中東・世界、特にイスラエルの周囲はかなり騒々しくなってきたが、エルサレムでは、今年も8日から、平和な仮庵の祭りを迎えた。
<仮庵のエルサレムの風景>
8日日没からは仮庵の祭り。午後7時に家を出て、知人宅へ向かった。なだらかな谷に階段状に閑静な住宅が並び、その向かい側には最近できた近代的なマンションもある。多くの家がバルコニーに仮庵を建てて、その中ですでに食事が始まっている。
仮庵は細い柱と布で建てられた四角形の、いわば即席のぼろ屋。屋根は、中からでも星が見えるようにと、なつめやしの枝をすけすけに乗せるだけというのが特徴だ。だんだん畑状に建てられている住宅の上に下にと、あちこちのバルコニーに仮庵がり、あかりがもれて、いかにもほのぼのとしている。
歩いていると、あちこちから聞こえるかちゃかちゃという食器の音と楽しげな会話。子供たちの笑い声。お母さんの声。夜が更けてくると、男性たちが大声で祈りを調べに乗せて歌っていたりする。イスラエル人のこうした様子は、聖書時代も今もきっと雰囲気は同じだったのではないかと思う。
そう思って歩いていると、突然、イスラムのアザーンが聞こえて来た。この地域はエルサレムの中の、No Man’s Land と呼ばれ、正式にはイスラエルでもなく、パレスチナでもないといわれている地域である。
ユダヤ人地区はぐるりをアラブ人村に囲まれている。・・というよりは、ユダヤ人がアラブ村のすぐそばまで住宅を建てたためにそうなったと言った方がいいだろう。
ほのぼのとした仮庵の風景におおいかぶさるようなアザーン。かなりの音響である。幸い5分程度で終わり、雰囲気はすぐほのぼのに戻った。
しかし、今朝も神殿の丘では、治安部隊とパレスチナ人が衝突し、兵士3人が負傷している。そうした場所以外では、きわめて平和に見えるのだが、イスラエル(ヤコブ)と、イシュマエルの仲が悪いという現実は、確かな事実である。
30分ほど歩くと知人宅に着いた。集まっていたのは、ノルウェー系、ハンガリー系、イラク系、いろいろ混じっているが、しいていうならイタリア系からなる2組のユダヤ人夫妻が招かれていた。
仮庵の祭りでは、決して寂しい人がでないよう、やもめの友人などを招くことになっている。仮庵で、初めて会う人がいることもめずらしくない。この人々と一緒に3m×2.5mほどの狭い仮庵に座って、おいしいサーモンをいただく。
今回、わかったことだが、仮庵にはちょうど子供のころに秘密基地で遊んだあの感覚がある。知らないどうしでも、すぐにうちとけ、楽しめる不思議な効果があるのだ。
特にこの人々は、建国初期にイスラエルへ移住して来た人々だ。話を聞いていると、歴史が歴史でなくなるような気がした。
しかし、さすがはユダヤ人。会話は、いつのまにか、ホロコースト時代の話から、イラクのユダヤ人を襲ったポグロム、ISISの斬首からヨーロッパのギロチンの歴史と、食事しながら、かなり”高度な”会話となった。
なんでも、最近、反ユダヤ主義暴力がヨーロッパでひどくなってきたので、ノルウェー(だったと思う)では、仮庵禁止になった。庭やバルコニーに仮庵を建てることで、そこがユダヤ人の家だと宣伝しているようなものだからである。ユダヤ人が反発すると、警察は、夜9時には片付けるとの条件つきで、制限を緩和した。これでは何も祝えないと、皆は首を振った。
しかし、ご近所の仮庵は、こんな高度な話ではなかったようで、かなり頻繁に大笑いが聞こえた。繰り返すが、聖書時代のイスラエル人たちもこんな風に、平凡な日常の中で仮庵をやっていたのではないかと思った。
前後するが、仮庵の中に入る前に、今年(ユダヤ暦5775年)初めての雨が降った。仮庵なので当然雨は防げない。料理の上にカバーをかけたりしながら、そのうち降らなくなった。ニュースによると、イスラエル中心部、北部では、雷雨になっていた。
毎年だいたい、この次期にはじめの雨が降っている。平和なエルサレムの上に、主の祝福が今年も約束されたようであった。