国宝!ユダ王国の柱頭発見:エルサレム/アルモン・ハナチーブ 2020.9.5

発掘された2つの柱頭 ヤアコブ・ビリング博士 出展:IAA

エルサレム旧市街、神殿の丘から続くダビデの町、ヒノムの谷を超えて少し高台のアルモン・ハナチーブ。タイェレット(プロムナード)と呼ばれるところから、ユダ王国のシンボルとして知られる柱頭が2つ発見された。この他、小さい柱頭なども一緒に発掘されている。

<イスラエルの王室の象徴>

発見された柱頭は、紀元前10世紀ごろにさかのぼって使われていたアエオリック・オーダー、またはイスラエル・オーダーと呼ばれるデザインで、その遺跡は、レバントとよばれる東地中海に面する地域で多く発見されている。

この柱頭は、第一列王記6章に、ソロモンが建てた神殿に、なつめやしの木の彫りものが施されたと書かれているので、ソロモンの時代からあったと考えられてきた。このデザインの柱頭は、これまでに、メギド、ハツォル、ラマットラヘル(エルサレム)、サマリアなど、イスラエルで35個、ヨルダン(当時はアモン人の時代)でも24個発見されている。

ダビデの町で発掘された柱頭
The Israel Museum, Jerusalem, by Amalyah Oren

しかし、その後、エルサレムでダビデの町の発掘がすすみ、ダビデの宮殿ではないかと思われるところを発掘したところ、予想的中で、このアエオリック・オーダーの柱頭が発掘された。

これにより、ソロモンより以前のダビデの時代からすでにこの柱頭が使われていたと考えられるようになった。ダビデ王、ソロモン王に関係するこの王室の柱頭はまさに、イスラエルの国宝であり、象徴である。現代においては、5シェケル硬貨の裏にもほりこまれている。

今回みつかった柱頭は、アッシリアが攻めてきたBC701年、ヒゼキヤ王からヨシア王、バビロンが来てエルサレムを破壊していったころまでのものと考えられている。

5シェケル硬貨裏

聖書と歴史によると、BC701年、アッシリアがユダ王国の町々を攻め落としたあと、エルサレムに来て降参を迫った。この時、ヒゼキヤ王は神の前にへりくだって助けを求めた。すると、預言者イザヤが預言した通り、神の天使がアッシリアの軍勢を追い払い、エルサレムは生き残ることになる。

その後、全国の難民もエルサレムにやってきて、エルサレムは拡大。現在のアルモン・ハナチーブ地域は、ダビデの町の外側ではあるが、ラマットラヘルなど、様々な政治的な部署があったことがわかっている。ラマットラヘル付近からは、つい先月にも税金関係の部署と考えられる遺跡が発見されている。この柱頭はこの時代にものとみられている。

watchjerusalem.co.il/970-proto-aeolic-capital-points-to-king-davids-palace

この遺跡を発掘したのは、アルモン・ハナチーブで30年も掘り続けてき考古学者、ヤアコブ・ビリング博士である。発掘したときの映像を見ると、柱頭一つが出た後、2つ目がその下に発見され、「なに!もう一つ!?なんてこと!」とチームがエクサイトしているのがわかる。

イスラエルでは、考古学の遺跡が、絶妙のタイミングで発見されることが多い。コロナで苦しんではいるが、UAEとの国交が始まり、新しい時代を迎えるイスラエルに大きな励ましになったのではないだろうか。

<石のひとりごと>

アルモン・ハナチーブは、筆者が8年近く住んだ町で、プロムナードにも普通に行っていた。遠くに神殿の丘、その左に近代エルサレム、右にオリーブ山が見渡せる絶景の場所である。

神殿の丘から、こちらに向かってみえるのがダビデの町。それをとりかこむように、ケデロンの谷、ヒノムの谷がある。まさにイスラエルの過去、現在、未来、イスラエルと神との契約、キリストによる贖い、そしてキリストの再臨、すべてに関係する場所をみることができる。

その場所で、今回、ダビデ、ソロモンの時代に使われていた柱頭が発見された。主は確かに実質、生きておられる。キリストは確かにもうすぐ帰ってこられる。大きな励ましをもらったニュースであった。

石堂ゆみ

石堂ゆみ

ジャーナリスト、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイド、イスラエル政府公認ガイドとして活動しています。 イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて18年。学校・企業・教会などで講演して15年になります。