のがれの町は今も健在か:パレスチナの部族制度:現地取材・走り書き 2017.9.19

聖書を読んでいると、部族の首領たちが集まって、様々なことを決めているが、そのシステムが、パレスチナ社会で今も生きていることが、ヘブロン南部の町、サイールでの取材でわかった。

パレスチナ人たちは、今はもう定着しているが、もとは放牧民で、ベドウィンたちもまだ数多くいる。そのため、パレスチナ社会には、家族、親族だけでなく、共通の利益で一つになった部族という社会システムが今も存在する。

個人は全くの個人なのではなく、家族、そして部族に所属する。もちろん、どこの部族に属するのかは自分で決められるものではなく、その群れにたまたま生まれ付くのである。

このシステムでは、個人でしたことの責任は部族全体が負うことになる。揉め事があると、関係者だけで解決ということはなく、部族全体にかかわる問題として取り扱われる。

特に部族間にまたがる揉め事は、部族間の争いに発展するため、族長どうしが相談し、ことを収めるのである。族長同士で決めたことは、必ず実行しなければならないという。

流れとしては、たとえば、もし部族間で、なんらかの揉め事があると、まず、加害者が、その公の前で罪を認める(アトワ)ということが行われる。そのあとは、その加害者と被害者の部族の長が、話し合い、補償金額を決めて、落着させる。金の引渡しは、必ず現金で公に行われる。

もし加害者とその家族が、補償金を準備できない場合は、部族全体が払う。たいがいは族長が払うことになるという。

パレスチナ人によると、アラブ社会では、罪人が刑務所へ入るというのは罰と認識されず、殺されるか、莫大な金を払わされるということだけが罰と認識されるのだという。どうりで、パレスチナ自治政府には、刑務所というものが、ほぼ存在せず、入ってもすぐ出てくるわけである。

非常に複雑で、わかりにくいが、パレスチナ社会には3つの法廷がある。まずはイスラム法シャリアで、主に結婚、離婚などを取り扱っている。次に上記のような族長による裁き、示談。大部分のもめごとは族長たちの間で収める。それから自治政府の法廷で、土地問題などを扱うという。

しかし、自治政府の法廷については、自治政府自体が設立された1994年以降にできたものにすぎず、結局族長の話し合いの方がはるかに効率がよく、権威もあるので、市民たちは、まずは族長に相談というのが普通である。

では自治政府の警察や法廷はどういう位置付けかだが、たとえば、犯罪のケースが警察、政府の法廷に来る前に、族長間で、すでに落着があった場合、罪はかなり軽くなるなどである。

パレスチナ人たちは、イスラエルが来るまでは、ヨルダンの法律の下にいた。そのヨルダンは、ベドウィンが多いため、結局はこの部族解決が優先している国で、いわゆる我々の考えるような法システムではなかった。

そこへ1967年、イスラエルがやってきてからは、イスラエルの”占領”下になり、まともな国の法廷が不在となった。このため、パレスチナ人たちは、揉め事を自ら解決しなければならなくなり、結局、こうした族長の示談というシステムが再び活発化したらしい。

しかし、こうした暗黙の部族法なるものでは、常に力の強い部族が、優位に立ってしまうのも自然なながれであろう。パレスチナ人たちの間では、この部族法に不満をもつ者もいるが、権威も実効力もあるのは、このシステムなので、しかたなしというところである。

<今もあるのがれの町>

聖書のヨシュア記には、あやまって人を殺した犯人についてはのがれの町が定められている。その中にシェケムがあるが、そのシェケム(ナブルス)は今ものがれの町としての機能が存在するようである。

族長間の話し合いで最も深刻なケースは殺人案件である。この場合、被害者の部族は、加害者の部族を全員殺すといった報復に出るという。これを防ぐために、まずは、加害者、時に部族全員を、”のがれの町”へ移し、それから、族長たちのが話し合いが行われる。

殺人であっても金に換算し、示談に持ち込む。自治政府がある現代では、一応、示談ののちに、殺人犯は警察が逮捕するが、金が支払われ、被害者との示談が成立していれば、たとえ殺人であっても、何年も刑務所に入るということはない。

これについて、パレスチナの族長たちは、「のがれの町へ逃がそうとしているのに、途中でイスラエルが検問しているので、間に合わないことがある。」と文句を言っていた。

イスラエルと、パレスチナでは、社会構造が、想像以上に全く別世界なので、あちこちでぶち当たるのもむりはない・・・とも思わされるところである。

さらに驚いたことに、サイールのパレスチナ人によると、殺人があった場合の報復というのは、すぐに発生するのではなく、30年も40年もたってから報復するのだとか。これもなんとも理解の域を超える価値観である・・・しかし、おそらく聖書時代は、これに近い感覚だったのではないだろうか。

ユダヤ文化だけでなく、パレスチナ文化もまた、聖書理解に有益なようである。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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