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仮庵の祭り・始まる
ヨム・キプールから5日目、今年は9月29日日没から、仮庵の祭り(スコット)が始まった。ユダヤ人たちは、囲いが3方向で、屋根はなつめやしの枝からなる、いわゆる吹けば飛ぶようなテントを作る。10月6日まで、この中で食事し、この中で寝る人もいる。
神戸のシナゴーグ(ハバッド派:ラビ・シュムリック)でもシナゴーグの屋上に、仮庵が建てられ、主にここに集っているメンバーとその家族や、イスラエルからの留学生、旅行者などが加わって、仮庵第一日の祝いが行われた。(写真右)
今年は、仮庵の初日が金曜日、安息日と重なったため、象徴的な4種の植物を神の前で振る
のは、安息日が終わった10月1日となる。エルサレムのかつての神殿に最も近いとされる嘆
きの壁は、この4種類の植物をもってやってくる男性たちでいっぱいになる。
4種の植物とは、以下の通りで、多様な人間社会を表している。① エトログ(レモンの類)知恵がある人② ルラブ(なつめやしの枝)知恵はあるが行いがない人 ③ ハダシム (茂った枝)行いはあるが知恵がない人 ④アラボット(川柳の枝)知恵も行いもない人
この4種を神の前で振り翳して、すべてが神の主権の下にあるということを告白し、祝福を受けるとされる。特に10月2日と3日は、祭司の祈りとされ、レビ族の末裔たちが、嘆きの壁で、祈りを捧げる。その祝福を受けようと、この時、嘆きの壁は、動けないほどに人々でぎっしりになる。
以下はこの祭りに備えて、この4種などを購入できる特設会場の様子。(エルサレムの野外市場・マハネイ・ヤフダ)*2:30ぐらいから
以下は、エルサレムの超正統派エリアのメア・シャリームにおける仮庵の祭り準備の様子
*仮庵の祭り日程
29日から30日は、安息日と同じ規定で人々は休息する。それから准安息日で平日が続き、10月6日金曜日没から8日までが、シェミニ・アツェレート/シムハット・トーラーとされ、再び安息日規定で休む日とされる。いわゆるゴールデンウイークであり、海外ですごすイスラエル人も多い。
仮庵の祭りとは何か:信仰に踏み出す時(ラビ・フォールマン/AlephBetaより)
仮庵の祭り(スコット)は、エジプトで奴隷状態にあったヘブル人たち(後のイスラエル人)が、解放された後、最初に宿営した場所がスコテ(スコット)であったこと(出エジプト記(12章:37-39)、また、そこでほったて小屋(スコテ)を建てたことを覚える例祭である。
「スコテ」は、別の聖書箇所(創世記33:17)でも登場している。ヤコブが、兄エサウと再会したあと「スコテ」に行ったと書いてあるが、そこで、自分のためには家を、家畜のために小屋(スコテ)を建てたと書かれている。
エジプトから凱旋するかのように出てきたヘブル人たちは、このスコテで最初の種無しパンを焼き、最初の過越の祭りを祝ったのであった。
ヘブル人たちはラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。
彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて、パン種を入れてないパン菓子を作った。それには、パン種が入っていなかった。というのは、彼らは、エジプトを追い出され、ぐずぐずしてはおられず、また食料の準備もできていなかったからである。(出エジプト12:37-39)
この時、ヘブル人たちは何を感じていただろうか。ラビ・フォールマンは、イスラエルの民は、自由を得た代わりに、エジプトでは確保されていた食糧と、しっかりした屋根のある家という、生きるために不可欠なものを失ったと解説する。
出エジプト12章によると、ヘブル人たちは、エジプトで奴隷ではあったが、430年もしっかりと定着していたと書かれている。奴隷状態での生活がそれなりに、成り立っていたということである。
今、そこから自由になったとはいえ、なんの準備も計画もしないで出てきたのである。目の前にあるのは、先がまったくわからない砂漠と暗闇である。60万もの民を養う食糧も水をどう確保していくのか、こんなほったて小屋でどう敵から身を守るのか。人間の知恵や能力では、もはや不可能でしかありえないところである。
