テロ被害少年死亡・戦闘意欲むき出しのハマス 2014.11.8

イスラエルでは、水曜の自動車テロで重傷となり病院で手当を受けていたバアダニさん(17)が、金曜朝、死亡した。これで今回のテロ被害者数は2人となった。  

バアダニさんは、ユダヤ教イシバに通う正統派ユダヤ教徒で、嘆きの壁での祈りを終えて帰宅するところでテロの被害に遭っていた。しかも、ユダヤ教政党シャス党高官の孫。
 
今後、ユダヤ教過激右派が、報復に出る可能性が高まってきたことを受けて、エルサレムのイツハク・ヨセフ・チーフラビは、金曜午後に行われたバアダニさんの葬儀において、「ユダヤ人は今、神殿の丘へ入らないように」との声明を出した。

しかし、右派ユダヤ教徒たちは、上記チーフラビの声明に従わず、金曜午後、ラビ・グリックの暗殺未遂現場に集結。イスラエルの旗や団体旗、「私たちの神殿の丘」と書いたバナーを掲げて、神殿の丘をめざすデモ行進を行った。治安部隊に途中で制止されたが、旧市街で、「モスクは破壊。神殿再建。」と叫んだ。

デモ行進を企画したガノール氏(ラビ・グリックの組織)によると、このデモは、「ユダヤ人が神殿の丘で祈らないことで、治安維持をはかろうとする政府の方針が間違っている」と訴えることが目的だったという。「アラブ人はユダヤ人を殺そうとしているが我々は恐れない。神の恵みにより、神殿の丘には第三神殿が建つ。」と主張する。http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4589054,00.html

一方、パレスチナ側では、昨日金曜は、神殿の丘での礼拝日だった。予想通り、東エルサレムのシュアハットや旧市街、西岸地区各地で、巣百人のパレスチナ人と治安部隊が衝突した。Yネットによると、投石する若者たちの中には8才から14才の子供たちもいたという。

<北部ガリラヤ地方でも暴動> www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4589386,00.html

金曜夜、北部ガリラヤ地方のカナでは、ナイフを掲げて警察の車両に襲いかかったアラブ人、ハマダン(22)を警察が射殺するという事件が発生した。その後、警察に反抗するアラブ人らが、カナの町中で、治安部隊に投石したり、タイヤに火をつけるなど、暴動となった。

事件の一部始終をとらえていた防犯カメラによると、犯人が、単独であったのに対し、襲われた警察車両には4人もの警察官が乗っていたことが明らかとなった。警察は正当防衛だと言っているが、アラブ人たちは射殺する必要はなかったと言って怒り心頭である。

北部ガリラヤ地方(下部)は、イスラエル全国の80%のアラブ人が在住している地域で、イスラエルの建国で、土地を奪われたと恨んでいるアラブ人が多い。カナでは、町と警察が緊急会議を開き、今日土曜日は町はストライキとなっている。

<ユダヤ人に自粛を呼びかけるネタニヤフ首相>

ネタニヤフ首相は、国会議員らに、今、神殿の丘へ入って、火に油を注ぐようなことはしないよう指示するとともに、木曜には、エルサレムを訪問したEU外交代表に対し、「ユダヤ人が神殿の丘で祈らないようにする。」と約束した。

その一方で、ネタニヤフ首相は、エルサレムの治安回復のために、治安部隊を強化しつつ、みせしめのため、今回のテロ犯人の家を破壊するようにとの指示を出した。暴動の原因を取り除くとともに強大な武力で沈静化(現状維持にもどすこと)をはかるという作戦である。

しかし、テロリストの家の破壊は、合法的とは言いがたい措置で、逆にパレスチナ人を怒らせる可能性が高い。

今回の暴動のエスカレートは、最近続いていた神殿の丘での暴動に対し、イスラエルが、これまでより若干強硬に対処し、負傷者も出たこと、一時的だったが、イスラエルが、神殿の丘をイスラム教徒も含めて完全に閉鎖するという異例の措置をとったことだったとも言われ、ネタニヤフ首相の対処に批判的な意見もある。

またこのような一時しのぎ的な対策は、神殿の丘のステータス自体を変えようとする右派たちには不満である。イスラエルのメディアには、ネタニヤフ首相は、エルサレムを失った首相として名を残すかもといった辛口の記事も出て来ている。

しかし、だからといって他に有効な手段があるわけでもなく、大変難しい状況である。

<ハマス・神殿の丘解放に備える新部隊を発表> http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4589331,00.html

国をあげて過激派ユダヤ人を押さえるのにやっきになっているイスラエルに対し、パレスチナ側はアッバス議長をあげて、「神殿の丘を解放せよ。」と扇動している。神殿の丘を掲げることで、これは正義の戦いだという流れになっているのである。

その流れを受けてか、国際メディアの表現が、通常は、「神殿の丘」という表記を使っていたのだが、急に「神殿の丘/ハラム・アッシャリフ」という表記になってきた。「ハラム・アッシャリフ」というのは、エルサレムの神殿の丘の黄金のドームを指すアラビア語で、「聖なる(イスラムの)神殿」という意味である。

ハマスの闘争心は、アッバス議長の上をいっている。今回の自動車テロの犯人で警察に射殺されたアル・アカリは、ハマスの戦闘員だった。昨日行われた葬儀には、ハマスの緑の旗が多数掲げられていた。

ガザ地区では、金曜、訓練が終わったばかりの戦闘員2500人を中核とする新しい「市民部隊」を発足させるとハマスが発表した。この部隊は主に「神殿の丘の解放」のためのイスラエルとの闘争が目的となっており、20才以上の者ならだれでも参加できると言っている。

