンションセンターの外では、高齢の男性が1人「オバマを信用するな」との看板を掲げて立っているだけで、反対デモは行われていなかった。テレビのニュースを見ても、大統領のスピーチは肯定的に受け入れられていた。

4.国家晩餐会

このあとオバマ大統領はアメリカ領事館(我が家のすぐ近く)を訪れた後、8時ごろからの国家晩餐会のため、ペレス大統領宅へ移動した。

晩餐会では、新政府閣僚、チーフラビ他、今年ミス・イスラエルに輝いたエチオピア系女性のチチさんも招かれた。ペレス大統領は、オバマ大統領がイスラエルに深い友情を示したことに感謝し、記念のメダルをプレゼントした。

<アメージンググレイスが大統領官邸謁見広間で!>

晩餐会の終盤には、歌が披露されたが、オバマ大統領に敬意をはらってか賛美歌アメージング・グレースがフルで最後まで歌われた。歌手が男性で女性の声をもつ人(クリスチャンかどうかは不明)だったので、ちょっと異様だったが、イエスをたたえる歌がイスラエルの大統領官邸で、しかもフルで歌われたことは特記すべきことかもしれない。

22日、今日は、戦没者への献花、ホロコースト博物館、最後にベツレヘムを訪問、空港でのお見送り式典で、3日間の訪問は終了となる。ヨルダン訪問がどうなったかはわかりしだいお知らせする。

オバマ大統領が来た!2013.3.21

オバマ大統領が20日正午過ぎ、予定通り、大統領専用機エアフォースワンで、イスラエルのベン・グリオン空港に到着。

ペレス大統領、ネタニヤフ首相、また新しく発足したばかりの閣僚たちもそろってオバマ大統領を迎えた。(写真:談笑するオバマ大統領とネタニヤフ首相)*なお昨夜夕方、ケリー米国務長官もイスラエル入りしている。

オバマ大統領は、歓迎式典の後、空港内に移動されたイスラエルの迎撃ミサイル(短、中、長距離)を見学。その後、アメリカから持ってきた専用ヘリコプターでエルサレムまで移動していった。

今回のオバマ大統領訪問の大きな目的は、イスラエルとの変わりない同盟関係を確認するというものだったが、これからの48時間、オバマ大統領とネタニヤフ首相はほどんとの時間を共に過ごすことになる。

到着以来、両首脳ともスピーチののところどころに互いに対する軽い冗談や笑いが入り、仲のよさをアピールしている。

<1日目のスケジュールとエルサレムの町の様子>

1日目の予定は、①空港での歓迎式典 ②ペレス大統領官邸にて子供たちの歓迎、③ネタニヤフ首相とのMTと共同記者会見、④ネタニヤフ首相官邸での夕食。

空港からエルサレムまでの1号線には、数百メートルおきに警官が立っていた。オバマ大統領宿泊のキング・デービッド・ホテル周辺は警官と治安要員がうようよし、フェンスで立ち入り禁止だけでなく、入り口も完全に覆って、要塞のようになっている。

キング・デービッド・ホテルと大統領官邸、首相官邸は車で5分以内の近距離にある。この3カ所を移動するために通る通りは、基本的に閉鎖だが、多数のバスが走る主要道路は、大統領通過後は解放されている。

なお、移動に使う特別車は、普通のリムジンのようだが、外壁は戦車なみのコーティングで防御されている。化学兵器、生物兵器にも対処している。このリムジンが常に2台走るようになっており、どちらに大統領が乗っているのかはわからないしくみ。

エルサレム市民はオバマ大統領が来て迷惑しているといいながらも、顔は笑っており、歓迎しているように見える。写真は、封鎖されたインターセクションと、通過するオバマ車を見ようと集まった人々。

<一日目、両首脳共同記者会見>

1.イラン問題について

オバマ大統領は、イスラエル訪問直前に、イスラエルのテレビのインタビューに答えて「イランが核兵器へすすむまでにはまだ1年はある」との見解を語っており、ネタニヤフ首相との見解の違いが注目されていた。

これについて、ネタニヤフ首相は、「イランが実際に核を兵器にするまでには1年かかるというオバマ大統領の見解に間違いはない。しかし、そこに至るまでにはウランの濃縮というプロセスがある。アメリカとイスラエルは情報を共有し、連絡を密にとりあっている。」と両国の間に溝はないと強調した。

