今日は金曜日。安息日入りの日である。今日もいろいろあった一日だった。
東エルサレムでは、午後、殺害されたパレスチナ人少年の葬儀が行われた。数千人が参列し、暴動となり、35人が負傷した。
神殿の丘でも暴動となり、パレスチナ人が、治安部隊に石を投げつけ、治安部隊は催涙弾で彼らを追いかけた。
イスラエルが、パレスチナ人のために東エルサレムまで伸ばした路面電車の駅を、パレスチナ人たちは、めちゃめちゃに破壊した。破壊しただけではない。乱暴なヘブライ語で、落書きが残されていた。”イスラエルに死を””ユダヤ人に死を”
ロケット弾攻撃が続いている南部では、まだ攻撃が続いている。国境では、ガザへの侵攻に備えて、イスラエル軍が戦闘態勢を整えている。
一日の取材を終えて歩きながら、昨夜エルサレム上空を、南へ向かって飛んで行った何機もの輸送機を思い出した。その姿を思うと、なんとも泣けてきた。この国は、どうしてここまで憎まれ、苦しまなければならないのか・・・
<手渡された2本のろうそく>
そんなことを思いながら歩いていると、6才くらいの、キッパをつけた小さなかわいい男の子が近づいて来た。ぼくとつな10cmぐらいのろうそくを2本差し出している。「これは安息日のろうそく。」と言った。
私はユダヤ人ではないのにもらっては悪いと思い、遠くに父親らしき人が、彼を呼んでいたので、「ほら、お父さんが呼んでるよ。」と言った。男の子は「あれはお父さんじゃないよ。」といって離れなかった。
2本のろうそくを受け取ると、「8時につけてね。」と言った。私は、「絶対につけるよ。」と約束した。
ユダヤ教徒が、安息日の前に、通りで同胞のユダヤ人に安息日用のろうそくを配ることがあるが、いかにも異邦人の私に配る事はほとんどない。しかもこんな小さな子供が、見知らぬ異邦人に単独で近づいてくる事はない。
また彼がくれたろうそくは、安息日配布用ではなく、ただの普通のろうそく(ろうそく立てがないと立たない)である。何もかもが不思議だった。
主は、私たちの涙と祈りを知ってくださっているー。「わたしが安息日の主。わたしを迎えなさい。わたしに祈りなさい。」主がそう言われているような気がした。
主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえにわたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。(詩編132:13-14:ぜひ全編をどうぞ)