イスラエルは4回の総選挙の後、ネタニヤフ首相が組閣を任せられたが、過半数を確保する政府をたちあげることができなかった。このため、リブリン大統領は、ライバルの中道左派未来がある党のラピード氏に組閣を委ねた。それが、5月4日であった。
左から未来がある党ラピード氏、ラアム党アッバス氏、ヤミナ党ベネット氏、リクード党ネタニヤフPhoto: Reuters,
その後ラピード氏は、右派ヤミナのベネット氏を説得。先に首相の座をゆずる形での交代プログラムを作り、右派左派、またさまざまな種類の政党がともに立ち上げる超多様な連立政権の立ち上げを急いだ。
右派左派共存の政府に合意できない右派議員が、ベネット氏のヤミナから脱落し始めたからである。
ネタニヤフ首相勢が右派議員に脱落を呼びかけていたともいわれていたこともあり、時間がたつほどに、脱落者が出る可能性があった。
そんな中、アラブ政党のラアム党アッバス氏が、連立政権には入らないが、国会では、ラピード・ベネットチームの政府に常に合意票を投じるという、外からの協力体制を約束する方向で交渉が始まった。
ラアム党は、これに協力するにあたり、イスラエルのアラブ人社会への治安維持を増やすなど様々な条件を出し、ラピード氏、ベネット氏と交渉をはじめたのであった。こうして、11日、12日ぐらいには、政権構想ができあがるのではないかとの見通しになっていたのであった。
ところが、その直前の10日あたりから東エルサレムでパレスチナ人とイスラエルの治安部隊との衝突が始まってしまう。アルアクサモスクが問題の焦点に挙げられてしまうとラアム党が、ユダヤ人政党に協力することが難しくなった。そのうち、ガザからはロケット弾が発射され、イスラエル軍が反撃し、今の状況になったのである。
ラアム党アッバス氏は、イスラエルのアラブ人なので、まもなく、ラピード氏、ベネット氏との交渉を保留にすると発表。こうなると過半数にはとどかなくなる。するとこれに続いて、ベネット氏が、この事態になってはしかたがないとして、リクード(ネタニヤフ首相)に協力すると表明。リクードとの交渉を再開したのであった。
www.timesofisrael.com/bennett-rules-out-change-govt-amid-national-unrest-renews-talks-with-likud/
結果的に、事態は大展開。この建国最大とも思われる国難を超えるリーダーとして、事実上、ネタにタフ首相が続投したままになったのである。さらに、国防相は、元イスラエル軍参謀総長のガンツ氏である。
ネタニヤフ首相を支持するわけではない。彼の政策がうまくいかないことも多い。しかし、記者として一点感じることは、ネタニヤフ首相のイスラエルを守るということに対する執念ともいえる本気があるということである。そこまでの執念がある政治家は、現時点では他にはいないかもしれない。
ネタニヤフ首相は汚職で裁判中だが、いわゆる日本の政治家が賄賂を着服するというタイプとはちょっと違う。そこにあるのは、自分にしかイスラエルをまもれないというような確信があるのかとも思えるほどの、首相の立場にいつづけるための汚職とでもいえるだろうか。(全部はわからないが)
この執念に近い、本気を見て、主がネタニヤフ首相を首相、いわば、今、この時のイスラエルの王として存続させたのだろうか。
いずれにしても、この混乱にあっても、イスラエルについては、まだ主がすべてを支配しておられるということを感じさせられている。