コロナ禍のスリホット最終日からヨム・キプール:真の悔い改めへの呼びかけ 2020.9.25

イシャイ・リーボー氏コンサートよりスクリーンショット

エルサレムでは、24日夜、スリホットの最終日であった。スリホットとは、神の到来を前にすべての罪を悔い改めようとする期間のことである。聖書で定められた例祭ではないのだが、特に新年祭から、その10日後に来るヨム・キプール(大贖罪日)までは、広く世俗派にいたるまで、多くの国民が、人と神の前に悔い改めをする。これをスリホットという。

超正統派たちは、この日、鶏を自分の罪の身代わりとして捧げるが、その他のユダヤ人は、嘆きの壁や、シナゴーグに集まって罪の赦しを求める祈りを捧げている。24日はその最終日であった。

人々は、この日の夜中0時前後に嘆きの壁やシナゴーグに集まる。昨年は、嘆きの壁に、10万人が集まり、チーフラビの祈りに合わせて神の前に罪の赦しを求めたのであった。

今年は、コロナのために、嘆きの壁前に来ることができたのは、1000人以下で、カプセルに区切られた場所で、祈りがささげられた。嘆きの壁基金は、その様子をライブ配信した。

(実際のスリホットの様子は、50分過ぎたぐらいより)

<イシャイ・リーボー氏コンサート>

嘆きの壁に面する場所に、Aish Hatorahと呼ばれる正統派のユダヤ教組織のビルがある。この屋上からは、嘆きの壁全体と神殿の丘が少し見渡せる。第二神殿の模型があり、訪れる人々に、第三神殿のビジョンを伝えている場所である。

正統派は超正統派と違い、ユダヤ教の律法を厳格に守りながら、現実社会に入って、共に社会生活をする人々である。アメリカ人も多く、イスラエルの知識層の人々に多いグループである。

この正統派のミュージシャン、イシャイ・リーボー氏が、Aish Hatorah ビルの屋上で、嘆きの壁を見渡す場所で、スリホットのコンサートを行った。進行、メッセージはラビ・エイテル・ゴールドウィッチさん。

イシャイ・リーボー氏は、正統派ユダヤ教徒で、現代の楽器、音楽に乗せて神に祈りをささげる歌を多く歌っている。イスラエルではトップミュージシャンで、人々が神に目を向ける影響力があるとみられる。クリスチャンである筆者が聞いても違和感はなく、何度聞いても飽きない音楽である。*コンサートは以下のサイトから鑑賞可能。イシャイ氏の演奏は30分あたりから。

www.facebook.com/watch/?v=816507899157612&extid=M9m4MfOPmSPr3NCS

<スリハ・メヒラ・カパラに見る悔い改めと赦しがもたらすもの>

イシャイ氏とラビ・エイテルさん(右)スクリーンショット

ラビ・エイテルは、スリホットについて、ヘブライ語のスリハ、メヒラ、カパラという3つの言葉から赦しを3段階で語った。スリハというのは、人が人を赦すレベルである。だれかが自分を傷つけた場合、それを赦すのは、その加害者のためでなく、自分を解放することであると語る。

その次のメヒラは、ミルハマ(戦争)、マハラ(病気)につながるもので、戦争が終わった時や、病から癒された人の喜びつながるものである。人を赦した後に来るエネルギーの大きさを表しているという。それは、かつてダビデ王が神の前でダンスしたエネルギーであり、赦しは、私たちにエネルギーを与えるものであるということを表している。

その後に来るカパラ。これは、犠牲であり、究極の愛の域に入るということを意味する。昔、神殿があったときは、神殿で羊などの犠牲が、罪の代償としてささげられて、神との関係を回復したものであった。この犠牲をカパラと呼んでいる。イスラエル人の中には、愛する人を呼ぶときにカパラとつける人がいるほどで、究極の愛を示すものである。

クリスチャンなら、そのカパラが、イエス・キリスト以外の何物でもないということは明らかだろう。神ご自身がそのカパラになってくださり、人と神との関係回復の道をひらきてくださったのである。

またラビ・エイテルは、律法で提示されている様々な習慣が日中であるのに、スリホットだけはなぜ夜中に集まるのかについて、これがまもなく目覚める時であることを示していると語る。苦しい暗闇の中、罪から解放され、次の朝を迎えるという意味である。

コロナ禍にある人々に、罪の赦しから、今新しい時代に進む時だということに目覚める時であると語る。

特に今年はコロナにより、人々がヨム・キプールにも嘆きの壁やシナゴーグに行くことができない。それぞれが、巡礼のように、行くという行為に依存するのではなく、それぞれが真に神の前に出ようと呼びかけている。

イシャイ・リーボー氏は「ほかのどこでもない。家に帰ろう」で、目覚める時が来た、変わる時が来た、家に帰ろうと歌っている。

クリスチャンとしては、「そう、その通り!」と言いたい。罪の赦し、その代価はイエスにあってもう支払われている。それを受け取って、真の家、父の家に帰れるのである。これは宗教ではなく、真実である。”耳のあるものは聞きなさい。”イエス・キリスト

石のひとりごと

このスリホットとヨム・キプールの直前に100%ロックダウンとは、このタイミングに驚かされる。神は今、すべての行いをおいて、ただただ神の前に出て、罪の赦しを受け取るよう、個人個人に呼びかけられているように思う。それは子を待つ父の愛である。

これは大方の日本の同胞たちには外国の夢物語にしか聞こえないのだろうか。神の愛は、日本にも届いている。日本にも全国に教会がある。聖書の神、イスラエルの神を宣言している場所がある。聖書は本屋に売っている。多くの同胞たちにもこの父の愛が伝わればと願ってやまない。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。