<それどころではないのでは!?ガザ地区>

イスラエルへの闘争心むき出しのハマスだが、足下のガザ地区の様子はそれどころではないはずの状況である。

エジプトは、ガザとの国境を完全に閉鎖しただけでなく、ガザとシナイ半島の間のラファに500メートルの緩衝地帯を設置するとして、その地域にいたガザ住民1万人を追放し、その人々の家屋800軒を完全に破壊して平にしつつある。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4589220,00.html

また、ガザ地区の再建も始まったばかりである。ニュースによると、ガザ地区にコカコーラの工場が建設されることになった。これにより、3000人の雇用が実現できる。http://www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/186981#.VF222aW9DCu

さらに、昨日からは、 イスラエルも、ガザ地区で生産された野菜を西岸地区へ輸出することを許可。7年ぶりに、ガザ地区のキュウリを乗せたトラックが、西岸地区に向かったところだった。

<石のひとりごと>

現在、アラブ人の間では、神殿の丘にユダヤ教右派が入って挑発し、イスラエル軍が支配と暴力を拡大しているように言われている。しかし、正確には、イスラエル軍が神殿の丘に頻繁に入ったから暴動になったのではなく、パレスチナ人の暴動が頻発しているから、治安部隊が入らざるを得なかったのである。

神殿の丘を一時閉鎖したことも、まるでイスラエルが、イスラムを迫害するかのように言われているが、なぜ閉鎖したのかといえば、ユダヤ教右派のラビが暗殺未遂の難に遭い、ユダヤ教右派が神殿の丘に流れ込んでパレスチナ人とのし衝突する可能性があったからである。イスラムだけを閉め出したのではない。

しかし、パレスチナ人の間では、これまでに積み上がったイスラエルへの不満(エルサレムでユダヤ人が住宅の建設地域を拡大し続けていることなど)もあいまって、今、「神殿の丘(ハラム・アッシャリフ)」をイスラエルの手から解放せよ」というのが、正義、または暴力の大義名分になりはじめている。怒りは膨張する一方である。

一方、ユダヤ教右派も、「神に約束された”我々の”神殿の丘を取り戻す」というのが正義になっている。これまで治安部隊に神殿の丘での祈りを妨げられて来た不満とあいまって、こちらも怒りが膨張する一方となっている。

つまり、双方が、自分は正義だと信じ込み、双方が、神殿の丘を完全に自分のものにする時が来た言って立ち上がったということである。その間に入っているイスラエルの治安部隊は、双方を押さえるのに大わらわという、実に妙な状況になっているというわけである。

今後”正義の怒り”で煮えたぎっているパレスチナ人、ユダヤ人双方をおぼえて、とりなしが必要となっている。

ヨルダンでイスラエルとの和平条約破棄を求めるデモ 2014.11.8

ヨルダンは神殿の丘の管理者である。(11月6日オリーブ山便り参照) 神殿の丘で暴力が発生する事を見過ごすわけにはいかない。

ヨルダンのアブダラ国王は、イスラエルへの抗議のため、水曜、駐イスラエル大使を呼び戻した。これは1994年に、イスラエルとヨルダンが和平条約を結んで以来のことである。これを受けてネタニヤフ首相は、アブダラ国王を訪問して今後の対処についての会談を行っている。

そのような中、ヨルダンでは金曜、各地で数千人が、イスラエルとの和平条約は破棄せよと訴えるデモを行った。群衆は、「イスラエルに死を」とも叫びながら、アンマンにあるイスラエル大使館を閉鎖せよと訴えた。

デモの動機は、神殿の丘での暴力と、イスラエルが東エルサレムにユダヤ人の家を建て続けていることへの抗議である。「アルアクサ(神殿の丘のモスク)を解放するため、ヨルダン人は聖戦も辞さない。」と叫んでいる。

ヨルダンは国民の70%はパレスチナ人である。イスラエルでの暴動の波が早期に沈静化しない場合は、ヨルダンへも問題が波及する可能性は十分ある。ヨルダンの国王も難しい舵取りになっている。

第三インティファーダ!?:エルサレムで連続テロ 2014.11.6

www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4588371,00.html

2週間前にエルサレムで、路面電車を待っていた人々にパレスチナ人の運転する車ま突っ込んで、3ヶ月の乳児が死亡したが、同様のテロが5日午後、また発生した。

場所は、前回のテロと同じ道路上で、パレスチナ人居住区のシュアハットと、超正統派の居住区メア・シャリームの境目で、路面電車の駅と横断歩道が重なる交差点。

そこで信号待ちしていた人々の群れに車がつっこみ、国境警備隊のジャダン・アサドさん(38・3才児の父で妻は妊娠中)が死亡。12人が負傷。うち2人が重傷となっている。

犯人の車は、最初に治安維持任務にあたっていた国境警備隊員を蹴散らし、そのまま暴走して人々の群れに突っ込んだ。その後、暴走を続け、国境警警備隊の車に取り囲まれたとろ、金属棒をふりまわしながら車から降りてきて逃げようとしたため、射殺された。

犯人は、東エルサレム・シュアハットに住むパレスチナ人イブラヒム・アル・アカリ(38)。筋金入りで知られるハマス戦闘員で、兄も、ギラッド・シャリート兵士との交換で釈放されたテロリストだった。事件後、ハマスは、犯行声明を出し、諸手を上げて犯行を賞賛するとともに、もっと同様のテロを行なうよう、呼びかけた。

国内治安部長アハロノビッツ氏は、「テロは、これが最後ではないだろう。」と述べ、これからも続く可能性があるとみて、治安の強化を続けている。

また路面電車の駅が狙われていることを受けて、駅周辺にコンクリートの防護ブロックを設置する措置を決めた。シュアハットに最も近いユダヤ地区フレンチヒルの駅は今夜に設置される。

