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第75イスラエル独立記念日
イスラエルでは、18日のホロコースト記念日、25日の戦没者記念日が行われ、痛みを共有する。その日の日没には、ヘルツエルの丘で、悲しみから、独立の喜びへの移行を祝うイベントが行われる。
今年は、4月7日に妻と2人の娘を、パレスチナ人のテロで失ったラビのレオン・ディーさんが、悲しみを締めくくる祈りを行った。レオンさんは、この祈りを捧げることで、国が犠牲者家族に敬意を払ってくれていることを感じると語り、悲しみから喜びへと続く祈りを捧げたのであった。
レオンさんは、「私たちは過去ではなく、将来に、国の将来に目を向ける。」と語っていた。しかし、最愛の3人を殺したテロリストはまだ捕まっていない。それでも、レオンさんは、そのことには触れず、ただ国のために祈りを捧げたのであった。
この直後から、イスラエルは、花火を上げての国を上げての75回目の建国記念日のお祝いとなった。極端といえば、そうとう極端である。イスラエル人ですら、そういうのであるから、相当裏表のお祝いに入るということである。
日本で言えば、かつての紅白歌合戦のような国民的イベントである。ステージでのショーはかなりハイレベル。人気の歌手たちも続々登場する。
この他、全国各地でもイベントが行われた。その後、エルサレムでは、多くの人々が町に出て、イスラエルの旗を掲げてこの日を祝った。風船で叩き合ったり、スプレーを掛け合う若者もいたが、かつてよりは少なくなっていたかもしれない。
エルサレムの通りには、綿菓子屋さんや、あめりんご、イスラエルの旗関連グッズの店がいくつか出た他、あちこちに大音量で、音楽を鳴らして若者たちが踊っているのだが、音がかぶさって、もうてんやわんやの感じ。その中でも小さな子供連れもおり、夜遅くまでつれまわしている。これぞ、バラガン(大混乱)だが、それを楽しんでいる。以下はテルアビブ地域の様子。
翌26日は、国の祭日で、人々はこぞって、近くの公園や、テルアビブでは、ビーチでバーベキューを行った。その上空をイスラエル空軍の戦闘機などが、飛行して人々は歓声をあげていた。
大統領官邸では、ヘルツォグ大統領、ネタニヤフ首相、ギャラント防衛相が出席する中、昨年貢献した120人の兵士への表彰が行われた。
続いて、今年もネタニヤフ首相が、イスラエル政府が提供する、国際バイブルクイズ大会に出席。今年の優勝者は、女子でゲデラ在住のエムナ・コーヘンさん(16)であった。女子が優勝するのは、史上初とのこと。
総人口975万7000人:昨年から21万6000人増(中央統計局データ)
建国から今年75歳を迎えるイスラエル。人口は、世界先進国とは逆に増え続けており、昨年1年で21万6000人増えて972万7000人となった。1948年の独立戦争の時の80万6000人からすると12倍となった。2030年には1100万人を突破する見通しである。
新生児は18万3000人で、新移民は7万9000人だった。イスラエルへ移住した人は、建国以来330万人だが、その約半分にあたる150万人は、1990年代以降にやってきた人々である。またイスラエル人だが海外で生まれて、イスラエルに戻って定住した人は14万9000人。
総人口のうち、ユダヤ人は73.5%で714万5000人。アラブ人は21%で204万8000人、その他は5.5%で53万4000人。日本とは正反対に総人口の28%が14歳以下で、65歳以上は12%と、完全にピラミッド型で、今も変わらず、イスラエルは若い国である。
イスラエルにいるユダヤ人は、全世界のユダヤ人の46%を占めている。