シリアの空爆、イスラエルのゴラン高原空爆。神殿の丘では、治安部隊とパレスチナ人が激しい衝突。ガザからのミサイルがアシュドド上空で撃墜。イスラエル軍ハマスへ反撃・・・とかなりきな臭いニュースが続く。
しかし、エルサレム市内はおおむね平和そのもので、30日水曜朝の「祭司の祈り」には今年も群衆が来て皆で祈ることができた。Yネットによるとこの日、嘆きの壁に来たユダヤ人は5万人。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4705466,00.html
仮庵の祭りはその最初と最後の日だけは、安息日扱いとなるが、その中間は、若干休暇ムードの中での仕事日といった感じである。政府機関などではまるまる8日間休みのところもある。
人々は家族を訪ねたり、仮庵の中でお茶や食事の時をもっている。国際クリスチャンエンバシーの仮庵のカンファレンスも祝福されている。明日はパレードの予定。
こうした中、旅行者の方々は、「以外に平和だった。」との印象を持って帰られる。記者としては複雑な心境を覚える。
平和に見えるのは、治安部隊がいるからであって、イスラエル情勢は、5分の後にどうなっているかはわからないものでもある。表面上は平和に見えても、イスラエルでは、事は確かに起こっているのである。
しかし、逆に、紛争で毎日、銃弾が飛んで来る状態でもない。ユダヤ、パレスチナ双方にごく一般の人々がおり、隣り合わせの中、それぞれが日常生活を平和に送っているのである。
先日、アラブのバスの中で、ツール・バヘルというアラブの村の住民と思われる母子に会った。この村は、最近、投石でユダヤ人を殺害した少年たちが逮捕され、テロリストが潜む恐ろしいイメージの村である。
しかし、バスの中の小さな少年は、母親に言われたわけではないのに、自ら笑顔で旅行者に席を譲った。
ニュースでは、イスラエルもパレスチナも”極悪”なイメージになるが、その背後には、大多数の「普通の人々」がいることも確かである。ニュースの難しさを覚える。
これからも双方の人々を覚え、とりなしの手を緩めないでいただければと思う。