マイアミの崩落ビル・残骸部分を破壊して捜索続行へ:あたりまえではなかった日常に思う福音 2021.7.5

マイアミの被災地に貼られた犠牲者たちの写真と花の前に立つバイデン大統領夫妻 スクリーンショット

マイアミのマンション崩壊:残存部分を破壊

6月24日に、崩壊したマイアミのマンション。以来、10日間、イスラエルの捜索隊も加わって生存者、犠牲者遺体の捜索が続けられてきたが、生存者は見つけられなかった。死亡が確認されたのは、24人。まだ121人が不明のままである。

フロリダ州では、今週、大きなハリケーンが到来すると予測されている。このため、捜索隊の安全を守るため、不安定に残っている部分を倒壊することが決まった。

捜索作業は土曜日午後、いったん停止され、倒壊のための作業が始まっていたが、日曜夜、この作業が行われた。人工的にコントロールされた倒壊であり、その衝撃で、捜索現場に新たな層が露出することも期待されている。

犠牲者・不明者の悲しすぎる現実

これまでに死亡が確認された24人の人々の報告はあまりにも悲しい。遺体が確認された一人、7歳の少女は、ここで捜索にあたっているアメリカの捜索隊員の娘だった。

www.timesofisrael.com/officials-lower-missing-number-to-128-body-of-firefighters-daughter-7-found/

イスラエルではやはりユダヤ人被災者が注目されている。たとえば、死亡が確認されたフランク・クレムリンさん(55)は、最近結婚し、新たな会社を立ち上げたばかりだった。初孫ももうすぐ誕生する予定だった。(写真左・JTA)

聖書にででくるヨブのような人もいる。不明者の一人、ハリー・ローゼンバーグさん(52)は、昨年、居住地であったニューヨークで、妻のアナさんを癌で失い、その後まもなく、両親も立て続けにコロナで失っていた。(写真右・JTA)

この深すぎる悲しみから、立ち上がるべく、フロリダ州に移転した。このビルの一室を購入して住むようになったのは、大惨事からわずか一月ほど前のことだったという。

また、ハリーさんは、ニューヨークから、このビルの部屋に戻ってわずか数時間後に、被災したとみられている。さらにこの日、ハリーさんの娘のマーキー(27)さんとその夫ベニーさん(32)が、ニュージャージーからハリーさんを訪ねてきていたところだった。娘夫婦二人も不明者に含まれている。(写真左・JTA)

www.timesofisrael.com/man-who-lost-wife-to-cancer-parents-to-covid-missing-in-florida-condo-collapse/

ハリーさんは、敬虔なユダヤ教徒で、婿のベニーさんもユダヤ教神学校に通うほどの人であったという。まさにヨブのように、神を信じていた人たちが大災害を被ったということである。

現場では、住民たちの多くの写真が、花々に囲まれている。バイデン大統領も3日、現場を訪問した。

4日は、アメリカは独立記念日で、各地では、昨年コロナで中止された様々な祝賀行事が行われた。しかし、マイアミビーチ市長は、この地域住民に対し、祝いの花火はしないとし、夜9時、外に出て静まり、スマホなどでライトをかざして、犠牲者とその家族を思う時にするよう要請を出した。

www.timesofisrael.com/fireworks-go-silent-as-miami-area-marks-somber-fourth-of-july/

石のひとりごと:福音の深さを思う

あまりに突然にその人生を終えることになった人々。昨日まで笑顔であった母や祖母を失った人々。日本でも熱海での災害で、大切な家族やすべてを失った人がいる。こういう理解不能、不条理とも思える災害を見ると、今回も改めて、今日生きている、家族がそこにいることの奇跡を思わされる。

よく言われることではあるが、あたりまえなものは、なにもないということである。また、聖書のいう福音による救いというものの現実味も考えさせられる。

日本では宗教といえば、この世での守りや祝福、または心の平安を与えてくれる教え、といったイメージかもしれない。しかし、ユダヤ教とキリスト教は違う。この神を信じていれば、必ず不運から守られるということが教えの中心ではない。