犯行現場では、事件後、右派ユダヤ人らが集まり、「テロリストに死を!」と叫んでいる。夜が更けるにつれて、現場にはイスラエルの大きな旗を掲げた右派ユダヤ人たちが集まって来ており、緊張が高まっている。一方、そこから歩いて10分ほどのシュアハットでは、通りで治安部隊に石を投げるなどして衝突が始まっている。

夜10時すぎ、エルサレムとベツレヘムの間の入植地グッシュ・エチオン付近で見張りに立っていたイスラエル兵3人に、パレスチナ人の車がつっこみ、兵士3人をひいた。3人は病院に搬送されたが、1人は重傷となっている。

www.jpost.com/Israel-News/VIDEO-Security-camera-captures-footage-of-Palestinian-van-targeting-IDF-troops-in-West-Bank-380912

こうしたエルサレムの情勢悪化を受けて、全国の学校は、今週のエルサレムへのフィールドトリップをすべて保留にすることを決めた。

<東エルサレムのシュアファット>

先のシュアハット近くでのテロ事件が発生した時、ちょうど、シュアファットで取材中だった。この町は、6月にユダヤ人に少年を殺された町で、以来、治安部隊と頻繁に衝突し、殺気立った状態となっている。

エルサレム北部にさしかかると、テロがあった路面電車が走る通りに面して大きなモスクがあり、ユダヤ人に殺された少年の写真が大きく掲げられている。そこから町に一歩入ると、シュアハットである。

一歩、入ると、雰囲気は一気に中東になる。狭く乱雑な道路に多数の車が、ひしめきあっている。譲りあうということがないので、クラクションが鳴りっぱなしである。

その車の間をすり抜けるように、それこそわんさかと子供たちが歩き、走り、笑いながらこちらを向いて歩いて来る。どの子の表情も生き生きしていて、落ち来んだ顔の子供は印象にない。

しかし、記者たちを迎えた大人たちー中高年の男性のみーは、どの顔にも怒りがあり、難しい顔をしていた。関係者以外の人も、多数の記者が入って来たので、いぶかしそうな、なんだろうという、たとえていうなら、牧場で牛たちがいっせいにこっちを向いている、あの感じで、こちらを見ていた。

後でわかったことだが、男性たちの多くはイスラエルの刑務所に5年は行っていたという強者で、PFLP(ジョージ・ハバッシュ)に所属する者が多数いたらしい。一人は、家族のほどんとがイスラエルの刑務所にいたと自慢そうに話した。

「今は、いつイスラエルが来て逮捕されるかわからないので、眠れない。平和がほしい。」といいながら、イスラエルを散々非難した。自分が悪いということは、まったく眼中にないようだった。

とにかく、人々の様子、通りの様子、家や建物、子供たちの様子がイスラエル側とは天と地がひっくりかえるほど違う。まるで”どこでもドア”でイラクかシリアにでもワープした感じである。

記者会見において、シュアハット町長のイシャク・アブ・カデイル氏は、「ユダヤ人少年を殺害(6月)したパレスチナ人は殺され、彼らの実家は破壊された。それなのに、パレスチナ少年を殺した(6月)ユダヤ人は逮捕されただけで、家は壊されておらず、対応が違う。」と激怒していた。

シュアハットの住民たちは、路面電車については、その経路が、わざわざ東エルサレムを通過して、事実上パレスチナ地区をとりこもうとしていると言っていた。

路面電車で便利になったのではないのかと聞くと、「その分、バスがなくなったので不便になった。またユダヤの例祭には動かないので、パレスチナ人にとっては逆に不便になった」と怒っていた。

また、シュアファットは、数日前に、ネタニヤフ首相がユダヤ人家屋500軒の建築許可を出したラマット・シュロモーに隣接している。その建設予定地に関して、シュアハット住民のマヌエレ・イサ氏(60)は、「ユダヤ人に土地をとられた。」と激しく怒りながら何度も訴えた。

建築予定地は、まさにシュアハットとラマット・シュロモーの間にあり、空き地をはさんで、両方の地域が目と鼻の先に見えている。

そのラマット・シュロモーに住んでいるのは、正統派ユダヤ教徒がほとんど。ラマット・シュロモーコミュニティ議長エズラ・バーガー氏によると、この人々は通常ニュースやテレビを見ないので、自分たちが紛争の中心地の一つであることすら知らない人がほとんどだという。

このどこでもドア状態のエルサレムの現状は、以前にも見ていたが、今回は、どうにもショックが大きかった。この全く違う二つの文化、価値観が、互いを知る接点が全くないまま、殺し合いになりはじめている。この問題に、人間的な解決はまさにないのだということをこれまで以上に思い知らされた。

<故ラビン首相暗殺を覚える日>

奇しくも11月5日は、故ラビン首相が、右派ユダヤ人に暗殺されたことを記念する日だった。ラビン首相はパレスチナ人との平和を願い、アラファト議長と握手し、オスロ合意にサインした首相である。

結果的にこの契約で、テロが増加したことは誰もが認めるところだが、ラビン首相が生涯を国に捧げて、真心から平和をめざしていたことは、イスラエル人たちの心に大きな感動を今も与え続けている。

テルアビブでは土曜、ラビンスクエアでの集会に2万人が終結。エルサレムでは、神殿の丘、市内でのテロが発生する中、ヘルツェルの丘で記念式典。国会では夕方にも式典が行われた。

しかし、今日ほど、平和が遠いものに感じられた日はなかったのではないだろうか。エルサレムの平和のために祈れ。今夜特にその祈りが必要になっている。

第三神殿!?:神殿の丘でも衝突 2014.11.6

上記テロ事件が発生する直前、旧市街・神殿の丘では、今日も暴動が発生していた。         

今日は、先週ラビ・グリックが撃たれてからちょうど1週間だった。そのため、ラビ・グリックの一派が、神殿の丘周辺に集まり、旗をかけげて踊ったり、歌ったりした後、神殿の丘に入って祈りを捧げようとしたところ、パレスチナ人らが石や火炎瓶を投げつけ、治安部隊と乱闘になった。この衝突でパレスチナ人1人が負傷した。

