イスラエル福音宣教の今:メノー・カリシャー牧師インタビュー 2022.11.26

ユダヤ人は、主にキリスト教文化を媒体にして拡大した反ユダヤ主義(キリストを十字架にかけろと要求したのはユダヤ人だったことからユダヤ人を悪魔とみなして差別・暴力にいたること)に1700年以上も苦しめられてきた。

このため、ユダヤ人がキリストを救い主と信じること、メシアニック・ジューになることは、最悪の裏切り行為であり、タブーであり、あるまじきことと考えられてきた。

しかし、イスラエルでは、20年前と比べると、メシアニック・ジューの数がほぼ5倍になっているという。(1999年:イスラエルでイエスを礼拝する教会に所属する人4957人(ユダヤ人2178人(61%)):2020年 25066人(ユダヤ人11436人(61%):カスパリセンター調べ)

エルサレムで、メシアニック・ジュー(イエス・キリストを救い主と信じるユダヤ人)の教会を導くユダヤ人のメノー・カリシャー牧師(60)に話を聞いた。

*エルサレム・アッセンブリー

創立34年。家の集まりからはじめて、現在、イスラエル人(ユダヤ人)信者が400人ぐらい。リーダーはメノー牧師を含め3人。昨年コロナで1人が召された。もう一人は、エルサレム郊外で開拓に出ている。もう一人は、無牧になった教会に派遣した。一人はアメリカに戻った。

リーダーの数は減ってはいるが、8人が長老として働いている。この人々は次のリーダーになる人々でもある。また、教会には、男性女性、さまざまな分野を担う17人いる。責任は私だけでなく、皆で決定している。

コロナの間もオンライン等で礼拝を継続し、人数は減らず、逆に増えたとのこと。また経済も祝福され、コロナの間に、開拓教会の物件を購入したが、借金はないとのこと。

非常に健全な教会運営ができているとメノー牧師は満足を語る。

イスラエルでイエスを信じるユダヤ人、その教会は増えている

イスラエルでイエスに信仰を持つユダヤ人の数、教会の数は、確かに増えている。40-50年前、イスラエルでイエスを信じていた家族は全国で100から150家族ぐらいだった。中心はベエルシェバ、エルサレム、ヤッフォ、ハイファだった。

その当時のビリーバーたちは、信仰を持つと同時に、社会だけでなく家族親族からも迫害されたため、“サバイバルモード”だった。信仰を守りながら生きることでせいいっぱいだったということである。

私はその2世である。イスラエルで生まれ育ち、軍隊に行き、この国で税金を払う世代だ。だから、この国で権利があると恐れず主張する。だから福音も大いに前に出している。福音を新聞にもネットでも、福音を大胆に表明している。第一世代はサバイバル、第二世代は福音宣教の世代ということである。

とはいえ、礼拝で人々がかけ集まってくるというわけではない。水がしたたるように、一人、また一人である。しかし、水がしたたるようなもので、しずくがおちつづけて、朝にはコップはいっぱいになっているいうことである。コップは5分でいっぱいになったというわけではない。24時間、しずくがおちている、これがイスラエルの教会の成長の様子である。

イスラエル聖書大学の校長エレズ・ソレフ氏が数年前、さまざまな調査のあと、イエスを信じるユダヤ人は、イスラエルに3万人いると言っていた。無論、イスラエルにも、見せかけだけのビリーバーもいるが、総数が増えれば、本物のビリーバーも増えていることになる。だから、教会にいてもまだ迷っている人々の救いのためにも祈っている。

教会とは何かということについては、地域に教会として知られているグループであり、明確な指導者、長老たちがいること。正式なNPOとしての登録と銀行口座もある。そういう教会は、イスラエルに140-150教会ある。

神学的に福音を論破できる若者たち:軍での扱いも変化

日本やアメリカなど諸国では、イエスを信じて大喜びになるが、イスラエルではそうはならない。イスラエルで福音を信じる人々は、愚かな異端、偶像礼拝者とみられるので、なぜ自分は福音を信じるのかを正確に防衛、反論できなければならない。だから教会での説教も福音を論証することが多くなる。

イスラエルでは、特に若者や子供たちの間では、クリスチャンの生き方ではなく、正確な論証で救われる場合が多い。このため、ユース1000人いたら、少なくとも半分は、神学的に福音を論証できるようになる。信じる者たちが、もはや隠れることなく、正確に論証するので、結果が出る。救われる人が増えて、教会に来る人も増えるということである。

イスラエルでは、若者たちが多く救われている。私の時は、軍では、治安上、まったく信頼されていなかったので、イエスを信じている人が従軍できないということもあった。だから部隊では私一人だった。部隊から部隊への移動は、上官からの特別な許可が必要とされた。私の兄は、ミサイル搭載船の高官だったが、他の同級は出世していく中、兄だけは大尉までとされた。なぜなのかを聞くと、軍は、「私たちはあなたたたちをどのように扱ったらよいのかわからないのだ。」と言った。

しかし、年月が経ち、メシアニックの若者たちが従軍し、信頼できる人々だということが、認められるようになった。今では、戦闘部隊の隊長や、戦闘機のパイトットにもなれている。私たちの教会からも、今現在従軍している兄弟姉妹が12人いる。廊下の写真が貼ってあって、皆にい祈ってもらっているが、彼らは皆、部隊の中で、福音を分かち合っている。

軍隊ではまず、自分のことを話せと言われる。そこで自分の信仰を隠すこともできるが、彼らはそうはしない。12人全員は、それぞれの前にいる数百人を前に、自分の信仰を証した。だから福音が軍の中で広がっている。たとえすぐ反応しなかったとしても、従軍の期間中、ビリーバーたちの生き方を見る。そこに自分にないものがあり、それが自分が求めているものであることを発見する。これが福音伝道なのだ。

