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新年を迎えたユダヤ人たち
月曜夜から全世界のユダヤ人は新年を迎えた。海外からのユダヤ人はいないものの、嘆きの壁は8000人まで許容されたことから、かなりの混雑になっている。以下は、ローシュ・ハシャナが始まった6日夜の嘆きの壁の様子。
www.youtube.com/watch?v=lF77qED9L40
ユダヤ機関によると、世界のユダヤ人は、昨年より10万人増えて、1520万人となった。このうち、イスラエルに在住するユダヤ人は693万人。
ディアスポラと呼ばれるイスラエルの外にいるユダヤ人は、820万人。このうち600万人はアメリカ在住である。次に多いのは、フランス(44万6000人)、カナダ(39万3500人)、イギリス(29万2000人)、アルゼンチン(17万5000人)、ロシア(15万人)、ドイツ(11万8000人)、オーストラリア(11万8000人)
アラブ諸国にいるユダヤ人は、トルコ(1万4500人)、イラン(9500人)、モロッコ(2000人)、チュニジア(1000人)
ただし、この数については、ユダヤ教にもとづく生活をして自らユダヤ人と自称している人で、祖父母の少なくとも一人がユダヤ人であって、イスラエルへの移住の権利を持つ人だけである。それ以外の人も入れると、ユダヤ人と考えられる人は2530万人になるとのこと。
www.timesofisrael.com/number-of-jews-worldwide-hits-15-2-million-jewish-agency/
日本にいるユダヤ人:神戸シナゴーグでの新年
WJC(World Jewish Congress)が、2015年でのデータで報告したところによると、日本には、1000人から1400人のユダヤ人が在住している。東京都神戸にハバッド派ラビがシナゴーグを運営している。
www.worldjewishcongress.org/en/about/communities/JP
www.jewishvirtuallibrary.org/japan-virtual-jewish-history-tour
神戸で関西圏のユダヤ人をサポートするラビは、イスラエル人のラビ・シュムリック・ビシェツキー(39)とその家族である。シナゴーグの大きな働きは、安息日や例祭を守れるようにしたり、成人式や、葬式も行う。コシャー(食物規定)の食料を提供する他、東京だけでなく、神戸にもミクベ(聖めのプール)がある。
今年、ローシュ・ハシャナとよばれる新年祭は、6日日没からはじまり、7日の午前中に、ショーファー(角笛)を吹き鳴らす集会があった。このショーファーの集会に出席した。コロナの影響もあり、集まっていたのは男性が20人ぐらいとその家族の50人ぐらいであった。*前夜の新年が始まる夜はもっと来ていたもよう。
今も来ている人は、たとえば、日本に15年、30年以上というように長年在住し、配偶者が日本人という人が多い。大学で教えている人や、ビジネス系の人もいる。しかし、昨今では、日本が世界をリードする経済大国でなくなってきたことから、多くのユダヤ人ビジネスマンが日本から撤退しているとのことであった。(来ているユダヤ人に聞いた話であって、数値的なことは未確認)
また、以前はアメリカ系ユダヤ人が多数派であったが、今はイスラエルのユダヤ人が増える傾向にある。
*新年の意味:これからの例祭スケジュール
ユダヤ教の新年は、いわゆる祝いと来年の祝福を願う日本の正月とは異なっている。聖書によるとこの日はショーファー(角笛)をふく日とされ、そのらっぱの響きを合図に、全知全能の神の前に出る日、裁きの日される。
この日から、今年は大贖罪日(ヨム・キプール)の15日までの間に、罪を振り返り、不仲の人とは和解をし、旧年中の罪を明らかにしてできる限りの修正を行う。大贖罪日までに悔い改めが終わった罪については、15日に贖いがなされて赦されるということになる。
その贖いは、かつてエルサレムに神殿があったときには、雄牛や子羊にその罪を引き渡し、その後のそれらを屠ることで赦しが完了するとされた。こうして、贖われ、赦された者は、その名が「いのちの書」に書き記されて、永遠の死にいたることはないということになる。
このため、新年から大贖罪日まで、ユダヤ人の間では、ハティマ・トバ(いのちの書にあなたのついてよいことが書かれますように)という挨拶が交わされる。そのあとに20日からは仮庵の祭り、言い換えれば罪赦されて、神と同じ庵で親しく7日間祝うという流れである。
今年は、15日が大贖罪日、20力が仮庵の祭りである。神戸のシナゴーグでも一連の行事が計画されている。
石のひとりごと:新年に覚えるハンナの祈り(第一サムエル2:1-10)
全世界にいるユダヤ人がこの秋も、この裁きと赦しを意味する礼祭を行っている。日本においてもである。聖書の神の存在を、現実において証しているイスラエルが、日本にもいるということである。日本ももはや言い訳はできないということを象徴しているようにもみえる。
しかし、99.99%の日本人、また聖書を読んでいるクリスチャンでも、その多くは、このイスラエルの秋の例祭と、自分とはなんの関係もないと考えている。
確かに私たちはユダヤ人ではないので、その聖書の神、イスラエルの神とはまったく離れたところに立っている。しかし、この神が、天地創造の神であることを思えば、全く無関係とはいえないということになる。
ユダヤ教による新年の教えは、この日、①この神が、天地創造の神であり、私たちには届かないほどに聖なる存在であるということを覚える。
同時に②この神ほど私たちに近い存在はないということも覚えるという。一件矛盾しているようにみえるが、矛盾はないと教える。
神戸のシナゴーグでも、この新年の日、第一サムエル記のハンナの祈りが取り上げられていた。その箇所によると、子供が生まれないことで惨めな思いをしていたハンナという女性が、神の前に心を注ぎ出して祈り、その後、まだ子供は与えられていないのに、以前とは全く違う顔で神のまえから立ち上がっていったと書かれている。
つまり、この天地創造の神は、私たち自身を創造した方であり、いわば私たちの存在の原点であるということである。その神に、隠し事や、よい行いをして見せる必要はなく、その神にむかって、本当の自分、罪深いをみせてよいということである。
そうした時に、その罰の身代わりとなる動物の捧げ物が受け入れられて赦しが与えられ、その赦しを通して、このいのちの基である神との親しい関係を得るということである。そうなれば、ハンナのように、険しい現状は変わらずとも、元気に立ち上がっていけるということである。
イエス・キリストは、ユダヤ人だけに与えられていたこの約束を、全人類にも拡大するために来たということである。ユダヤ人を通して明らかにされたこの罪と赦しの法則が、なんの関係もなかったユダヤ人意外の人にも受け取れるようにしたということである。
キリスト(メシア・救い主)はその罪をその身に帯びて十字架で死んで贖いを完成した。だから、ハンナのように、この神の前に、罪ある自分のそのままをさらけだし、ハンナのように、赦しとともに、絶対の理解者であり保護者であるこの神との和解をえるということ。これがキリスト教の教えの根本なのである。
さらに言うなら、今はユダヤ人にとっても贖いの動物を捧げる神殿がない。ユダヤ人にとってもこのイエス・キリストの犠牲こそが、赦しを受け取る道になった考えられるが、ユダヤ人たちは、今はこれを受け入れていないということである。
この9月、新年から大贖罪日、仮庵を日本にいるイスラエル人とともに覚えながら、これほどに素晴らしい約束が本来まずこの約束を受け取るはずのイスラエルの人々と、日本の人々にも伝わっていくよう、ハンナのように祈っていきたいと思う。