治安部隊は、直ちに神殿の丘を閉鎖したが、負傷者を乗せた救急車が出るすきに、旧市街ライオン門近くの入り口からパレスチナ人らが神殿の丘へ入ろうとして暴動になった。治安部隊は催涙弾を使うなどして鎮圧している。付近には女性や子供たちもおり、逃げ回る様子が報じられた。

旧市街では、その後も多数の右派ユダヤ人たちが、「私たちは恐れていない」と叫び、治安部隊に制止されている。こちらも夜になるにつれて緊張が高まっている。

<高まる第三神殿への意識>

中東現代史の専門家メナヘム・クレイン教授(バル・イラン大学)によると、最近、ユダヤ人の間で神殿の丘に関する意識がシフトしているという。

これまで神殿の丘をユダヤ人の手に戻すのは神のみであるとして、人間の手で行動を起こす人々はごく少数の変人扱いだった。ところが、最近になって、宗教シオニストのラビたちが、第三神殿再建に合意したという。

このラビたちの動向は、イスラエル世論にも大きな影響力を持っているため、今後、第三神殿への意識、運動に拍車がかかるということを意味する。

ちょうど、イスラエルが建国する前の時代、ラビたちは、イスラエルの再建は、神が実現すると指導し、自ら動かないよう指導していた。そこへ、”神を待つのではなく、自分たちが動きを起こす時に、神が助け実現してくださる”という宗教シオニズムが出て来たのと同じパターンである。

世俗派の間でも、イスラエルのアイデンティティについての変化が出て来ている。かつては建国時代のキブツやイスラエル軍などがイスラエルの象徴だった。しかし、最近では、ダビデの時のイスラエル王国など過去にイスラエルのアイデンティティを見いだそうとする流れになっているという。

東エルサレムにある考古学公園・ダビデの町では近年、神殿の丘南側に続くトンネルが発見され、開通した。クレイン博士によると、そのダビデの町周辺、シロアムにユダヤ人が家を購入し、住む人が増えている他、ここを訪問するユダヤ人が急増しているという。

現在、ダビデの町は、イスラエル軍の基礎訓練のカリキュラムに入っている他、ギドン・サル元教育相以来、ダビデの町訪問を学校教育のカリキュラムに入れた。この流れの中で、今、イスラエルのアイデンティティの象徴が神殿の丘だという意識が高まって来ているというのである。

もちろん、世俗派政治家たちが、第三神殿を建てて、犠牲をほふることを目指しているのではないとクレイン教授。しかし、神殿の丘が国家アイデンティティの象徴になりつつあることに懸念していると語った。

<神殿の丘分割案>

クレイン教授によると、神殿の丘をヘブロン化しようとする動きが、実際にあるという。つまり、神殿の丘を物理的に2分割して、それぞれがぶつからないように祈りの時間などもシステム化するということである。

ヘブロンには、アブラハムとサラ、ヤコブとレアの墓、マクペラの洞窟とよばれる建物がある。この洞窟は、イスラエルが建国し、六日戦争で、ユダヤ人が来るまではイスラムのモスクだった。

そのため、六日戦争以来、ここにユダヤ人が祈りに来ることで紛争が絶えず、1994年にはユダヤ人がパレスチナ人29人を虐殺するという事件も発生した。

これを受けて、1970年代後半、当時のシモン・ペレス首相が、マクペラの洞窟を、物理的に2分割し、ユダヤ人とアラブ人が直接ぶつからないようなシステムを構築したのだが、そのシステムを神殿の丘にも適応しようというのである。実際、そのための法案が国会に提出されているという。

もちろん、イスラム側は、これを200%拒否するだろう。しかし、今回、神殿の丘の管理者であるヨルダンが、重い腰をあげて動き始めている。

<ヨルダンのアブダラ国王>

クレイン教授はヨルダンの動きに注目している。ヨルダンは神殿の丘の管理者であるため、この件で、イスラエルに圧力をかけることのできる唯一の国。もしヨルダンが動けば、あるいは神殿の丘分割など、なんらかの解決もありうるかもしれないと考えている。

実際、この土曜、ネタニヤフ首相と、アブダラ国王が、極秘で会談を持っていた。アブダラ国王は、神殿の丘などイスラムとキリスト教徒にとって重要な場所の治安回復をはかると述べている。

<トルコの不気味な動き・大統領宮殿> www.bbc.com/news/world-europe-29912398(写真多数)

トルコのエルドアン大統領が、アンカラにあるホワイト・パレスと呼ばれる壮大な新しい大統領宮殿を公開した。この宮殿には部屋が1000室もあり、敷地は、アメリカのホワイトハウスの30倍もあり、大きさでは世界一(NYタイムス)。

夜にライトアップされるとまるで神殿のようである。この宮殿は、建築に6億5000万ドル(約700億円)もかかっており、トルコ経済に打撃を与えたとBBCは伝えている。

エルドアン大統領は、ここ数年、急激にトルコのイスラム化を進めると同時に、国民の反対デモを武力で押さえて大統領制を取り入れ、昨年、自分がその初代大統領に就任した。エルドアン大統領に権力が集中し、スルタン(かつてのオスマントルコの王)のように振るまい始めていると懸念する声もある。

