イスラエルガザ国境付近の町を訪問して 2012.11.21

<ガザから1.2キロ・・スデロットの住民>

エルサレムから南へ1.5時間ほどにある町スデロット。ガザからわずか1.2キロのところにある。写真はスデロットから見えるガザ。昔はスデロットからガザのビーチへ自転車で行っていたという。

先週14日に「雲の柱作戦」が始まって以来、学校もビジネスも休み。皆、シェルターに入っているのか、町はひっそり静まりかえり、屋外で人をみることはほとんどない。それでも洗濯物は干されている。ミサイルの合間に干したのだろう。

緑豊かな美しい町並みだ。こんな閑静なところにミサイルが落ちてくるのかと、いかにも不自然な感じがした。

<警報ツェバ・アドン(赤色)>

20日午前11:30ごろ、私たち報道陣は、10分前にロケット弾が着弾したという現場にいた。建物に近い道路に5穴が空いており付近に金属片が飛び散った後があった。100メートルくらい離れてこの地点に面するアパートのガラスが、爆風で粉々になっていた。幸い、被害者はなかったもよう。

写真を撮っていると、付近に住むユダヤ教正統派の男性が、片言の日本語で話しかけてきた。以前、東京に3年住んでいたという。と突然、警報「ツェバ・アドン」と繰り返される低い女性の声。

あわてて、それぞれ付近の家のシェルターにかけこむ。蜘蛛の子を散らすとはまさにこのことかといった光景。スデロットでは警報が鳴ってから着弾まで15秒しかないのだ。

走っている間、不謹慎だが大人の鬼ごっこのような気がした。しかし命をかけた鬼ごっこだ。走りながら、一瞬、どこか地震や津波の警報の恐ろしさに似たものを感じたような気がした。

シェルターに駆け込むと同時に爆音が聞こえた。付近の住民宅にあるシェルターは、わずか3畳くらい。そこにカメラを抱えた報道陣が満員状態。安全が確認されて出ていくと、先の日本語を話していた男性が警察にエスコートされて救急車で運ばれていくのが見えた。

住民はこの警報、走る、の毎日を13年以上も続けている。いい加減にしてほしいと思うことが悪いだろうか。「ならばイスラエルはそこから出て行け」と世界は言うが、それもまた不条理ではないのか。

<コミュニティーの底力>

スデロットの後は、ガザから2.5キロ、エシュコル地方のキブツ・アルモニを訪問した。住民は500人。緑と花、果樹に囲まれた楽園のような所だった。この状況下でよくこれだけ管理する余裕があるものだと関心させられた。

しかし、スデロットもそうだが、このキブツもあまりにもガザに近く、警報が間に合わない。突然ロケット弾が着弾することもあるという。

こうした異常な状況下で子どもたちは育つ。夜中に起こされてシェルターに駆け込むことも頻繁にある。母親たちは、警報が夜中になると、熟睡しているティーンエイジャーの息子を起こすのかどうかから考えるという。

社会福祉士のエステルさんは子どもたちの心を守るため「ツェバ・アドン」という絵本を書いた。写真はその絵本からのスキットを披露してくれた子どもたち。

この子どもたちに「こんな危ないところから引っ越したくはないか」と聞くと、一斉に全員が「ここから離れたくない!」叫んだ。理由はここに彼らのキブツ、コミュニティーがあるからだ。

日本でも災害時にコミュニティーが一緒にいることの大切さが報告されているが、それはここでも証明されている。ミサイル攻撃にさらされながらも住民の顔には元気な笑顔があった(写真:キブツの女性たち)。

このキブツでは、ただ恐れて家にこもるのではなく、できるだけ一緒にすごすようにしているという。特に子どもたちは、兵士たちへの励ましのプレゼント作るなど様々なボランティア活動を毎日行っている。忙しくする。結果、キブツの子どもたちがPTSDに陥ることから守られているという。

写真はキブツに撃ち込まれミサイルの残骸で作られた大きな風鈴。手で触れると美しい音を出す。「恐ろしいものかから、美しいものを作り出すことは可能です。きっと平和がくると信じています。」とエステルさん。短い滞在を終え、私たちは今夜もミサイル攻撃を受けるであろうキブツを後にした。手を振って見送るエステルさんの笑顔が印象的だった。

帰り、ガザのボーダー付近で待機するイスラエルの大軍の一部が見えた。戦車もいる。地上戦にならないで解決が与えられるようにと願った。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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