(モルデハイ・ケダール博士(バル・イラン大学/電話インタビュー)
29日日没までに、リシャウイ死刑囚をトルコ国境に連れてくるよう要求する新たなイスラム国期限が再び過ぎた。その後の動きはまだ明らかになっていない。後藤さん、ヨルダン軍パイロットの生存も不明のままである。
イスラエルでの報道:http://www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4621063,00.html
ニュースで伝えられている通り、ヨルダンは、人質交換に関して、「リシャウイ死刑囚とヨルダン人パイロットの交換」を主張し、後藤さんに関してはほとんど何も述べていない。この背景にはヨルダン王室の非常に難しい内部事情がある。
<ヨルダンの複雑な内部事情:少数派が多数派を支配する国王>
ヨルダンは、1916年、フランスとイギリスが中東に国境を定め、それぞれの領地をとりあった時に、イギリスの統治下で、国の形ととるようになった。
1921年、イギリスとフランスがシリアの王として据えたファイサル1世(アラビア半島の有力者)が追放されたため、地域の不満を解消する手段として、その兄アブドラ・ビン・フセインを国王に据えて、トランスヨルダンという国を発足させた。
その後、第二次世界大戦が終わるとイギリスが委任統治を放棄する。これを受けて1946年5月に、独立。3年後の1949年に今のヨルダン・ハシミテ王国が正式に発足する。
国王は、初代からの世襲制である。幸い、ヨルダン王室は、よい国政を行い、国を貧しいなりに安定させてきた。これまでの王たちは、それなりに国民に愛されてきたと言える。
しかし、1948年にイスラエルが建国するのにあわせて、パレスチナ人が一斉にヨルダン入りする。これでヨルダン国民の70%は、パレスチナ人となり、国王は少数派出身という微妙な構造になった。
その後、ヨルダン入りしたパレスチナ人たちは、経済的にも成功し、多くはヨルダンの有力者になっていく。国王はパレスチナ人の機嫌を損ねないよう、綱渡りをしなければならなくなった。
さらに、最近ではシリア難民が押し寄せ、総人口の10%はシリア難民という異常事態になってきた。しかし、もっとやっかいなのが、人数は少ないが、非常に扱いにくいベドウイン族で、ヨルダン王室に様々な要求をごり押しするようになっているという。
今回、人質となったパイロットは、そのベドウイン出身である。ベドウインたちは、最初からヨルダンが、イスラム国攻撃の有志軍に参加することに激しく反対していただけに、パイロットのカサスベ中尉を無事に取り戻せというベドウインの怒りは相当なものである。
また、ヨルダン国内では、ベドウインだけでなく、広く国民の間でも、イスラム国への支持率が高まっている。
イスラエルで中東問題エキスパートのモルデハイ・ケダール博士(バル・イラン大学)によると、もし、ヨルダン人パイロットを生きて取り戻せなかった場合、ヨルダン王室が転覆しかねず、状況は急変すると予想する。
つまり、今のヨルダン政府に、日本人人質の後藤さんの命に気を配る余裕は全くないということである。少なくとも、日本より、ヨルダン人パイロットが最優先ということを強調せざるを得ないのである。
<イスラム国はヨルダンをねらっているか?>
ケダール博士によると、当然、Yesである。ケダール博士によると、カリフ制を主張するイスラム国にとって、フランスとイギリスが勝手に決めた国境線や、国王に対する敬意は全くない。ヨルダンどころか、中東全体、ひいては地球全体の支配を目標にしているのがイスラム国である。
www.israeltoday.co.il/NewsItem/tabid/178/nid/24933/Default.aspx (ケダール博士による記事 2014.9.14)
昨年秋、イスラム国は、ヨルダン領内に足を伸ばしはじめた。ヨルダンがイスラム国になってしまった場合、イスラエルへの足がかりになるため、この時、イスラエルの介入も一時伝えられた。
その後、ヨルダンへのイスラム国の進出は報告されていないが、おそらくイスラエルが諜報活動などを通して、ヨルダンを支援していると考えられている。
なおイスラム国は、昨年夏にイスラエルと戦っているガザを支援しないのかと問われ、「国が安定したら、いずれはイスラエルを攻撃する。今はまだその時ではない。」と言っている。