終末論の中には、トルコが仲介して神殿の丘に第三神殿を建て、イスラエルとイスラム世界の紛争に終止符を打つと言うシナリオもある。


神殿の丘・緊張と雨 2014.11.1

イスラエルは、水曜夜に、ラビ・グリlック暗殺未遂事件が発生して以降、神殿を閉鎖し、アラブ人、ユダヤ人と観光客も入場できないようにしていた。ラビ・グリックの仲間の過激右派たちが神殿の丘に入り、アラブ人との大きな暴動に発展する可能性があったからである。

しかし、金曜は、イスラムの礼拝日。この日に、イスラム教徒が神殿の丘に入れないということは、かなり異例である。アッバス議長は、「これは宣戦布告と同じだ。」と延べ、金曜は「怒りの日」として、パレスチナ人たちに立ち上がるよう呼びかけた。

神殿の丘の”管理者”であるヨルダンのアブドラ国王は、「イスラエルのテロだ。」と非難し、神殿の丘を開放しないなら、イスラエルとの和平条約を破棄するとまで脅迫した。

アメリカのケリー国務長官は、神殿の丘を閉鎖する方が危ないとして、「通常に戻せ」とイスラエルに強く圧力をかけた。

これを受けてイスラエルは、金曜礼拝日は、50才以下の男性以外との条件つきで、アラブ人に神殿の丘を開放すると発表。昨日金曜は、早朝から治安部隊をさらに1000人(通常より3000人多い)追加して、エルサレムの神殿の丘周辺旧市街、西岸地区での治安を強化した。

イスラムの礼拝は、金曜の正午から午後1時。暴動はたいがい、この礼拝後に発生する。特に旧市街のダマスカス門周囲では、50才以下の男性が路上で礼拝し、治安部隊とにらみ合う事態になる。

礼拝後、旧市街では、厳戒態勢の中、若いパレスチナ人らが、治安部隊に投石したり、火炎物(大きな爆発にはならないが、くすぶった花火が破裂するような類い)を投げつけ、治安部隊は催涙弾を使うなど衝突が発生した。

www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4586479,00.html

旧市街以外では、エルサレムとラマラの間の検問所カランディアでは、ハマスが扇動してのマーチが行われ、その後の衝突に発展。その他、東エルサレムの数カ所でも暴動発生し、少なくとも8人のパレスチナ人が負傷。1人は重傷となっている。

しかし、幸いしたのは、この日、ちょうど午後12時半ごろから雨が降った事である。礼拝が終わる1時すぎには、かなりしっかりした雨となり、一部の道路は水浸しとなった。暴動は発生したが、大勢の治安部隊と雨に阻まれて、かなりスケールは小さくすんだとみられる。

現在、土曜朝、雨と寒さのせいか、夜も大きな暴動にはならなかったようである。しかし、ガザからロケット弾が一発、イスラエル国内にむけて発射されたことが確認された。被害はなし。

<回復に向かうラビ・グリック>

木曜に撃たれたラビ・グリックは、肺や腸などを貫通する重傷だったが、複数の手術を受けて回復に向かっているという。担当医師によると、まだ油断はできないが、障害もほとんど残さず日常生活に戻れるとの見通しを語っている。

一方、ラビ・グリックを撃った犯人は、容疑のままで射殺された。葬儀は木曜夜、アブ・トゥールで行われたが、この時にも治安部隊との暴動が発生している。 BBCは、ラビ・グリック暗殺未遂ではなく、「イスラエルが容疑者を射殺」という見出しで報道していた。

<問題の中心・神殿の丘>

神殿の丘は、アラブ・ユダヤ紛争の中心である。たとえいかなる和平交渉が進んだとしても、この一角だけは、双方とも妥協しない。

そのため、神殿の丘では、政治・治安問題だけでなく、考古学者が、発掘中に石を少し動かしただけでも、”Status Quo(現状維持)”を変えることになり、暴動になる。

今回のラビ・グリック暗殺未遂も、神殿の丘がらみであったために、一気に第三インティファーダになってしまうのではないかと懸念されたのである。

嘆きの壁のラビ・ラビノビッツは、「イスラムの人々は神殿の丘が自分たちのものではないということを知っているから、極端に反応する。」と言っていた。確かに、神殿の丘は、元はなにもないただの山であったところに、ダビデが住み始め、ソロモンが神殿を建てたことが最初で、ユダヤ人の聖地であることは、歴史的にも明らかである。

その神殿の丘がいつからイスラムの丘になったかだが、それはパレスチナがキリスト教徒に支配されていたビザンツ(東ローマ帝国)時代にまでさかのぼる。この時代の神殿の丘は、70ADに、神殿が破壊されてユダヤ人が追放されて以来、荒れ果てた地のままに放置されていた。

そこへイスラム帝国がやってくる。イスラム教は622年にモハンマドによって始められ、わずか20年ほどで巨大なイスラム帝国になっていた。エルサレムは、637年、ムハンマドから2代目のカリフ(モハンマドの代理とされる最高位)オマルの時にイスラム帝国に征服された。

エルサレムの聖墳墓教会を支配していた東方教会総主教のソフロニウスは、降伏するにあたり、カリフ・オマルにエルサレムを見せてまわった。この後、オマルが荒れ果てた神殿の丘に着目し、整備してエルサレムで最初になるイスラムのモスクを建てたのである。

そに約40年後の691年、アブド・アル・マリク(ウマヤド朝)が黄金のドームを建て、さらに約40年後の705年に、同じくウマヤド朝のワリードが、黄金のドームの横に、ムハンマドが昇天した場所としてアルアクサモスクを建てた。アルアクサモスクは、コーランに示された”遠隔地のモスク”とされ、イスラムの3番目の聖地になった。

余談になるが、モハンマドはイスラム立ち上げ当初、ユダヤ人を取り込もうとしてエルサレムに向かって祈るよう指導していた。しかし、ユダヤ人がイスラムに改宗しないことを受けて、怒りが爆発し、624年から後は、180度転換し、メッカに向かって祈るようになったのである。

