脱獄パレスチナ人6人中4人逮捕:意外に冷たかったアラブ系市民たち 2021.9.13

再逮捕されたザカリア・ズベイディ 写真:イスラエル警察

脱獄パレスチナ人4人逮捕:アラブ系市民は警察に協力

ザカリア・ズベイディ

6日月曜、北部ギルボア刑務所で発生した脱獄事件。大規模な捜索が行われる中、脱獄から4日目の10日、ナザレで2人、さらにその数時間後に、その近くのアラブ人地区で2人の計4人を再逮捕した。

1人は、第二インティファーダの象徴のような人物で、今回の脱出の主犯とみられるザカリア・ズベイディも含まれていた。

調べによると、4人は、脱走したあと、7キロ先のアラブ人地区ナウラで、住民に西岸地区のジェニンまで車で送るよう頼んだ。しかし、住民らはこれを断り、逆に警察に通報していた。6人はその後、モスクでシャワーと着替えたあと、1時間も滞在せずに出ていったとのこと。

www.timesofisrael.com/fugitives-begged-for-ride-from-arab-town-to-west-bank-but-were-denied/

それから6人は2人ずつの3グループに分かれたとみられる。4日目に、アラブ人のナザレで2人、続いてその近辺のアラブ人地区で2人が逮捕された。この間、だれも食料すら与えてなかったとみえ、逮捕時には、4人とも空腹で疲れ切っており、警察に協力的だったという。4人は、取調べにおいても協力的で、徐々に詳細も明らかになってきている。

まだ捕まっていない2人は、イスラム聖戦のイハム・カマムジとムナジル・ナフィアトである。ナフィアトは、イスラム聖戦のメンバーだが、6人の中で唯一、まだ刑が確定していない人物である。

昨日、ジェニン北部の国境で、爆発や銃声が聞こえたことから、1人はジェニンへ入った可能性があるとのこと。現在、イズレエル平原の西岸地区への国境付近で、大規模な捜査が続けられている。もし、2人がジェニンに入ってしまったとしたら、イスラム聖戦との軍事衝突になる可能性が出てくる。なんとかそれまでに、逮捕したいところである。

www.timesofisrael.com/palestinians-said-to-shoot-at-idf-troops-searching-for-fugitives-in-west-bank/

脱獄のニュースが出回った時、脱獄者らに同情するパレスチナ人が、西岸地区や東エルサレムでもデモを行ってイスラエル治安部隊との衝突が発生した。その後、ナザレで2人が捕まった後とその後にも暴動が各地で発生したが、スケールは小さくなっていたとのこと。

東エルサレムオリーブ山の上にある、アツルで、車を運転中のユダヤ人男性が、パレスチナ人に投石され、コントロールを失って歩行者を跳ねたが、男性もはねられた人も軽症であった。

www.timesofisrael.com/palestinians-said-to-shoot-at-idf-troops-searching-for-fugitives-in-west-bank/

刑務所査察委員会立ち上げでシステムの見直し強化を:ベネット首相

今回、脱獄があったギルボア刑務所では、2014年にも脱獄未遂があり、この時と同じ人物が同じ場所から、脱獄に成功していた。ベネット首相は、こんな間抜けなことになったのは、前政権が、政治に忙しく、刑務所の治安維持という重要な問題に手が回っていなかったからだと非難した。

イスラエルでは、刑務所の増設の必要性もあったが予算が不足していたこともあり、そのままになっていたという。先の2年半の間、正式な政府がなかったことから、新たな計画による新しい分野への予算投入ができなかったのである。

ベネット首相は、オメル・バルラブ国内治安相と、全国の刑務所を一から再検証する委員会を立ち上げて、徹底した改善をすると発表した。

www.timesofisrael.com/bennett-says-gilboa-prison-break-a-wake-up-call/

石のひとりごと:この世に送り出されたことの意味

ニュースでは見えてこないのが、再逮捕された4人の心の中だ。イスラエルに死刑はないので、4人は、いよいよ、死ぬまで刑務所の中ということになる。なんのために脱走したのか。同じアラブ人にも見捨てられて、今どんな思いなのか。疲れ切ったズベイディの顔をみて、そんな思いがした。

そんなことをしなくても、この世に生まれて生きた以上、神に愛され、期待され、彼にしかできない、大事な使命があっただろうに。残念でならない。

最近、大河ドラマの「晴天を衝け」で、まだ若い渋沢英一を送り出す、とっさまの言葉に、涙がでるほどに感動した。明治維新の混乱の中、京へ行くという栄一に、お金をわたして送り出すとっさまの言葉である。

スクリーンキャプチャ

「お前は百姓ではない。わしはもはや、お前の行く道に何かをいうつもりはない。お前が京で、名を挙げるか、身を滅ぼすか。わしの知るところではない。

ただ道理を踏み外さず、誠を尽くしたと胸を貼って生きたと言えるなら、幸か不幸か、生きるか死ぬかにかかわらず、満足することにする。」そう言って、英一に1000両を持たせて送り出すのである。

無論、親として、失敗しようが、成功しようが、どうでもいいということではない。しかし、この時代に息子を京に送り出す父の心境は、ただならぬものがあっただろう。

ただ道をはずさず、正しい道を生き抜いたといえるなら、それでよしとする、たとえ失敗に終わったとしても、お前は息子だと言っているのである。

この時、とっさまは、英一がどういう結果をもたらすかは、わからない、まるまる無駄になるかもしれないのに、それでも1000両もの大金を栄一に投資するのである。

天地創造の神、天の父なる神が、私たちにしてくれていることを思わされた。私たちが今のこの地上で生きている命は、自分で得たものではない。神に与えられたものである。それをどう使うのか、失敗におわるのか、最高に使い切るのか、それは、私たちそれぞれに委ねられている。いわば、いのちは、神が私たち一人一人に投資してくださったということである。

それだけではない。神は、この唯一守れと言われている誠さえも守れない。道をはずしてしまう。失敗するであろう、私たちのために、先に地上に来て、その失敗の罰を、身代わりとして自らの命で先に支払ってくださった。これがイエスの十字架の意味である。

与えられたいのちをどう使うかが、それぞれに委ねられているように、これを信じて受け取るか受け取らないかは、それぞれに委ねられている。受け取らず無駄にしてしまうかもしれない。それでも投資する。これが、この神のふところの大きさなのである。

ありとあらゆる失敗と、人を殺め、今、自分をもとことん破壊したズベイディにも、まだ地上で生きている限り、この投資は、まだ彼の前にある。まだ救いは残されている。人生をやり直すこともできる。天地創造の神に不可能はないからだ。

イスラエルの刑務所に行って、この話をすることはできないが、神ご自身がどうにかして、ズベイディと先に再逮捕された3人に伝えてほしいと祈った。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。