だからこんなふうに、社会のあらゆるところで、福音が拡散されている。

多様なイスラエル社会での福音宣教

ただイスラエル社会は、最近は多様性に寛大になっており、特にLGBT(同性愛)にオープンになっている。だから、イスラエル人は今もメシアニックの我々を嫌ってはいても、その人の自由だからいいだろう。ただ誰にも押し付けないなら、好きにしてくれという感じだ。イエスを信じたらユダヤ人ではなくなるという考え方は今もある。しかし、たとえユダヤ人でないとしてもイスラエル人だという考え方になっている。

家族に反対されている人はいるが、社会から追放されたり、殺されるようなことはない。時代が変わり、生活が改善し、選択肢も増えたことによる。しかしながら、もし職場の上司が、ユダヤ教正統派であった場合は、難しいことになる可能性は高い。

救いの法則、作戦はない:神の主権のみ

救いは、ローマ10:14-17にあるように、聞くことに始まり、信仰によって受け取ることで得られることが原則で、ここにユダヤ人と異邦人の差はない。ただどんな方法で、福音をもたらすかは、主の方法はいろいろだ。イスラエルでの方法が日本でうまくいくとは限らないだろう。

たとえば、私なら絶対に子供たちには見せないといった映画に行っていて、一瞬で語られた福音で人生を変えられるといったこともありうる。神は、予想外の異様なことをも用いられている。交通事故を通して救われたり、朝起きてふいに、神はいる。私は変わらなければと思うと言った具合だ。たまたま読んだ聖書のひとことが心を砕くこともある。今いくつか紹介したけれど、神は言われる。その方法は際限がないと。

神は、私たちの想像をはるかにこえて、あらゆることを通して、人々の注意をひかれ、福音をもたらされる。ローマ書8:29-30にあるように、主が選んだ人の目を開くのは主ご自身である。

1995年、数週間の間、新しい人が一人も来ないという時があった。胸が苦しかった。ちょうどその時、南バプテスト連盟で働く友人から連絡があった。連盟が年に一度のリーダー集会をイスラエルでするので、「どうしたらミニストリーの中で多くの実を得ることができるのか」というテーマでメッセージしてほしいという。(メノー大笑い)ちょうどそれで悩んでいた時である。

その瞬間、神が使徒の働き2章を頭にたたきつけた感じがした。大勢が加えられたと書いてある。彼らは何をしたのか?まず、聖書をのことばを学んだ。聖餐式を守った。共に祈った。共に助け合い、愛し合った。だから宣教に作戦とか手法は不要だ。作戦は状況にそって毎回かえなければならないが、神はそんなものは持ってない。

どうやったら子供は育つのか?食べ物を与え、愛し、服を着せて保護する。自然に成長していくのだ。だからそれを実践した。そうしたらすぐに新しい人々が来るようになった。だから作戦ではない。そこに力を入れすぎないほうがよい。エペソ4:16やあちこちで聖書がそう言っている。神が自然に増やされるのだ。

愛し合い、助け合い、聖書のみことばを教えることに忠実であること。私たちが考えることではなく、神が考えることに忠実にということである。その結果は、成長である。どうやって?それは神の範疇のことである。

福音は異邦人からなら聞く忍耐はある

イスラエルでも、信じていない友人を教会に連れてくることはあるが、少ないだろう。ユダヤ人がユダヤ人から福音を聞くということには大きな障害がある。なぜなら、君はユダヤ人なのになぜ偶像礼拝をするのかという思いが先立つからである。だからユダヤ人から福音を聞いても、そのまま受け取ることは容易くない。

その点、異邦人クリスチャンであれば、その人から福音を聞いてもすぐに拒絶することはない。異邦人なんだから何を信じてもいいわけである。だから忍耐を持って聞くことになる。実際、多くの若いイスラエル人は、従軍後、バックパッカーとして世界中に出ていくが、そこで福音を聞いている。

その後考えながら帰国して、インターネットで調べて教会に来て、救われる人もいる。異邦人がユダヤ人の救いの備えをしているということである。ただそれがすぐになになのか、何十年もたってからなのか、そこに法則はまったくない。主は、大きなオフィスをかまえていて、すべてを動かしておうられる。法則を求めるということは、そこへ入って、こうなるべきと、主に言うようなものだ。主はすばらしい仕事をされている。主に任せておくのが一番よい。

実際にところ、今見えていることはあるが、それがすべてではない。私たちは神がなさっているすばらしいことを全部みてないということだ。

祈ってほしいこと

指導者たちを覚えて祈ってほしい。何をすべきかがぶれず、主に聖なるものであり、神のみこころに忠実であるように。金やプライドといった世の罪に流されないように。そういうことがおこれば、他のすべての教会にとっての惨事になる。サタンはそれ狙っている。私と私の家族が、主の前に聖くありつづけるようにいのってほしい。

次に教会が、イエスのようでありたいと願い続けられるように。よき教えに励まされ、互いに愛し合えるように。互いに霊的なニーズを補い合えるように。

日本の教会へメノー牧師より

イエスさまにフォーカスし、神のことばを教えてください。イスラエルの救いのために祈ってください。もしユダヤ人をみかけたら、福音を伝えてください。ユダヤ人を攻撃していると思わなくていいです。ユダヤ人にみなさんができる最高のことは、福音を伝えることです。愛を持ってどうかそれをしてください。日本のキリストの体である教会のみなさん、主が続けてみなさまを祝福してくださるように。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。