シナイ半島情勢とガザ地区 2014.11.1

先週、30人以上の兵士を自爆テロで失ったエジプトは、ガザとの国境を完全に閉鎖。地下トンネルには水を流し込んで、そのすべてを破壊している。

さらにガザとシナイ半島の国境からガザ内部500メートルを緩衝地帯にするため、その部分に住んでいるガザの住民(約1万人)を移動させ、家屋を破壊している。
www.aljazeera.com/news/middleeast/2014/10/egypt-sinai-gaza-buffer-zone-2014102918416226574.html

シナイ半島では、昨日も駐留中のエジプト軍に対するテロがあり、エジプト軍兵士8人が負傷した。

<ハマスに初給料・他> http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4585864,00.html

ガザではなかなか再建の見通しが立たないが、先週、ハマス関係者にこの1年で初めてとなる給与が支払われた。銀行につめよせる群衆の様子が報じられていた。

また、パキスタンですべての子供に勉強する機会を与えるべきと訴えてタリバンに撃たれ、ノーベル賞を最年少で受賞したマララさん(17)が、ガザ地区の学校(UNRWA) の再建のため、賞金5万ドル(500万円)を寄付すると発表した。

先週、ガザ地区に入ったパレスチナ人国連職員によると、現場の様子は、テレビで見るより遥かに悲惨だったと語っていた。

ギリシャ正教ナダフ神父:国連で証言 2014.11.1

クリスチャンが安心して生きられるのはイスラエルだけだと主張。アラブ人クリスチャンがイスラエル軍に従軍できるよう活動しているギリシャ正教のガブリエル・ナダフ神父が、国連の人権保護会議で同様の証言をしていたことがわかった。

証言は9月24日だが、国連が10月29日にそのビデオをアップしたものである。伝統的にイスラエルだけを人権保護違反として非難するこの国連会議においてのこのような証言は画期的。これを見たユダヤ人に大きな感動を与えている。

ナダフ神父は、次にように語っている。

・・・イラクでは、数千人が殺害され、77%のクリスチャンが国外へ逃亡。200万人いたシリアのクリスチャンは今や25万人。
中東では、私の住む”ユダヤ人の国”イスラエルだけが、クリスチャンが迫害されず、守られ、自由に信仰もできる唯一の国。イスラエルでは殺される事も虐殺もありません・・・

ユダヤ人とクリスチャンが聖地にともに住んでいるのは、キリストがユダヤ人であってベツレヘムで生まれたからだけではありません。私たちが同じ運命を共有しているからです。平和な共存の希望があるからです。

世界はイスラエルがクリスチャンを保護していることを知っているでしょうか。多くの国がイスラエルを非難しています。私はこれは二重の犯罪だと考えます。イスラエルを非難する事で、ユダヤ人、クリスチャン、ヤジーディ教徒なども苦しめる事になるからです。

イスラエルを非難する事で中東の人道問題を悪化させることになるのです。世界はイスラエルを攻撃するものたちの真実に目覚めるべきです。彼らはクリスチャンにも死刑の宣告をしているのです。

ナザレの神父としてお願いします。世界は今目覚めて、唯一の自由なユダヤ人の国を滅ぼそうとする者たちを止めてください。中東ではイスラエルだけが、すべての国民を保護し、クリスチャンを追放しない国です。・・・

<ナダフ神父とアラム人誕生>

ナダフ神父らは、イスラエルにいるクリスチャンは、”アラブ人”と一括にされてしまうが、実際はアラブ人ではなく、”アラム人”であると訴えていた。

これを受けてイスラエル政府は9月、新しく「アラム人」というカテゴリーを法的にも取り入れることを決めた。これを受けて10月20日、最最初の子供がアラム人として登録された。

ナダフ神父は、クリスチャンのアラブ人(アラム人)がユダヤ人の国を守るイスラエル軍に従軍することを推進し、実際、クリスチャンで従軍する若者が増え続けている。

これを受けて、ナダフ神父はアラブ人社会から死の脅迫を常に受けているほか、ギリシャ正教は、神父を破門にしている。
www.jpost.com/National-News/Son-of-Greek-Orthodox-priest-who-supports-IDF-enlistment-attacked-in-Nazareth-334261

右派・神殿の丘活動家・暗殺未遂 2014.10.30 

www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4585927,00.html

昨夜、西エルサレムだが、東エルサレムとの境目付近、(先日、ジャパンウィークが行われた地域)で、右派のラビ・ ヤフダ・グリック(50)が、至近距離で胸部、腹部を撃たれ、重傷となっている。

治安部隊は、直ちに神殿の丘を閉鎖、兵力を増強して犯人逮捕に乗り出していたが、今朝9時前ごろ、現場付近、東エルサレムのアブ・トゥールで、主要な容疑者とされるイスラム聖戦テロリスト・ムタズ・ハジャジ(32)を射殺するに至った。逮捕を試みたが、反撃して来たため射殺するに至ったという。

<神殿の丘を巡る争い>

ラビ・グリックは宗教シオニストで、神殿の丘にユダヤ人も自由に入るべきだとする運動*を活発に行い、右派に数えられるラビ。旧市街で仲間たちと、デモ活動を行う他、神殿の丘にも時々上がって、パレスチナ人と衝突。警察や治安部隊のお世話になる事の多いラビだった。

今回の事件も、「イスラエルは、神殿の丘に帰れ」というのカンファレンス(LIBA Initiative for Jewish Freedom on the Temple Mount )で 、右派で知られるモシェ・フィグリン議員なども参加する中、ラビ・グリック自身が、「ユダヤ人は立ち上がるべきだ。」とするメッセージを熱く語った直後のことだった。

