石のひとりごと:平穏と紛争が同居する町エルサレム 2022.5.14

ベングリオン空港 2022.5.11

2年ぶりにイスラエルに来ている。

サウジアラビア上空 不思議な丸いものは何?

5月11日にドバイ経由で、サウジアラビアとヨルダン上空を通ってテルアビブに入ったことに加え、ドバイの飛行機とエルアル機が、ベングリオン空港で並んでいる様子には感動だった。

これが外交力というのか、いったん空路が出来上がると、もう全然普通に、人々は行き来している。まだ開通して1年も経たないのだが。

イスラエルへの入国は、出発前に始まるのだが、まだまだ面倒であるし、余分なお金もかかる。出発72時間以内のPCR(1万5000円)に加え、コロナもカバーする保険(1万5000円程度)に加入、英語による証明も義務付けられる。

さらには、ワクチン接種状況や、滞在先情報、万が一陽性になった場合の事への同意なども含めての入国申請が必要だ。到着後には、また空港でPCR(63シェケル・2500円程度)を受けなければならないにだが、これについては、前もって支払いも可能になっている。

こうした前作業があるので、入国は早い。パスポートコントロールは、機械で荷物の受け取りも早い。

ベングリオン空港PCR会場

空港でのPCRだが、かなり広い会場にずらりと検査技師が座っている。手書きの書類はいっさいなく、全部ピッピとなぞるだけ。

鼻腔と咽頭を一緒に、2本の綿棒で検体を採取し、1本は十人分ぐらいが入ったテストチューブに。もう一本は、一つのテストチューブに入れた。30秒で終わり。

まず複数人の検体を一緒にして一度に検査して、だれも陽性者がいなければ、個別の検査は、スキップするものと思われる。結果は無論、SNSとメールで、その夜のうちに届いた。これで無罪放免である。

翌日、久しぶりだが、街に出た。全く違和感がない。西壁では、バルミツバ(成人式)の一行が順番待ち状態である。エルサレムの町は、もうすっかりコロナ前のエルサレムになっている。観光客を乗せた大型バスも行き来しており、見るからに単独観光の人もいる。

エルサレムのオープン市場 マハネイ・ヤフダ
2022.5.13

その翌日は、金曜日の安息日入りの日なので、市内のオープンマーケット、マハネイ・ヤフダは、人、人、人。オープンではあるが、人で通路は埋まり、叫び声が飛び交っている。パーソナルディスタンスもなければ、マスクをしている人はまったくといっていいほどいない。

さらには、このおしくらまんじゅう状態の中、手には食べ物とドリンクを持って、歩きながら食べている。やかましいシュックの中で、大勢が大声でしゃべりながら食事し、夜のバーも真っ盛り。

イスラエル人の多くはワクチンが行き渡った以上に、もうほとんどの人がコロナに感染したので、怖がる人がいないとのこと。で、筆者は日本人らしく、周りに気を遣って、マスクなしで彼らに混じっている。だーれもそんなことは気もついてないのだが。

とにかくオープンで明るい。アバウトで細かい計算もしてない。あらためて日本との文化考え方が全く全然、180度違うということを実感させられている。筆者としては、確実にここの方がしっくりきてしまうわけである。

シュックから少し行くと、国会があるのだが、そこにはローズガーデンがあって、今最高にきれいに薔薇が咲き乱れている。安息日入り前で、国会は休みなので、人出がほとんどなく、静かで鳥のさえずりが聞こえる。気候も最高。

親子連れが、ぽつんぽつんと木の下でランチを楽しんでいる。し〜ずかそのものである。

と、こんなエルサレムなのだが、同じ頃、ここから歩いても行ける距離、車で数分のところにあるエルサレム旧市街では、イスラエルとパレスチナ人の紛争に巻き込まれて死亡したパレスチナ人記者の葬儀が行われ、激しい暴力沙汰になっていた。(後日詳細記事予定)

シオンの丘では、午後数時間の間、ずっと通行止めで、空にはやかましくヘリコプターがまっていた。しかし、午後4時半すぎだっただろうか、その後は静かになり、全く普通に子供の声も聞こえる安息日に入ったのであった。

また付け加えていうなら、この紛争の直前まで、生活のためにエルサレム市に雇われて、市内の清掃にあたっているパレスチナの若者を多く見かけたのであった。

この紛争と平穏が同居する、いわゆる異常な日常。これがエルサレムである。本当に世界にふたつとない、不思議で、魅力的な街である。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。