神殿崩壊記念日の混乱1:神殿の丘で祈ったユダヤ人1600人以上 2021.7.19

神殿の丘を訪問中のユダヤ人たち スクリーンショット

18日は、ユダヤ人の神殿崩壊記念日。17日から22日までは、イスラムのハッジである。両者の例祭が重なる時は衝突が発生しやすい。2019年、同様に2つの例祭が重なった際、神殿の丘でパレスチナ人とイスラエルの治安部隊が衝突し、パレスチナ人40人が逮捕されている。

さらに今年は、5月にハマスとの11日間の戦闘終わったばかりで、ぎりぎりの停戦を保っている状態にある。いつもより緊張が高まっているといえる。そうした中、ベネット首相が、現状維持の合意に反して、ユダヤ人の神殿の丘への入場を許可したため、パレスチナ人の反発と、近隣アラブ諸国からも反発が出た。

ユダヤ人にもアラブ人にも“礼拝”の自由がある:ベネット首相

18日、ユダヤ暦では、アヴの月の9日目、ティシャ・べ・アヴ(神殿崩壊記念日)。正統派、超正統派やシオニズムに関心のある人々などは、第一神殿、第二神殿がそれぞれ破壊され、今もなお神殿がないことを覚え、17日日没から18日日没まで、25時間の断食をし、床に座り込んで聖書の哀歌を読む時を過ごした。

べネット首相も、ラナナの自宅近くのシナゴーグで、息子のデービッド君とともに、床に座っていた。以下は嘆きの壁の様子

大部分の市民は、この日にあえて神殿の丘へ入ろうする人はない。しかし、一部の過激右派たちは、この日こそ神殿の丘に入ろうとする。パレスチナ人を刺激することが懸念されるため、通常、この日のユダヤ人の神殿の丘への入場はかなり制限される。

しかし、ベネット首相は、18日朝、「ユダヤ人にもアラブ人にも“礼拝”の自由はある。」として、ユダヤ人の入場を許可するよう、治安部隊に指示を出した。

しかし、同時に、ベネット首相は、警察と治安部隊へ治安の維持強化への努力に感謝を述べ、この礼拝の自由はユダヤ人だけでなく、17日から始まったイスラム教のハッジ(巡礼関連の例祭)を祝うアラブ人にも等しくある権利だと述べて、イスラム社会の反発をかわす発言も加えた。

これにより、この1日で、神殿の丘へ入場したユダヤ人は、1600人に及んだと報じられている。中には、神殿の丘では、禁止となっている祈りを捧げているユダヤ人の様子も伝えられた。

以下のクリップは、ユダヤ人が神殿の丘に入る唯一の入り口の様子から、神殿の丘は入っていくユダヤ人たちの様子(第3神殿推進派Temple Institute)。いかにも緊張し、空気がはりつめた中で、歩いて行くユダヤ人たちの様子がわかる。10分ぐらいのところの映像を見ると、明らかに祈っているようである。

www.timesofisrael.com/israel-quietly-letting-jews-pray-on-temple-mount-in-break-with-status-quo-tv/

ユダヤ人が神殿の丘で祈ることは、ヨルダンとの現状維持合意(ステータス・クオ)に反するものである。パレスチナ人はじめ、ヨルダン、エジプト、トルコなど近隣アラブ諸国から、一斉に反発が出た。ベネット首相は、ユダヤ人も神殿の丘への「訪問の自由はある」といっただけだとして、礼拝の自由というつもりはなかったといっているが、時は遅しである。

*神殿の丘の現状維持の合意(ステータス・クオ)とは

現在、神殿の丘にあるのは、ユダヤ人の神殿ではなく、7-8世紀のイスラム帝国以来の岩のドームとアクサモスクである。以後1200年以上、日本史では、飛鳥時代以降、ずっとイスラムの聖地の一つとして数えれれていた場所である。

1967年の六日戦争により、ここもイスラエルの主権下に入ったのではあるが、世界中のイスラム教徒を敵に回すことを恐れた当時のイスラエル政府は、ヨルダンとの特別な合意を結んだ。神殿の丘の治安を守るのはイスラエルとしながらも、運営の主権は、ヨルダンのイスラム組織ワクフにあるという合意である。

これにより、神殿の丘では、イスラム教徒以外の、ユダヤ教徒、キリスト教徒が祈ること、また聖書含めユダヤ教聖典などを持ち込むことも禁止となった。以後この状態を継続することで平穏を維持してきたということで、これを現状維持の合意(ステータス・クオ)という。

