先週火曜、エルサレムをイスラムの名称のみで明記し、イスラムの聖地を”占領”政策を続けるイスラエルが、妨害しているといった報告書がUNESCOで承認された問題について。
昨日、それに関する2回目の決議がとられ、賛成多数で承認されることとなった。この報告書がUNESCOの正式な見解ということになる。
この結果、がエルサレムの今すぐの現状に影響を及ぼすことはないが、今後、様々な交渉で、イスラエルとエルサレムの歴史的関係が持ち出された場合に、引き合いに出される可能性がある。
先週、一回目の決議がなされたあと、UNESCOの事務総長や、理事長、国連のバン事務総長も、神殿の丘は、イスラムだけでなく、ユダヤ教、キリスト教、皆に重要な地と認識すべきであるとして、この報告に反対する意見を表明していた。
また、メキシコが、国内のユダヤ系住民の圧力で、賛成票を取り下げるなどの動きがあった。
こうしたことから、2回目の決議案は保留になるとも報じられていたが、結局実施され、承認される運びとなったものである。今回は賛成票が増えて33票、反対は、前と同じ6票、棄権が19票だった。
www.jpost.com/Arab-Israeli-Conflict/Analysis-Israel-wins-UNESCO-battle-but-not-the-war-470372
しかし、こうした物議の最中、エルサレムでは、ユダヤ教の仮庵の祭が例年のように盛大に行われ、嘆きの壁は、ユダヤ人でいっぱいとなっている。また様々なカンファレンスでクリスチャンたちも来ている。エルサレムがイスラムだけのものでないことは明らかである。
また実際には、暴動にならない限り、神殿の丘で、自由に礼拝を捧げられるのは、イスラムだけである。イスラエルがイスラムを聖地から締め出しているというのは、まったく事実ではないことは現地にいる者の目には明らかである。
激動の中東の中で、イスラム、ユダヤ、クリスチャンたちが、制限はあるものの、平和に巡礼に訪れれいる。こうしたことが可能であるのは、イスラエルが、自国民の息子、娘を徴兵して治安を守っているからこそである。世界は逆に、これに感謝すべきではないだろうか。
現状と事実が、まったく違う報告書が、国際機関で正式に承認されるというのも、不思議な流れである。聖書に書かれているように、世は聖書のいうことを受け入れないという基本的な性質があることを思わされる。