イスラエルの肩代わり借金 2012.7.2

パレスチナ自治政府(PA)の経済状態が、深刻になってきている。2日、イスラエルがIMF(国際通貨基金)から、PAに代わって融資を受け、それをPAに又貸しするという計画が、IMFによって拒否されたことがわかった。
この計画は、以前からIMFで共に代表として働いて知り合いだったPAのファイヤド首相と、イスラエル銀行総裁のフィッチャー氏が協力してすすめていたもの。IMFは検討を重ねた結果、パレスチナ自治政府が”国”ではないという理由で、たとえイスラエル経由でも融資できないと回答したもよう。

<ラマダン準備できない>
西岸地区では、多くのパレスチナ人が、自治政府職員という形で、政府からの給料で生きている。つまり、海外から自治政府に支払われた支援金で、生きている人が多いということである。この支援金が最近の経済事情で滞っており、給料も払えない状態に陥っている。今月中旬からイスラム教徒はラマダン月に入るので、資金不足は深刻。

PAのファイヤド首相は今年初頭、湾岸アラブ諸国に10億ドルの支援金を要請したが、送金は7億ドル5000万ドル以下にとどまっている。

イスラエルの第7代首相イツハク・シャミール氏死去 2012.7.1

30日、イスラエルの第7代首相イツハク・シャミール氏が96才で死去。首相在任は1983-1984、1986-1992の二期。パレスチナ人の第一次インティファーダ(石投げ運動)と、湾岸戦争でイラクからのスカッドミサイルに対処した首相である。晩年アルツハイマーとなり、高齢者ホームですごしていたという。

エジプト新時代出発 2012.7.1

30日、エジプトで初めての非軍人でイスラム主義者のムルシ大統領が就任。通常は議会の前での宣誓となるが、議会が軍によって解散させられて存在しないため、最高憲法裁判所での就任式となった。

これから議会選挙、憲法草案と続いて行くが、それらが完了するまで、軍が立法権を維持、憲法草案にも拒否権を保持するなど、まだまだ大統領への制限は残ったかたちでの大統領就任だ。

ムルシ大統領は、パレスチナ人を支持する立場を示しながらも、国際条約(イスラエルとの和平条約)は遵守すると語った。

シリア人しだい・・ジュネーブ国際会議 2012.7.1

内戦が激化しているシリアについて、30日、スイスのジュネーブで外相級国際会議が開かれた。バン・キ・ムーン国連総長の他、参加国は安保理5カ国と周辺国あわせて16カ国。

シリア問題特使のアナン氏は会議の前に、「国際社会はこれまでシリア問題について、なにひとつ成し遂げられないでいる。これ以上、何もできないままでいるなら、後に歴史が私たちを裁くだろう」と一致を呼びかけた。

<連立移行政府組織>
会議では、アナン特使が、次のカードとして、現政権と反政府グループ双方からなる「連立移行政府組織」を立ち上げて、アサド大統領に政権を返上させる案を提案し、話し合いが行われた。

アナン特使の案では、アサド大統領本人は、この移行政府組織に参加できないとしていたが、その点についてはロシアが合意しなかった。そこで、「アサド大統領は参加できない」とする一文は削除された。つまり、厳密に言えば、アサド大統領もこの移行政府組織に参加できるということになる。

これに対し、アナン特使は、「これほどの犠牲を払って戦っている反政府側が、手を血まみれにしているアサド大統領とともに、政府組織を立ち上げるとは考えられない。」と語った。

最終的に、国際社会が一致することが重要だとして、「シリア人しだい」という理解の元に、アサド大統領の辞任を含まない「移行政府組織案」で国際社会全会一致という発表がなされた。

この案には期限は記されていないが、アメリカのクリントン国務長官は「今年中」と語ったもよう。なお、アサド大統領は、「シリアのことに外国は干渉無用」との態度を維持している。

<石のひとりごと>
シリア問題をみていると日本の幕末を思わされる。あの時、徳川慶喜が大政奉還していなかったら、ちょうど今のシリアのように、日本中を巻き込む内戦状態になっていただろう。

そうなれば、国際社会やイランのような国が入り込んできて、今ごろ日本はどうなっていたかと思う。しかし、日本は大戦争も、国際社会の助けもなしに民主国家への移行をなしとげた。今思えば、自ら権力の座から降りて政権を返上し、内戦を回避した慶喜の決断に敬意を表したい。