テレビでは、朝から断続的に、この件に関するニュースを流している。それによると、ラビ・グリックは、パレスチナ人からの脅迫を絶えず受けており、フェイスブックには、ラビ・グリックの写真とともに、「近々殺してやる。」といった投稿もなさていたという。

アルーツ7によると、事件後、場所は不明だが、東エルサレムのアラブ人たちが花火をあげ、「シオニストを撃った者にアラーが祝福するように」と通りでスイーツを配って祝賀していたという。http://www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/186792#.VFHliKW9DCs

一方、同じく今朝、「アラブ人に死を」とする大きな落書き(値札行為)が発見されており、今後、右派ユダヤ人とパレスチナ人の暴力の応酬の可能性も懸念される。

治安部隊は、主要容疑者射殺後の現在も、神殿の丘を閉鎖し、アラブ人、ユダヤ人双方、観光客の立ち入りも禁止している。実際、こうした状況の中にもかかわらず、朝8時には極右で知られるモシェ・フィグリン議員(リクード)が、神殿の丘に入ろうとして、治安部隊に阻止された。

*ユダヤ人は神殿の丘に入れない!?

神殿の丘の主権はイスラエルにあり、治安を守るのはイスラエルである。基本的にはユダヤ人も神殿の丘に自由に入ることは可能。しかし、神殿の丘の管理はヨルダンのイスラム教組織ワクフが担当しており、実際にはイスラム教の聖地という趣になっている。

そのため、ユダヤ人が入ると、アラブ人たちが、投石して衝突になることが多く、実際には、ユダヤ人は自由に入れるとは言えない状況。

しかし、逆にユダヤ教側も、神殿の丘に入ることに執着しているわけではない。ユダヤ教律法のハラハは、正式にはユダヤ人が神殿の丘に入ることを禁止している。まだ神殿が再建されていない今、不用意に入って、至聖所だった場所に足を踏み入れる可能性があるからである。

ラビ・グリックらは、これとは意見を異にするグループで、少数派といえるが、最近は、活動家が増える傾向にある。

エルサレム・テロ2人目犠牲者 2014.10.27

22日、エルサレム市内ライトレールの駅に、車が突っ込むテロで、3ヶ月の乳児が死亡したが、この時に負傷して重傷となっていたカレンさん(22)が、今日、病院で死亡し、2人目の犠牲者となった。カレンさんは1年半前に、エクアドルからイスラエルに移住していた。

東エルサレムでは、このテロ以来、ほぼ毎夜、治安部隊とパレスチナ人の衝突が発生し、緊張が続いている。

昨夜土曜夜には、ライトレール・テロの翌日に発生した衝突で、イスラエル軍に射殺された少年(17才・パレスチナ側は14才と主張)の葬儀が行われた。この時、東エルサレムのシロワン、シュアハット、ベイトハニナなど数カ所で警察と、投石、火炎瓶を投げるパレスチナ人の暴徒が衝突。幸い、これによる負傷者は報告されていない。

今日、日曜夜は、ライトレールの犯人アベド・シャルディ(21の)葬儀が行われる予定となっている。衝突が懸念されるため、葬儀に出席できるのは20人に制限する措置がとられている。

しかし、午後9時のニュースによると、シャルディの遺体の引き取りに関して、家族とイスラエル当局の合意が得られず、遺体がまだ警察に保護されているとという。

イスラエルは、金曜から通常の治安部隊に隊員1000人を増強して警戒にあたっているが、本日、日曜からはさらに1000人加えて、2000人の増強部隊で警備にあたっている。

こうした事態を受けて、テルアビブ市は、子供たちのエルサレムへの遠足を中止することを決めた。これについて、「恐れることがテロを助長する。」といった論議にもなっている。

<東エルサレム・現場より>

今日午後、エルサレム市内からライトレールに乗ってみた。ライトレールは、西エルサレムから東エルサレムを突っ切って、その先にあるユダヤ人地区のピスガット・ゼエブまで続いている。

ライトレールの運行は,2011年に始まったばかりで、車両はまだ新しい。その新しい電車の窓に、明らかに石があたったとみられるひびが、あちこちの窓に残されていた。大きなひびだが、強化ガラスであるため、どれも割れるまでには至っていない。

対抗路線を走る電車の窓にも同様の傷があった。パレスチナ人による投石を受けたのが、1車両だけではなく、そうした事件がここ数日毎日続いているということである。

旧市街のダマスカス門駅を過ぎ、東西エルサレムの境界、フレンチヒルあたりから、各駅に数人の国境警備隊兵士が立っていた。フレンチヒルを過ぎるとすぐに東エルサレムに入り、衝突が頻発しているシュアハット、ベイトハニナ駅と続く。

シュアハット、ベイトハニナといった東エルサレム区域のライトレール駅では、ガザ戦争の直前、6月の衝突の時に、切符自動販売機が破壊され、売上金を略奪された。

その後、販売機の修理はされていないが、ライトレールは、それらの駅にも停車し、パレスチナ人たちを乗せて運行を続けている。(エルサレムでは、ラブカブと呼ばれる市内交通パスの利用が一般的で切符を買わなくても乗れる)

ライトレール沿道のモスクらしき建物の壁には、6月にユダヤ人過激派に殺害された16才のパレスチナ少年の写真が大きく掲げられていた。そのすぐそばにイスラエルの国境警備隊員数人とその車両が見えた。このような敵意に満ちた地域でイスラエル軍の軍服姿で立つのはなかなかのストレスだろう。

昼間なので、何事もなかったが、問題は夜。この近辺は夜になると、治安部隊とパレスチナ人が衝突している。

<エルサレムでのテロを煽るハマス> http://www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/186574

