ティシャ・ベ・アブと第三神殿 2015.7.25 

イスラエルでは7月25日の日没から26日の日没まで(日本では日曜日)ティシャ・ベ・アブと呼ばれる神殿崩壊記念日となる。この日は、第一、第二神殿の崩壊だけでなく、スペインからのユダヤ人追放など、ユダヤ民族への歴史的な悲劇が重なった日とされている。

敬虔なユダヤ教徒は断食して低いイスか床に座り、喪に服す。トーラー(聖書)を読む事は喜びにつながるため、悲惨ぎみの書であるエレミヤ書、哀歌、ヨブ記以外は禁止である。タルムードの中の喪についての学びはOK.一般の喪に服す詩を読む習慣もある。

敬虔なユダヤ教徒は、この日に至るまでの9日間、肉や酒などのごちそうを避け、ひげも剃らず、身をいましめる生活をしているが、この日は特に身をいましめるのである。

しかし、この日が終わったあとの安息日にはイザヤ書40章の「慰めよ。慰めよ。私の民を。」の箇所を読み、将来のあがないに思いをはせるという。https://www.alephbeta.org/tisha-bav#history

<神殿への思い>

神殿崩壊記念日なので、当然、西壁は満員になる。また、毎年のことであるが、第三の神殿の建設を主張するTemple Instituteのグループが、今年もティシャ・ベ・アブに神殿の丘へ上がる準備を進め、ユダヤ人たちに参加を呼びかけている。

このグループの主張は、神殿の丘はユダヤ人の聖地なのであるから、ここに神殿を再建するべきだというものである。現在、神殿で捧げものになる赤牛を開発しているのもこのグループである。

これに対し、パレスチナのイスラム・グランド・ムフティは、「アルアクサ(神殿の丘のこと)に過激なユダヤ人を立ち入らせ、”汚れ”を持ち込んではならない。無理にでも入るなら宗教戦争になる。」と、ティシャベアブの日のユダヤ人の入場を阻止する構えである。

イスラエルの治安部隊は、両者の衝突を避けるため、通常はユダヤ人の方を神殿の丘へ上がらせないのであるが、今年もこの日、26日(日)、大きな衝突にならないよう、とりなしが必要である。

www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/198580#.VbJzz6W9BCs

<なぜユダヤ人は神殿の丘へ入れないか:モシェ・ダヤンが悪い!?>

神殿の丘は1967年の六日戦争でイスラエルの主権下に入った場所である。それなのに、なぜイスラムが管理するようになったのか。

六日戦争の記録フィルムを見ると、確かに、イスラエル兵が神殿の丘を制覇している。しかしその直後、なぜかイスラエル軍は神殿の丘ではなく、嘆きの壁で祈っている。

これはこの当時の総司令官モシェ・ダヤンが、神殿の丘制覇の直後に、ヨルダンのイスラム・ワクフにその地の権利を譲り渡してしまったからだという。

一般的には、アラブ世界を敵にまわす事を避けたと、理由付けされているが、しかし、この時、イスラエル軍は、アラブ5カ国軍に対し圧倒的な勝利を収めていたのである。エジプトには戦闘機はもう残っていなかった。

ならば、イスラエルがアラブの反撃を心配して、神殿の丘を明け渡す理由はなかったはずである。

現在、嘆きの壁はイスラエル政府が任命した超正統派のラビ・ラビノビッツが管理を行っている。超正統派は、神殿が正確にはどの位置にあったかが不明である以上、ユダヤ人が不要に足を踏み入れて至聖所をけがさないようにするとして、神殿の丘へ上がることを禁じている。これはつまり政府の政治的方針でもあったわけである。

これを受けて、超正統派以外のユダヤ人や、考古学者たちの中には、「モシェ・ダヤンは世俗派だったので、神殿の丘の重要性がわかっていなかった。今ユダヤ人が神殿の丘で祈る事もかなわず、またユダヤ人にとって最も重要な神殿の発掘もできないのは、モシェ・ダヤンの失策が原因だ。」と考えている人もいる。

しかし、だからといって、ほとんどのユダヤ人は、強硬に神殿の丘へ入ることはない。入るのは上記Temple Instituteの一派ぐらいである。しかし、心の中では、「ユダヤ人にとって最も重要な場所は西壁ではない。神殿こそ大事なのだ。西壁はたんに神殿の外のさらに外側の外壁に過ぎない。」と思っている人もいるということである。

いずれにしても、イスラム教が、今神殿の丘を管理できているのは、ひとえに、戦いに勝ったイスラエルの将軍モシェ・ダヤンがその鍵を彼らに譲ったからである。

とするならば、日本人的には、ユダヤ人が祈るといって入ってくるのを、イスラム側が、断る立場にもないようにも思えるところである・・・。

<西岸地区で1日の内にイスラエル軍がパレスチナ人2人を射殺か>

ほとんどニュースにならないが、イスラエル軍は西岸地区で、テロリストの掃討作戦を日常的に行っている。その中で、23日、24時間の間にパレスチナ人2人がイスラエル軍によって射殺されたもようである。(イスラエル軍は状況を精査するとコメント)

パレスチナ人宅へ踏み込めば、争いや暴動になるのは当然で、その時にパレスチナ人に発砲する機会もどうしても出て来る。すると若いパレスチナ人の若者が死亡してしまうのである。

こうした事件が重なるたびに、パレスチナ人のイスラエルへの憎悪も積み上がって行く。かといってテロリストをとりしまらなければ、イスラエル人がテロで殺される。難しい悪循環である。

www.jpost.com/Arab-Israeli-Conflict/Palestinian-man-50-dies-in-clash-with-IDF-troops-in-West-Bank-409904 

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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