バチカン第二回公会議(1962-1965年)から50周年を記念して、木曜、カトリック教会のイスラエルとの関係やユダヤ人伝道に関する立場を、表明する文書が発表された。
基本的には、50年前の公会議で宣言されたことを、50周年を記念して正式に確認したものだが、公会議以降、カトリック教会と、イスラエルのラビ局を含む正統派ラビたちが、長い年月をかけて、互いに近づき、互いに理解しあおうと委員会を重ねた努力の結晶といえる。
*バチカン公会議
カトリックの様々な教義を策定する会議。第二回公会議は世界5大陸からの参加があり、世界12億人のカトリック教会の今日の教義がこの会議で定められたという歴史的な会議となった。第一回バチカン公会議は、1869年から1870年で、ヨーロッパのカトリックが集まって教会論などが論じられ、教皇首位などが決められている。
この文書について、イスラエルのメディアは、「カトリック教会はユダヤ人に伝道すべきでないと言っている。」というような表題で報じていた。
www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4737638,00.html
しかし実際にバチカンから発表された全文を読むと、ユダヤ教、イスラエル、キリスト教と創造主なる主との関係を、聖書から検証したものであり、その上で、どのようにユダヤ人に証すべきかを論じているのであって、ユダヤ人に伝道すべきでないというものではなかった。
文書は、人類の救いの計画は創造主とアブラム(アブラハム)との契約に始まり、モーセとの契約と、イスラエルと神との契約が土台となっているとする。その契約の完成として新しい契約(エレミヤ書31:31)である福音が与えられたと述べる。
イスラエルと神の永遠の契約を否定する事はすなわち、キリスト教の救いそのものを否定することであると述べる。
さらに、文書は「神のたまものと召命は変わる事はありません。(ローマ書11:29)」という聖書の言葉をもって、イスラエルが神に特別な役割に選ばれていることを認め、置換神学を完全に否定している。
また、現代におけるキリスト教とユダヤ教は全く別ものになっているが、元はどちらもイエス時代のユダヤ教(現代のユダヤ教とは異質)から発しており、両者はいわば、イスラエルを兄とする兄弟であるとする。
今後、カトリックは、信者や子供たちへの教育の中に、キリスト教のユダヤ教のルーツや、イスラエルに関する項目ももりこんでいくとのことである。
注目される点は、イエスの十字架と復活が、ユダヤ人も含めて人類に与えられた唯一の救いであるという福音の真理は否定していない点である。
カトリックは、ローマ書11章に書かれているオリーブの木とそれに接ぎ木された枝(異邦人)のビジョンから、ユダヤ人もまたこのイエスの福音によって救われ、やがて、クリスチャンとユダヤ人がイエスにあって一つになる時が来ると信じる。しかし、それがどのように実現するのかは神のみが知るところのミステリーであると述べる。
これをもって、カトリック教会は、永きに渡り歴史的行って来た、ユダヤ人はイエスを殺した罪人だからという理由での組織的な強制改宗を完全に放棄すると述べる。
しかし、同時に、クリスチャンは、それぞれが、ユダヤ人に対してもイエスを証するものでなければならないとも述べている。
つまり、カトリック教会は、ユダヤ人に対する組織的なミッショナリー的伝道活動、ならびにそれらの支援活動は放棄するものの、クリスチャンそれぞれの生き方による証は続けるべきであると言っているのである。
この文書の目標は、キリスト教、ユダヤ教それぞれが歩み寄り、互いの理解を深めることが一つであると述べている。確かに、この文書をイスラエルのチーフラビも賛同したとしたら、画期的といえるかもしれない。
また、カトリックは、世界で台頭し始めている反ユダヤ主義と断固戦って行くとの姿勢をこれまでになく明らかにしたため、イスラエルからは、カトリックの歴史上初めてのことと、高く評価されている。
英語で長文だが、興味のある方はぜひ全文をお読みになり、判断されることをお勧めする。
www.news.va/en/news/vatican-issues-new-document-on-christian-jewish-di
<イスラエルの反応>
イスラエルのチーフラビ局の宗教間関係アドバイザーのラビ・ラビッド・ローゼンは、このカトリックの公式発表を歓迎すると表明している。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/204748#.VmuymqUWnA8
一方、反宣教団体ヤド・ラヒムは、カトリックが組織的な宣教活動を放棄するといっていることについて、「なにも新しい事はない。」と言っている。カトリックは、この文書が発表される前から、すでに、何十年もユダヤ人に対する宣教活動を行っていない。
問題は、カトリックではない。プロテスタントやメシアニック・ジューが”詐欺まがい”の宣教活動を行っている。(ユダヤ教シナゴーグにみせかけて実はメシアニックの集会であることをさしている)
したがって、反宣教団体としては、「カトリックの発表によって何かが変わるということはない。」と言っている。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/204753#.Vmscq6UWnA8
*反宣教団体ヤド・ラヒム
イスラエル国内でユダヤ人を対象としたクリスチャンやメシアニック・ジューの宣教活動を監視、妨害するユダヤ教団体。移民局ともタイアップしており、危険分子と思われる者をイスラエルから追放することも行っている。
<石のひとりごと>
このカトリックの文書には少々、驚かされた。カトリックには、マリア信仰など、ユダヤ人はもとより、プロテスタントにとっても、受け入れがたい偶像礼拝もあるが、この文書で明らかにされている神学は、プロテスタントやメシアニックジューのイスラエルに関する神学と違和感がない。
この文書が強調するのは、カトリックはユダヤ人、またイスラエルとの関係を強化したいという姿勢である。実際、最近のイスラエルでのカトリックのイメージは改善しつつあるようだ。
最近、ガリラヤ湖やエルサレムのキリスト教会を訪れ、この別物文化を学ぼうとするユダヤ人ツアーグループをみかけるようになった。キッパやツィツイットをつけたユダヤ人グループが、カトリックの神父の案内を熱心に聞いているのである
イースターでは、大混雑のビアドロローサで、十字架をかついで歩いて行くキリスト教徒たちをみながら、ガイドがヘブライ語でイースターについて説明していたりする。クリスマスには、興味でカトリック教会にユダヤ人が、来るようになっている。
カトリックは見るからにキリスト教徒であり、まったく異文化。ユダヤ教とは一線をひいている別物で、”興味深い”対象なのである。いずれにしても、相手を知ろうとしているのはカトリックだけでなく、ユダヤ人側も同じだということである。
一方で、アメリカ系の福音派クリスチャンシオニストに対する嫌悪感や物笑いをあらわにするユダヤ人のコメントも聞くようになった。イスラエルに対する彼らの好意に感謝はしているのだが、熱心するすぎる人々が目立つからである。
また政治的にイスラエルを声を大にして支援するので、パレスチナ人の手前、非常にまずい状況になる場合もある。
最近、イスラエルでは、自分がなにものか、何を信じているのか、知恵をもって明らかにしなければならないと感じる。隠すことはしないが、表には出ない、内からあふれる何かがなければ、ただの空虚な宣伝になってしまうからである。
ユダヤ人たちは、歴史的にもサバイバルしてきたので、本物や本当に役立つものを本能的に見分けている。ごまかしはいっさいきかない。
このカトリックの文書がいうように、クリスチャンそれぞれが、主とつながり、生きた本物の証をしていれば、ユダヤ人はすぐにみわけて、自らその背後にあるものを探し始めるだろう。
うわっつらやことばだけでなく、内からあふれる主の器になりたいものである。