神殿崩壊記念日-アラブとユダヤどちらも断食 2013.7.17

今年も今日15日日没から16日日没まで、ユダヤ人の神殿崩壊記念日(ティシャ・ベアブ)だった。

第一、第二神殿と、神殿が2回も破壊されたことを悲しみ、ホロコーストにいたるまでユダヤ人に降りかかったすべての災難を思って断食し、神の前に悔い改めの祈りを捧げる。

この日は、15日夜中中、床に座って「哀歌」が独特のリズムをつけて読み上げられる。ティシャ・ベアブの間は、哀歌の他、ヨブ記、エレミヤ記など悲しい書物以外の聖書は読んではならないとされている。

嘆きの壁では、ティシャ・ベアブの始まりから翌朝まで、祈りを捧げる人でいっぱいになった。

<意外にテルアビブも断食!?>

ティシャ・ベアブは世俗派にはどこふく風かと思ったら、エルサレムでは町の80%ぐらいは店が閉まり、道路もがらがらだった。意外に多くの人が断食しているか、世間体か・・!?

神殿などどうでもよいと思っていそうなテルアビブだが、意外にも50-60%の店は閉まり、道路もいつもよりかなり空いていた。イスラエル人、思ったより神に目をむけているかも!?

<けっさく断食明けの嘆きの壁広場>

16日断食修了直前には家族連れでいっぱいとなっていた。午後8時20分頃、断食があけた瞬間、嘆きの壁広場が、一瞬にしてピクニック会場となった。おもしろいほどにいっせいに食べたり飲んだりしていた。

”ミツバ(チャリティ)でケーキ(といっても日本のようなケーキではなく、長方形のパウンドケーキを四角く切った感じ)とコーヒーを1人でふるまっているおじさんがいた。

その回りには黒服の正統派の人々(大人)でかなりの人だかりだった。おじさんがケーキを切っている間、それを全員が穴があくほど凝視し、切り終わるといっせいに手が出てきて、奪い合うようにもらっていた。

何か特別なケーキなのかと聞くと、「断食明けだから(お腹が空いている)・・」との返答だった。

<悲しむ日から建てあげる日へ>

昔ラビ・アキバは、燃えさかる神殿を見て泣いている人々の中にあって笑い「落ちるところまで落ちた。ここからは上るのみ。」と言ったという。ティシャ・ベアブは灰をかぶって悲しみ、悔い改める日ではあるが、そこから立ち上がる日だとユダヤ教は教えている。この断食明けには「ゲウラ・ヤボウ!(救いが来る!)」と挨拶をする。

<神殿の丘へ入れないユダヤ人の不満全開>

ティシャ・ベアブは神殿に関係する日であるため、多くのユダヤ人が神殿の丘へ入りたい。しかし、ティシャ・ベアヴはたいがいイスラム教のラマダンと日程が重なる。

神殿の丘いっぱいにひろがって祈りを捧げているアラブ人のところへユダヤ人が入ったら、暴動になる。そのため、イスラエルの警察は、ユダヤ人の方を立ち入り禁止にする。

これがユダヤ人には不満でならない。なぜイスラム教徒は無条件で神殿の丘へ入れるのに、ユダヤ人は入れないのか。そろそろこの伝統を変えるべきだと訴える。

15日もユダヤ人のグループが神殿の丘へあがったところ、ラマダンで神殿の丘に来ていたアラブ人がざわめきはじめた。暴動になりそうになったため、イスラエルの治安部隊は、ユダヤ人たちを早々に退去させて無事だった。

16日朝には多数のユダヤ人が神殿の丘への入り口へ押し寄せたが、警察は入場を許さなかった。

なお、16日、断食が終わって帰宅しようとしていた正統派の男性が、ダマスカス門付近で、アラブ人2人に胸などを刺されて病院に救急搬送された。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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