ネタニヤフ首相は、オバマ大統領が、就任後最初にイスラエルを訪れたこと、またイスラエルの自己防衛の権利を認め、これまでのどの政権よりもイスラエルの防衛を支援してくれた。

また今回、この先10年の軍事支援計画についての話も出ていることは、明らかに両国の関係が”切れない同盟関係”にあることを現しているとして、心からの感謝を述べた。

2.シリア問題

オバマ大統領来訪の直前の18日、シリア政府が、アレッポ近郊で、反政府勢力が実際に使ったため、20人が死亡したと発表。翌日、反政府勢力は、化学兵器を搭載したロケット弾を、間違って親政府の村に撃ち込んだのは政府軍の方だと反論した。

この件について、イスラエルは今回、実際に化学兵器が使われたとの見解を明らかにしている。

赤線を越えたと見られるこの件について、オバマ大統領は、今は調査中であると言いながら、だれが使ったかについては、オバマ大統領は、シリア政府の方を疑っているとの見方をあきらかにした。

その理由として、シリア政府は以前より、「自らの立場が危機に陥らない限りは使わない(つまりは、危機になれば使うかもと言う意味)」と言っており、それを使う能力もあるからだと語った。

今後、シリアへどう対処するかについて、軍事的に介入するかどうかは、国際社会の問題であり、アメリカだけの問題ではなく、国際社会との協力の中で行うべきことでるとの方針を語った。

3.パレスチナ問題について

両首脳は、「2国家2民族」の解決で合意している。ネタニヤフ首相は、「前条件なしで対話を再開する用意がある」と改めて強調。オバマ大統領は、今回の訪問で何か大きな前進を達成することが目的ではなく、イスラエル、パレスチナ双方の話を聞いてもっとよく理解することだと語った。

<パレスチナ人の反応>

オバマ大統領のイスラエル訪問について、パレスチナ人の多くの反応は「どっちでもいい。関心がない。」である。

若いアラブ人の女性たちに聞くと、「大統領が来るなら来る権利はある。来てもいいんじゃない?」「オバマ大統領はアラブがきらいだから私も好きでない。オバマ大統領はアラブ人のためになにもしてくれない。」と語った。

一部のパレスチナ人たちは、エルサレム郊外のE1地区に500ほどのテント村を設立し、オバマ大統領にイスラエルの入植地拡大反対を訴えるデモ(平和的)を行っている。

オバマ大統領は明日、西岸地区ラマラで、パレスチナ自治政府のアッバス議長を訪問する。また金曜には西岸地区のベツレヘムの生誕教会を訪問する予定。

<歓迎式典取材・いろいろ>

空港では、正午過ぎにはじまる歓迎式典のために、中継車は朝5時半から空港入り。一般の記者も、前もって申し込んだ人のみで、6時から9時半までには空港入りして、セキュリティのチェックを受ける。皆がカメラや多数の機材を持っているため、チェックに時間がかかる。余裕で45分は立ったままでの待機。

GPOの担当者によると、オバマ大統領のイスラエル入りに会わせて、ホワイトハウス経由で来たジャーナリスト30人中、10人が日本人とのこと。TBSや日本放送、フジテレビなどが取材している。

<明日の予定>

①イスラエル博物館で死海写本見学。イスラエルの科学技術特別展示を見学。②ラマラでアッバス議長と面会 ③イスラエル人大学生へのスピーチ ④国家晩餐会

チーム完成!第33内閣発足 2013.3.18

3月18日、第33内閣、ネタニヤフ政権が国会で紹介され、賛成68反対48で承認された。(外相については、現職リーバーマン氏が復帰予定で、裁判の結果待ちそれまではネタニヤフ首相が外相を兼務する)

国会で閣僚が発表されると、連立にはずれたユダヤ教政党議員らがやじをとばし、一時退席したが、まもなく戻ってきて、内閣発足の国会は1時間ほどで終了となった。

その後首相府で行われた初の閣議が行われた。この中で、特にイスラエルの防衛など重大な方針を決めるコアメンバー、ヤアロン国防相をはじめとする7人の閣僚からなる委員会が発足。治安諜報活動を行うシン・ベトを監督する委員会も発足させた。

