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9月8日、イギリスのエリザベス2世女王が逝去された。新しく選出されたリズ・トラス氏をを6日、首相に任命した直後であった。在位70年あまりと、イギリス史上最も長く女王として国民とともに生き、国民だけでなく、海外からも親しまれた女王であった。
女王の逝去に伴い、チャールズ3世(73)が、自動的に即位し、9日、イギリスと、コモンウェルス(カナダ、ニュージーランド、オーストラリア)で、新国王として正式に即位の宣言がなされた。
この後、チャールズ国王は、週明けの12日に、4英国連合のイギリス、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを訪問する。
これからの激動の時代を前に、イギリスは新しい国王、新しい首相で、出発していくことになった。
国葬(19日)までのスケジュール
11日、エリザベス2世女王の棺桶は、スコットランドのエジンバラ、ホリーロードハウスの宮殿に6時間かかって運ばれた。道中は、見送る市民でいっぱいになっている。以下はエジンバラに到着する女王のお棺と見守る人々の様子
続いて、13日(火)、飛行機と車でロンドンのバッキンガム宮殿へ移送される。その後、女王の棺桶がロンドン市内を回って、15-18日まで、ウエストミンスターの議会ホールに安置され、市民たちが、列をつくって順番に女王に感謝と別れを告げる時となる。
18日(日曜)、葬儀出席の各国首脳のためのレセプションが行われる。その翌日19日(月曜)、ロンドン中央にあるウイストミンスター・アビー(王室教会)で国葬が執り行われる。その後、ウインザー城の聖ジョージチャペルに移動し、儀式が行われた後、夫であった故フィリップ王子の隣に葬られる。そこには、歴代の王室の人々も葬られている。
*国葬に出席する世界の首脳たち
日本からは天皇皇后が出席する。イスラエルからはヘルツォグ大統領が出席する。フランスのマクロン大統領が出席を表明。その他はまだ報じられていない。クレムリンによると、プーチン大統領は葬儀には出席しないが、女王逝去にともなう挨拶のあと、世界首脳の中では一番乗りでチャールズ国王に祝辞を送ったとのこと。
エリザベス女王とイスラエルの関係:義理の母はユダヤ人を助けた諸国民の中の正義の人
故エリザベス女王は、1926年生まれで、即位は1952年(戴冠式は1953年)。在位70年余りである。この数字を見れば、エリザベス女王の人生とイスラエルの国としての歩み(74年)がぼぼ並行していたことがわかる。女王の人生の中に、イスラエルの歴史もまた重なる部分がいくつかある。
イギリスは、第一次世界大戦後の1918年、パレスチナ地方をオスマントルコから解放し、ユダヤ人がエルサレムへ戻れるようにした国である。その後1920年から1948年までの28年間、イギリスは、パレスチナ地方の委任統治を行った。今のイスラエルには、トルコ文化と共に、イギリス文化の深い足跡が残されている。
1933年からはホロコーストとなり、多くのユダヤ人が、パレスチナに逃れようとしたが、イギリスは、アラブ人との紛争を避けるため、ユダヤ人のパレスチナへの移住を厳しく制限した。しかし、イギリス本国では、ユダヤ機関はじめ、ユダヤ人組織は、ドイツやヨーロッパから逃れてきたユダヤ人の子供たちを受け入れて、その命を助ける場として用いられている。エリザベスはこの動乱の時期に成長期を過ごしたということである。
エリザベス女王が、ギリシャ王室のフィリップ王子と結婚したのは1947年。このフィリップ王子の母、アリス王女は、ギリシャ王室に生まれたが、難聴で、読唇術を使う人として知られる。結婚後、4人の娘と1人の息子に恵まれた。この息子が後にエリザベス女王と結婚したフィリップ王子である。
アリス王女は、心の病も経て、ギリシャ正教で献身して修道女になり、ギリシャで、貧しい人々を助けるようになった。そうした中、知人のユダヤ人一家をナチスから匿っている。この功績により、イスラエルのヤド・ヴァシェムは、1993年、諸国民の中に正義の人を授与している。
www.yadvashem.org/righteous/stories/princess-alice.html
1969年に没後は(享年84歳)、本人の希望で、エルサレムのオリーブ山にある、マグダラのマリアの教会(ロシア正教)に葬られた。
こうした中エリザベス女王が即位したのは1952年。イスラエルが建国した4年後であった。それから70年余り、女王は、イギリス国内のユダヤ人社会とは、よい関係を築いた。しかし、イスラエルに来ることは一度もなかったという。
理由は、今のパレスチナ問題が、長いイギリスの委任統治時代と関係が深いことから、女王のイスラエルへの公式訪問が、政治的な不穏をもたらすと考えられていたとのこと。次世代のチャールズ3世(当時皇太子)は、2016年の故シモン・ペレス首相の葬儀の際に、イスラエルを訪問し、ホロコーストサバイバーにも会っている。
石のひとりごと
ゴルバチョフ氏に続いてエリザベス女王もこの世を去った。いよいよ先の見えない新しい時代の始まりを印象づけている。ゴルバチョフ氏もそうだったが、エリザベス女王も、さまざまな苦難の中、使命を果たしきった人であったと感じた。特に最後、トラス首相の任命もきっちり終えての旅立ちだったのに感動した。
イギリスでの国葬も、もう1960年代からその手順が決まっており、「ロンドン橋落ちた」という愛言葉で、すべてがテキパキと準備されたという。ちなみにチャールズ3世の新国王就任手順の合言葉は、「スプリングタイト(大潮)」とのこと。
日本は安倍首相の国葬論議が、統一教会論議に発展し、どろどろ状態である。まあ日本でも、天皇の葬儀については、イギリス同様なのであろうが、首相の場合は、どうも、まだ法的にもしっかり定まっていなかったようである。
敗戦国としてのツケが今、さまざまなところで、吹き出しているようにも思える。米軍占領時代から、まだ本当の意味での自立が、まだこれからなのかもしれない。
www.jiji.com/jc/article?k=2022091000183&g=int
あと、エリザベス女王の亡き夫、フィリップ殿下にも感動した。男性として女王の夫に徹することは、プライド的にも難しいことではなかっただろうか。殿下は本当に女王を愛しておられたのだろう。
その姿は、イエスの母マリアを守り、イエスの出産を守ったヨセフも思い出させられる。自分はまったく表には出ないのだが、ヨセフがいたからこそ、マリアは、ベツレヘムまで移動しながら、無事にイエスを出産し、育てることもできたのである。
ナザレには大きなマリアを記念する教会があり、そのすぐ横に小さい、ヨセフを記念する教会もある。ガイドするときは、ヨセフの偉大さを語ったものである。