パレスチナ人とイスラム諸国からの反発

1)神殿の丘とダマスカス門での衝突でイスラエル人5人負傷

神殿の丘では、ユダヤ人が通る際に、治安部隊がパレスチナ人との距離を取ろうと、パレスチナ人たちを移動させようとして、イスラム教徒の女性たちが騒ぎ立て、イスラエルの国境警備隊がこれを取り押さえるなどの動きがあった。パレスチナ人に逮捕者が出たもようである。

ダマスカス門周辺では、パレスチナ人が一時暴徒となり、治安部隊と衝突。騒ぎの中で、パレスチナ人がユダヤ人に車に投石し、乗っていた1歳の子供と母親を含む4人が負傷。これとは別に男性(33)も頭に投石を受けて負傷した。

www.timesofisrael.com/parents-infant-child-injured-by-rock-throwing-near-jerusalems-damascus-gate/

2)ハマスの旗が神殿の丘に

ハマスは、「イスラエルは火遊びをしている」と反発を表明。イスラエルとは戦いを続けると表明し、エルサレムにいるパレスチナ人の若者に立ち上がるよう、訴えた。また一時、神殿の丘では、ハマスのグリーンの旗が翻った。

www.jpost.com/arab-israeli-conflict/hamas-israel-playing-with-fire-with-tisha-beav-events-in-jerusalem-674096

3)エジプト、ヨルダン、トルコから反発

ベネット首相は、右派宗教シオニストである。パレスチナ人の間では、今回の措置は、ベネット首相が、ネタニヤフ首相以来の現状を変えようとしているのではないかとの緊張が走ったようである。ヨルダンとエジプト、トルコは、このイスラエルの動きは、ステータス・クオだけでなく、国際法にも違反すると反発の声明を出した。

4)ラアム党アッバス氏からの反発

国内では、連立政権の一部であるラアム党が、「神殿の丘は、純粋にイスラム教の聖地としなければならない。」と反発の声明を出した。アッバス氏は、特に今はハッジ(巡礼)時期であり、イスラム教では最も聖なる日とされるエイード・アル・アドハが、20日(火曜)に来るので、時期的にも非常に悪い時期での措置だったと述べた。

*エイード・アル・アドハとは?

アブラハムとイサク
レンブラント作
wikipedia

聖書によると、アブラハムは、神から、モリヤの地(今の神殿の丘)で、その息子イサクを、捧げ物として(殺して)捧げることを命じられた。

アブラハムは、神の指示通りにこれを実行しようとした。神はこの行動にアブラハムの信仰を認め、イサクを殺さずに、その代わりとなる雄羊を与え、それを捧げ物にさせたと書かれている。(創世記22章)

イサクはアブラハムの正妻サラに初めて与えられた子供である。しかしイサクが与えられたのは、アブラハムが100歳、サラが90歳の時であった。

これに先立ち、もう年寄りで、子供は生まれないと思ったサラは、はしため(エジプト人)のハガルを夫に与え、子供を産ませていた。その子がイシュマエルである。

この経過から、アブラハム、イサクから出てくる人々をイスラエル人(ユダヤ人)、イシュマエルから出てくる人をアラブ人と言われている。両者はまさに異母兄弟といえるだろう。

しかし、イスラム教では、ここでアブラハムが捧げようとしたのは、イサクではなく、イシュマエルだったと主張する。エイード・アル・アドハは、アブラハムが、モリヤの山で、イシュマエルを捧げようとしたことを覚える例祭である。

こう考えると、ラアム党のアッバス氏が言う様に、神殿の丘(イスラム教ではハラム・アッシャリフ)は、純粋にイスラムの聖地にしておくべきだということになる。

これは今のイスラエル、パレスチナ問題が、単に政治の問題だけではないということを表している点であり、両者が絶対に妥協できない問題でもあるということがわかる。

今後どうなるのか

まず、神殿崩壊記念日においては、神殿の丘周辺ではこうした騒動があるが、イスラエル人の世俗派や一般庶民の多くは断食もしない人が多く、市内の様子にはまったく変わりがないということを述べておきたい。

また、正統派でも、神殿の丘は物理的にユダヤ人が支配していないが、神の目には、今もユダヤ人に与えたものであることに変わりはなく、時がくれば必ず、ユダヤ人の手に戻ってくると考える人が少なくない。この日に神殿の丘で騒ぎをおこすことに同意しない人が多いと言うのが現状である。

ベネット首相がユダヤ人の入場を許可したということは、かなり大きいことではあったが、入ったユダヤ人たちが、アルアクサモスクにさしさわることはせず、それほど大きな衝突にならなかったこともまた、特記すべきことではないかと思う。

逆に、第3神殿にじわじわと向かっている?・・と考えるのはやや唐突だが・・・。

www.jpost.com/israel-news/jews-visiting-temple-mount-is-not-assault-on-al-aqsa-analysis-674261

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。