ネタニヤフ首相は、3期目となる組閣を任せてくれた国民と、連立に協力した閣僚らに感謝を述べ、「今期の政権をとりかこむ情勢は、これまでの3期の中で最も厳しい。これからの協力体制を期待する」と語った。また、ユダヤ人には過ぎ越しの挨拶、クリスチャンにはイースターの挨拶を述べた。

この後、大統領官邸を訪れて、乾杯と、恒例のグループ写真となった(添付)。

<国会、大統領官邸での取材で感じたこと>

国会、大統領官邸で、間近に見るネタニヤフ首相の表情に、この6ヶ月の連立交渉によるプレッシャーで疲れ切っているという気配はまるでなく、実におちついていて、国の指導者という風格を感じた。同時に、首相の孤独を間近で感じることもできた。

今回、意見が全く違う者たちが集まった新しいネタニヤフ首相の内閣チーム。(写真は入植地、パレスチナ問題で意見を異にするリブニ氏とベネット氏)。

今回全く初政界入りのヤイル・ラピード財務相(未来がある党)、ベネット通産相(ユダヤの家党)は二人ともまだ40-50代前後。小柄で若く、政治家としてはまさに”新入り”のイメージだった。それぞれまだジャーナリスト、ビジネスマン(かなりのお金持ち)という雰囲気だった。個人的な印象だが、ラピード氏が少々疲れているような気がした。

これとは対照的なのがヤアロン国防相。国防軍参謀総長も務めた重鎮の風格である。実に雑多な感じの内閣だった。

国会からの帰り、バスの車窓から延々と続くアパート群が見えた。バス停では大きな買い物袋をたくさんかかえて、疲れた表情でバスを待つ人々がいた。バスの運転手はあくびしながら運転している。「なんで泣いてんのよ!」と車中で大きな声で子供と?電話で話している婦人がいた。

それぞれ政治には感心なく日々の暮らしに追われ、それぞれの人生をおくっている。新内閣がこれらの人々の生活を守るのかと思うと、やはりまた聖書の時代の民と王とその家来たちを思わされた。

この新内閣チームを主が特別に守り、導き、イスラエルの国と民を祝福してくださるようにと祈った。

追伸:先週ふいていた暑いかぜは終了し、町は再び冬のコートに逆戻りしています。

急に来た!夏? 2013.3.16

今週、イスラエルにはハムシーン(砂漠からの熱風)がふいた。エルサレムでも気温が28度まで上がって、冬のコートから、いきなりタンクトップの女性もちらほらみかけるほどの熱気である。気候がいいためか、町はいつもより混み合っている。

観光もピークシーズンを迎え、オリーブ山も旧市街も万国民でごったがえしている。エルサレムはおおむね、平和にやっているというところ。

<テルアビブ・マラソン、熱中症で1人死亡>

この熱風の中15日、テルアビブ・マラソンが行われた。テルアビブは地中海に面しており、エルサレムよりも湿気も気温も高い。最高気温は36度にまで上がった。そのため熱中症や脱水で病院に搬送される人続出し、入院した人は20人以上。

うち、ランナーとして参加していたイスラエル軍・軍曹マイケル・ミハエルビッチさん(36)が、熱中症で死亡した。マイケルさんの妻と1ヶ月になる息子が突然に遺族となってしまった。

イスラエルの厚生相は、熱風のため、マラソンの延期を忠告していたが、テルアビブ市は、フルマラソンのみを中止とし、中短距離でマラソン大会は決行することを決めたという。

連立合意、15日にようやく署名 2013.3.16

前回、連立交渉成立とお知らせしたが、その後、いざ合意書に署名という段になり、今度はネタニヤフ首相がまったをかけた。

ベネット氏、ラピード氏を副首相にするという約束を退け、今政権では副首相はなしにすると言ったのである。これを受けて、3者は14日のうちに署名することができなかった。

一時は再び合意が白紙にもどるかとも言われたが、ベネット氏、ラピード氏が、ネタニヤフ首相の要望を受け入れて、副首相はなしということで合意。15日、無事合意書署名へと到達した。

6週間にもおよぶ連立交渉となったが、ネタニヤフ首相は、「困難はこれからだ。」と語った。

ユダヤ教超政党派ラビは、「トーラーに反する政府」「悪の政府」と批判している。