イスラエルでは、12日夜から20日までハヌカの祭りとなる。エルサレムでは、嘆きの壁をはじめ、町のあちこちに電気式の大きなハヌキアが設置されており、12日から毎日、8日目まで1本づつ光が灯される。
トランプ大統領のエルサレム首都宣言以降、イスラエル、特にエルサレムは危ないと思われているようだが、市内はいつもとかわらず、平和なハヌカを迎えている。
エルサレム市内では、この時期特有のスイーツ、華やかな色とりどりのスフガニヤ(揚げパン:ドーナツ生地ではなくパン生地)が町を楽しい雰囲気にしている。日本ではクリスマスイブにケーキ屋さんがはやるが、エルサレムでも、夕方、スフガニヤを購入する人で列ができるほどだった。
エルサレムにあるミュージアムや、国立図書館などでは、ハヌカの間中、中庭で宝探しをするなど、家族連れで楽しめるプログラムが用意されている。
www.itraveljerusalem.com/article/hanukkah-in-jerusalem/
しかし、中には偶像礼拝的なものもあり、懸念されるところである。たとえば、バイブルランドミュージアムでは、ギリシャ神話から、人間を作ったとされるプロメテウスが、ゼウスから火を奪って人間に与えたといった、設定で子供達がゲームを楽しむ。
イスラエルは、聖書を基盤とした国ではあるが、世界に普通にある偶像のたぐいも普通にある。イスラエルを壊そうとするものは、外側だけでなく、内側にもあることを覚えて、とりなしていただければと思う。
*ハヌカ
この祭りは、紀元前175年に、アレキサンダー大王の時代の後、イスラエルを含むシリア地域を支配していたセレウコス朝シリアを、マカビー一家が撃退し、エルサレムの神殿を聖めたことを記念する例祭。
聖書的な例祭ではないが、イエス時代にも祝われていたことが新約聖書から伺える。(ヨハネの福音書10:22−23)宮きよめということで、主への再献身する時でもある。
<ホワイトハウスのハヌカ>
世界に歴史的なエルサレムはイスラエルの首都との宣言を出し、世界中に混乱を巻き起こしているトランプ大統領もホワイトハウスでハヌカの祝いを行った。
トランプ大統領は、ユダヤ人の兄弟姉妹にと呼びかけ、ハヌカの祝福を述べた。また、ハヌカの歴史を振り返り、「アメリカは、国々の光として輝くユダヤの人々とともに立つことを誇りに思う。」と述べた。
ただし、トランプ大統領と敵対する民主党党員や、保守派ユダヤ教徒は祝いの席に招いていなかった。祝いの席が喧嘩になるからである。トランプ大統領は、オバマ前大統領とは対照的である。ポリティカルコレクトネスはかけらもない、全くの実質主義者のようである。
www.timesofisrael.com/trump-melania-wish-our-jewish-brothers-and-sisters-a-happy-hannukah/
<アレンビー将軍のエルサレム入城100周年>
1917年12月11日、第一次世界大戦中の中で、イギリス軍のアレンビー将軍が、エルサレムを、400年に及ぶオスマントルコの支配から解放した。今年はそれから100年になる。
エルサレム旧市街では、11日、ヤッフォ門に隣接するダビデの塔博物館が主催して、アレンビー将軍はじめ、当時の様子に仮装した人々が、当時のようにヤッフォ門から入るというイベントが行われた。
このイベントには、イギリスからアレンビー将軍のひ孫の孫にあたる家族、ニール・バルカット・エルサレム市長が参加した。
www.jpost.com/International/Jerusalem-celebrates-a-century-since-Allenby-entered-the-capital-517751
*3宗教のためのエルサレム
第一次世界戦争中、オスマントルコは、それまで開いていた欧米との国交と貿易を遮断してしまったため、イスラエル国内、特に海外からの支援に頼っていたユダヤ人たちは、非常な苦難に陥った。多くが餓死するような苦しい時代であった。
アレンビー将軍の勝利は、当時のエルサレム住民にとってはまさに解放の時であったという。それがちょうとハヌカの時であり、クリスマスの2週間前であったことから、ユダヤ人にとっては、ハヌカの奇跡、クリスチャンにとっては、最高のクリスマスプレゼントととらえられた。
実質的には、アレンビー将軍の入城は、十字軍の勝利とも言われるところである。しかし、当時のイギリス軍には、アラビアのロレンスの働きにより、トルコ打倒に協力した地元アラブ人イスラム教徒たちが多数含まれていた。
このため、アレンビー将軍は、この勝利が、「十字軍の勝利」としてとらえられないよう、かなり配慮したという。勝利宣言の際には、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、3宗教が自由に礼拝できる街になるといういうことを強調した。
今年のイベントでも、この宣言を読み上げる際、英語、フランス語、イタリア語、アラビア語に加え、今年初めてヘブライ語が使われた。読み上げたのは、カトリック、正教会司祭、ユダヤ教ラビ、イスラム教司祭であった。
しかし、最後には、アレンビー将軍に扮した人が、バルカット市長にエルサレム城門の鍵を「100年たったのでお返しする」といって手渡し、会場の喝采を得ていた。
本来なら、もっと大きな祝典になったはずだが、ちょうどトランプ大統領のエルサレムはイスラエルの首都宣言を受けて、少々、微妙な雰囲気のなかでのイベントになったようである。しかし、不思議なほど、警備にあたる警備員を見なかった。
ダビデの塔の前にあるみやげもの屋の主人は、アラブ人である。イベントの正面に位置するところにあるのに、筆者に、「なにごとか」と聞くので驚いた。イベントが何か知らされていなかったのである。
「この出来事は私達イスラムにとっては心地よいものではない。しかし、まあしかたがないよ。」と言っていた。
<ラビ・シュテインマン(104)の死去と葬儀>
ハヌカの第1日目であったが、ラビ・シュテインマンが早朝、心不全で死去し、同日昼ごろ葬られた。葬られたのは、テルアビブに近いブネイ・ブラック。
葬儀には、見渡す限り黒服といった大群衆の超正統派たちが集まった。これを守る治安部隊も相当な数であったようである。この人々は、テロの危険などまったく意に介さずというところだ。
www.israelnationalnews.com/News/News.aspx/239208
ラビ・シュテインマンは、リトアニア系超正統派ラビで、トーラーの天才とも言われていた。それでも質素な暮らしをしていたということで、リトアニア系以外の超正統派の人々にも敬愛されていたようである。リブリン大統領、ネタニヤフ首相も哀悼のメッセージを発信している。