自由を得たことによるコストは、まったくもって彼らの全てであった。この状態をラビ・フォールマンは、神への信頼が提示されたと状態だったと解説する。これに対し、イスラエルの神となる主は、彼らを完全に守り、導き、彼らから離れないことを約束して、その証を示されたのであった。
こうして彼らはステコから出て行き、荒野の端にあるエタムに宿営した。主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすために、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。昼はこの雲の柱、夜はこの火の柱が民の前から離れなかった。(出エジプト13:20-22)
もはや神なしには生きられないというところに身をおいたということが、主の民となる重要な分岐点、出発点になったのである。
しかし、これでは、過越の祭りと仮庵の祭りが一緒に祝われる形である。しかし、レビ記23章によると、過越を祝う日が、ユダヤ暦第1の月の15日、仮庵を祝う日が、ユダヤ暦第7の月の15日であることから、ちょうど半年後になっている。そのため、今も、過越は春、仮庵は秋にくるのである。なぜそんな形になったのか。
ラビ・フォールマンは、次のように解説する。
奴隷から解放されて出てきたヘブル人は、やがて律法を得、イスラエルの民、国民として大きく成長し、領土を持つようになる。そうなると、もはや、自分の力で生きているかのような気になってしまい、神なくして生きていけないというスコテの時の状況を忘れてしまう懸念も十分出てくるわけである。
半年後というと、1年をぐるりとした時に、最も遠い日を意味していることから、これは、主が、イスラエル人に、主との原点を忘れないようにという心遣いであるとラビ・フォールマンは解説している。毎年、仮庵を祝うたびに、イスラエル人たちは、神無くしては生きていけないというこの原点に立ち戻るのである。
www.alephbeta.org/playlist/sukkot-meaning-why-we-celebrate
石のひとりごと
エジプトからイスラエルの民が出たとき、彼らには、なんの準備も計画もその時間もなかったと書かれている。日本人には、おそらく絶対に不可能だが、しかし、今のイスラエルの人々をみれば、十分にありうるなと思わされる。
それは、彼らの信仰がすばらしかったというよりは、とにかく、出発ありきなのである。まず出発してみて、ああとんでもないことだったと後で考えるのである。しかし、なんとかなっていくものなのである。
この出エジプトの出来事は、クリスチャンにとっては、罪の奴隷であったところから、自由にされたことの型であるとされる。
クリスチャンは、罪の奴隷であったところから、その代価をイエス・キリストが支払ってくれたことで、自由人になれると信じて、新しい歩みをはじめるのである。
その時は何がなんやらわからなくても、そこからが出発点となり、神、主がまわりをとりかこんで守り、時にしかり、教え、導いてくださって、神の民の一員になっていく。イスラエルの民と同じである。
しかし、その決心をする時には、それがどんなことになるのか。特に用心深い日本人の場合、親のこと、葬式のこと、親戚の間で肩身の狭いことになるのではないか、職場で嫌われるのではないかなどさまざまな不安が押し寄せて、一歩踏み出せない人も多い。
しかし、それでも信じると決めた人は、そこから全く新しい人生が始まっていく。後になって振り返れば、その歩みがいかにエキサイティングであり、その歩みの中に神の忍耐と絶対に見捨てないという約束が、本当であることを実感させられる。これほど良い決断はなかったと、心より言い切れる。
しかし、クリスチャンもまた、イスラエルの民と同様、力がついて生活が安定し、平穏になってくると、あたかも自分の力で生きているような気になってしまう。
新約聖書の黙示録には、「あなたは始めの愛からはずれてしまった。それで、あなたはどこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。(黙示録1:4-5)」という表現がある。
クリスチャンも、毎年、復活祭から半年後ぐらいに、クリスチャンバージョンの仮庵を覚えてもいいのかもしれないと思ったりする。
今週から仮庵の祭りを祝う、イスラエルと全世界のユダヤ人の上に祝福があるように。(特にウクライナや、大雨被害にあるニューヨークのユダ人たちを覚えて)