目次
エチオピアでは、今また激しい内戦に陥っている。イスラエル政府は、10日、エチオピアにいたイスラエル市民30人と、ユダヤ人であり移住の権利があるとされる174人を急遽、4機にわけて、エチオピアの首都アジスアベべバへの救出を完了した。
エチオピア系ユダヤ人の新移住予定者はイスラエルへと向かうが、イスラエル人30人は、帰国するかどうかはそれぞれに任されている。
エチオピアでは、北部アムハラ地域で反政府勢力が攻撃を開始して、政府がコントロールできなくなり、市民に死者がでる事態となった。政府は、一時、緊急非常事態宣言を発した。11日朝までに政府は地域を再確保したと発表している。
紛争地帯からの救出は、素早い、大使館や現地組織との綿密なコミュニケーションを要する。こうした能力はイスラエルならではの見事な連携といえる。ネタニヤフ首相は、「イスラエルは、どこにいても市民を見捨てることはない。」と発表した。
www.timesofisrael.com/israel-rescues-some-200-citizens-and-jews-from-ethiopia-conflict-region/
1990年代のエチオピア系大規模移住以後の状況と課題
エチオピアは、飢饉や内戦の連続が続く国である。その中で、1990年代にモーセ作戦、ヨシュア作戦、ソロモン作戦とその後も入れると4万人近いユダヤ人が、イスラエルへの移住を果たしたわけである。(詳細は事項)
その後も、2000年から2004年までに約1万5000人、2005年から2009年までに約1万3000人が、エチオピアから移住した。この期間は、イスラエル国内で、パレスチナ人による自爆テロが連続していた時代である。
その後は、毎年数百人程度になっていった。この間にエチオピア系のユダヤ人も、しっかりイスラエルの社会の一員になってきた。欧米の生活に徐々に慣れ、イスラエルで生まれ育つエチオピア系のユダヤ人たちも従軍し、大学にも行って、社会で活躍する人も出始めている。2003年には、プニナ・タマノ・シャタ氏(青白党(国家統一党))が、初めてエチオピア系の女性議員として、国会入りを果たした。
しかし、皆がそういうエリートコースを歩んでいるのではない。エチオピア系ユダヤ人の就学率、就業率は、一般のイスラエル市民より低く、貧困率も高い。暴力を伴う、人種差別も問題になっている。
しかし、エチオピアでは、その後も内戦や飢饉が続くため、イスラエルに移住したいユダヤ人がまだ数千人はいるとされている。イスラエルに移住したエチオピア系の人で家族がまだ、エチオピアにいる人もいる。
2016年に政府は、再びファラシャ・ムーア9000人を、5年計画でイスラエルへ移住させる計画を発表した。これに伴い、政府は、エチオピア系のタマノ氏を、移住相に使命し、その後、数十人から数百人単位で、コロナ禍でもエチオピアからイスラエルへ到着するようになった。
2022年2月、イスラエルの最高裁は、エチオピアからの移住は完了だとして、移住作戦の終了を宣言したのであった。
しかし、エチオピアからは、まだ移住できていない人がいるとして、扉を開けるようにとの訴えが続き、その後も、エチオピアから到着する移住者は続いている。2022年6月に180人、7月に500人、2023年2月に95人、5月に111人が到着していた。
石のひとりごと
イスラエルは、ともかくも命を助けるので、先の先までみこして、助かる命を助けないことはない。ネタニヤフ首相がいうように、ユダヤ人ならともかくも見捨てないというのが基本姿勢である。従って、後々に、問題は出て来るのだが、それはその時になんとかするというのが国風である。
だから、日本や韓国のように、子供の(将来の)教育費がないといって、子を産み控えることもないということである。しかし、直面する問題は、常に厳しいということにはなる。