ガザ・ハマスの指導者の一人マフムード・ザハルは、先のテロで3ヶ月の乳児が死亡した時に、犯人を英雄扱いする発言を行った。さらに、そうした事件が発生するのはイスラエルの占領に責任があるとして、行為を正当化し、テロを煽るような発言をしている。

ところで、東エルサレム以外では、こうしたパレスチナ人との緊張は、ほとんど感じられない。しかし、エルサレム南部地域もアラブ人地区に囲まれており、記者宅周辺(東タルピヨット)でも金曜、窓が揺れるほどのかなり大きな銃声らしき音が数発響き渡った。

何事があったのかは不明だが、今日は、駐車場に、完全武装した国境警備隊車両が何かの調査を行っていた。

じわじわと続く暴力の連鎖。しかも15才以下の子供たちも、暴徒に加わっている。このサイレント・インティファーダと呼ばれる暴力の波が、エルサレム市内へ広がらず、すみやかに沈静化するようにと願う。

*昨日、アメリカの高校で5人が死傷した銃撃事件でも犯人は14才だった。暴力に子供たちが関わる傾向はイスラエルだけではなさそうである。

アラブ人への接近!?リブリン大統領 2014.10.27

www.jpost.com/Israel-News/Rivlin-at-Kfar-Kasim-site-of-1956-massacre-A-terrible-crime-was-committed-here-379845

8月に新しく大統領に就任したルーベン・リブリン大統領(75)。徐々に公務の機会が増えて来ている。先の仮庵の祭りでは、ユダヤ人とアラブ人が混在するロッドに仮庵を建てて、アラブ人も招待。

今日は、1956年に、イスラエル軍によって、子供を含む49人が射殺されたクファル・カシムでの記念イベントに、自ら出席した。

*クファル・カシム事件
当時村は外出禁止令になっていたが、それと知らずに外出先から帰って来たアラブ人49人(子供を含む)をイスラエル軍兵士が射殺した事件。

この事件については、前ペレス大統領がすでに正式に謝罪しているが、被害者家族の怒りが消え去ったわけではなく、村は、リブリン大統領も謝罪しないなら、来ない方がいいと言っていた。

しかし、リブリン大統領は、この事件は、イスラエルの”虐殺事件””テロ行為”だったとまともに認め、イスラエル国家の代表として遺族らに謝罪した。村人たちには暖かく迎えられた。

リブリン大統領の一族は、イスラエル建国前から、代々エルサレムに住んでいる敬虔なユダヤ教徒。リブリン大統領も、聖書に精通する敬虔なユダヤ教徒である。特に、父親は、周辺アラブ人とともにラマダンの時には断食するなどして、周囲のアラブ人との関係を重視していた人物だったという。

シナイ半島:エジプト軍兵士33人死亡でガザ交渉延期へ 2014.10.27

24日、ガザに近いシナイ半島北部で、エジプト軍兵士33人が自爆テロによって殺害された。事件を受けて、シーシ大統領は、3ヶ月の戒厳令を発表。シナイ半島での、イスラム主義テロリストの一掃作戦をさらに強化している。

犯行声明は出ていないが、シーシ大統領は、”海外からの過激派”の犯行と言っている。

*シーシ大統領は、昨年就任以来、シナイ半島の、ベドウインの犯罪組織の他、ムスリム同胞団関係の残党など様々なイスラム過激派グループの一掃作戦を展開している。

<カイロ交渉延期:遅れるガザ地区復興>

27日、カイロでは、ガザ復興に関するイスラエルとパレスチナの間接的交渉が行われる予定だった。しかし、シナイ半島でのテロを受けて、エジプトは、これを11月中旬まで延期すると発表した。これにより、ガザ復興はさらに遅れることとなる。

ガザ地区の復興については、先の支援国会議で、54億ドルの支援金が決まったが、実際には、まだ全額が支払われたわけではない。また、このときの会議では、実際には物資の出入りを監視することになるイスラエルが招かれていなかったため、実務的な部分の詰めが欠けているという。

たとえば、ある支援国が、ガザの会社を使って建物の再建を行おうとする場合、その計画書などをイスラエルに提示する。必要と申請された物資の搬入を許可するかどうかは、(イスラエル側からの搬入に関しては)、イスラエルが決めることになる。

その搬入物資をどこから入手するかは、パレスチナ人と支援国が決めるのだが、結局はイスラエルで買う場合が多いとみられ、パレスチナ側はそれを嫌がっているので前に進まない。

また、昔からの”常識”だが、パレスチナでは、支援金の30%程度は必ず、指導者らの個人ポケットに入り、一部は必ずテロ活動に流れる。(アラブーイスラエル経済に関するスペシャリストのギル・フェイラー博士)

フランスは、「どうせ2、3年後にはまた破壊するようなプロジェクトに金を出したくない。」と公に発言しているという。。。。というような状況で、一応、復興資材搬入はすでにはじまってはいるものの、実質的な復興に着手したとはいえない状況である。

ハマスは、復興が遅れるなら、イスラエルを攻撃すると、相変わらず、非論理的なことばかり言っている。

ヒマラヤ・バス事故:イスラエル人2人死亡 2014.10.25

ヒマラヤの雪崩で多数の犠牲者を出したヒマラヤだが、その1週間後の24日、今度はバスが150m谷底へ転落する事故が発生。乗客11人が死亡。52人が負傷した。死亡した11人のうち、2人がイスラエル人女性(30才、21才)だった。

調べによると、このバスには、屋根の上も含めて100人ほどが超定員オーバーで乗っていたという。山道でバランスを崩して転落したもようである。

死亡したシーラ・ダブーシュさん(30)は、医師としてインターンを終えたばかりで、帰国後はテルアビブの病院に就職が決まっていた。イスラエルは、先のヒマラヤでの雪崩で4人の犠牲者を出したばかりだった。