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今年も戦没者記念日
14日はイスラエルの戦没者記念日であった。今年の式典で、イスラエルの国のための戦没者と数えられた人は2万3928人。テロ犠牲者は3158人。
昨年は新型コロナの影響で、テロや軍事衝突も少なかったことから、戦没者として加えられた人は、兵士1人、市民2人の計3人と、イスラエル史上最小人数であった。ただし、コロナとの戦いで死亡した人は、6312人にのぼっている。
13日の戦没者記念日入りの日は、ホロコースト記念日と同様に、戦没者記念日も日没後にサイレンが鳴り、道ゆく人は立ち止まって1分の黙祷を捧げる。以下は、エルサレムのオープンマーケット、マハネイ・ヤフダの様子。(4月13日夜)
13日の日没後に行われた嘆きの壁での国家式典の様子
(43:55あたりからIDF主任カンターのシャイ・アブラハムソンさんの美しい歌に合わせた祈りと国家はティクバを視聴可能)
翌日14日は、ヘルツェルの丘でも記念式典が行われた。コロナの影響も落ち着いた今年は、ヘルツェルの丘にある墓地に、家族たちが訪れる姿が見られている。以下はその様子の写真。
www.jpost.com/israel-news/photo-gallery-remembrance-day-ceremonies-across-israel-665104
戦争で、夫や子供たちを失うことの重さは、想像もつかないことである。しかし、国のために家族を失うことを、イスラエル人たちは、一種の運命か何かのように、なんとか折り合いをつけようとしているようでもある。
以下は死んで行った兵士の最後の言葉を集めたもの(2016年作品)「お母さん、大丈夫だよ。明日電話するね」などの言葉が残されている。
明日、イスラエルは建国記念日を迎えるが、イスラエルの存在は、預言の成就と一言では言い合わらせないほど、高価な代価が支払われてきたということである。
ユダヤ人とパレスチナ人が共に覚える戦没者記念日
13日夜、紛争で家族を失ったパレスチナ人(ベツレヘム近郊)とイスラエル人家族(テルアビブ)が、オンラインで互いをつなぎ、共に戦没者やテロ犠牲者を覚えて、紛争を終わらせようと呼びかける集会を行った。
実際にテルアビブに集まったのは、200人。ベツレヘムで集まったのは60人だったが、オンラインで集会を見守った人は20万人を超え、これまでの記録を塗り替えることとなった。
家族を失う痛みは、ユダヤ人もパレスチナ人も同じである。悲しいかな、それが両者をつなぐ架け橋になればと、式典に出席したベツレヘム在住のハムザさんは語っている。
しかし、こうした集会は明らかに左派によるもので、イスラエルの側からは、この集会で、イスラエルの「占領」という言葉が使われていることに反発が出た。一方、パレスチナ側からは、これはイスラエルの戦没者記念日ではないかと反発が出たとのこと。
石のひとりごと
ユダヤ人たちは、ホロコースト以来、国がないことがどれほどのことかを学んだ。ホロコーストを経験しなかった人でも、それはしっかり受肉している。
だからこそ、戦没者記念日には、全ての国民が、国のために死んでいった同胞とその家族に深い敬意を払っている。その姿には、外国人が入り込めない、ユダヤ人の間のとてつもなく深い結びつきを感じる。
こう考えると、左派のユダヤ人たちと、パレスチナ人たちとの集会は良いことではあるのかもしれないが、受け入れられない人がいることもなんとなくわからないでもない。
一方で、パレスチナ人の家族たちも本当に多くの命を失っているのであり、その痛みを敵とみなすイスラエル人と分かち合うことに無理を感じる人もいる。
この2つの人々の和解は一体どのような形で実現するのか。本当に人間技では無理な話なのかもしれないと思う。