安息日:希望の光 2014.7.5

今日は金曜日。安息日入りの日である。今日もいろいろあった一日だった。

東エルサレムでは、午後、殺害されたパレスチナ人少年の葬儀が行われた。数千人が参列し、暴動となり、35人が負傷した。

神殿の丘でも暴動となり、パレスチナ人が、治安部隊に石を投げつけ、治安部隊は催涙弾で彼らを追いかけた。

イスラエルが、パレスチナ人のために東エルサレムまで伸ばした路面電車の駅を、パレスチナ人たちは、めちゃめちゃに破壊した。破壊しただけではない。乱暴なヘブライ語で、落書きが残されていた。”イスラエルに死を””ユダヤ人に死を”

ロケット弾攻撃が続いている南部では、まだ攻撃が続いている。国境では、ガザへの侵攻に備えて、イスラエル軍が戦闘態勢を整えている。

一日の取材を終えて歩きながら、昨夜エルサレム上空を、南へ向かって飛んで行った何機もの輸送機を思い出した。その姿を思うと、なんとも泣けてきた。この国は、どうしてここまで憎まれ、苦しまなければならないのか・・・

<手渡された2本のろうそく>

そんなことを思いながら歩いていると、6才くらいの、キッパをつけた小さなかわいい男の子が近づいて来た。ぼくとつな10cmぐらいのろうそくを2本差し出している。「これは安息日のろうそく。」と言った。

私はユダヤ人ではないのにもらっては悪いと思い、遠くに父親らしき人が、彼を呼んでいたので、「ほら、お父さんが呼んでるよ。」と言った。男の子は「あれはお父さんじゃないよ。」といって離れなかった。

2本のろうそくを受け取ると、「8時につけてね。」と言った。私は、「絶対につけるよ。」と約束した。

ユダヤ教徒が、安息日の前に、通りで同胞のユダヤ人に安息日用のろうそくを配ることがあるが、いかにも異邦人の私に配る事はほとんどない。しかもこんな小さな子供が、見知らぬ異邦人に単独で近づいてくる事はない。

また彼がくれたろうそくは、安息日配布用ではなく、ただの普通のろうそく(ろうそく立てがないと立たない)である。何もかもが不思議だった。

主は、私たちの涙と祈りを知ってくださっているー。「わたしが安息日の主。わたしを迎えなさい。わたしに祈りなさい。」主がそう言われているような気がした。

主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。「これはとこしえにわたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。(詩編132:13-14:ぜひ全編をどうぞ)

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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