ユダヤ教の土台は旧約聖書で、キリスト教は旧約聖書と新約聖書を土台にしている。その聖書が教えているのは、私たちの理解を超えたところで、いいかえれば、私たちの思い通りになるとは限らないところで、すべてを支配しておられる神がいるということである。それは人間より上の存在があるということである。

私たち人間は、この神のこと、この神が創造し、そして支配しているこの世界のことを、すべてを知っているわけではない。ということは、なんでもありであって、人間の法則がかならずしもあてはまるとは限らないということである。

ユダヤ人はそれをよく理解しているので、なにを見ても驚かないだけでなく、今までに見たことがないようなことにも可能性を否定せず、むしろ期待して挑戦する。

しかし、もし、私たちには、すべてを理解することはできないことも、すべて支配し、すべてが可能である神がいるとしたらどうだろうか。その神を知り、その神に知られる者になるという、これ以上のことがあるだろうか。それを可能にするというのが、いわゆる「福音」である。

「福音」とは、自分には限界がある、全能の神の前に完全でない(罪)と兜を脱いだ人が、その罰をイエス・キリストが十字架で死んで、かつよみがえったという事実を認めること(信じること)で、この神との橋渡しを得る。つまりこの全知全能、絶対の神と知り合いになれるということである。

では、イエス・キリストとは誰か?普通の人間のだれか、ではなく、神自身が、人間の姿をもって来たと聖書は言っている。そんなことは夢物語だという人は多い。確かに、これを人間の知恵のはんちゅうで考えるとそうだろう。

しかし、もし神というものが、それを超えたところの存在であるとすれば、なんだってありうるということである。これを鼻で嘲笑うことはできないはずだ。

そしてもしイエス・キリストが、本当に神自身であったとしたら・・・?これは、神自身が十字架刑を我々の代わりに背負ったということになり、これは、この神が私たちを深く愛するがゆえということになる。それは、単なる知り合いになるということではなく、深い親の愛であり、絶対になくならない愛を意味する。

あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマ(キリストを信じる告白を意味する洗礼)を受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。(新約聖書ガラテヤ書3:26-27)

着たという表現から読み取れるのは、神が創造した私たち一人一人は、消え去らないということである。それぞれの個性をもって、名前を呼ばれて永遠に神に、子として受け入れられた状態。これを「救い」とよぶ。だから、これを実現したイエス・キリストを救い主(キリスト)と、世界は呼んでいるのである。

自分は値打ちがないと落ち込んでいる人に特に言いたい。神は、あなたの存在を永遠に受け入れている、価値があると言っているということである。だからその神の元にもどればいいのである。目的をもって、創造した神自身が、その本来の生き方をさせてくださるであろう。

さらには、これがどういう結果になるのかというと、たとえ、この地上での命が終わっても、この神の元で永遠に生きる、永遠に存在することを神が望んでいるということ。永遠の居場所があるということである。

また、先にこの福音を信じて神の元にいった家族とも再開できるという約束である。これは、人間の最大の恐れである死とそれによる死別に最大の解決を与えるものではないだろうか。

さらに、さらに、さらに、この福音を信じているならば、とうてい理解できないような悲惨な災害に出会った場合も、無論、すぐには受け入れられなくとも、やがては、この全能の神に予想外はなく、すべてはなにかの計画の中でのことではないかと、最終的には思うことができることにもなりうるということである。

「主は与え、主はとられる」というヨブの言葉通り、ホロコーストという大災害を通ったユダヤ人に学ぶところでもある。考えてみれば、これほど心強いことはない。実際のところ、福音は、受け入れて決して損はない。あまりにも深い、理解しきれないほどのめぐみだと思う。

それでも、空想話に聞こえる人には知らせたい。イスラエルという国が、聖書に書かれている通りに実在しているということが、これがただの空想話、人間が作り出した宗教ではないということを証明している。

患難のない人生はない。大きすぎる患難が来る前に、ぜひにも多くの人に受け取ってもらいたいと願うところである。

今、アメリカだけでなく、日本でも、熱海での災害で、多くの人が家族と日常を失って大きすぎる悲しみの中にいる人がいる。あまりにも突然のことで、その苦しみは想像を絶する。

その人々を思いつつ、いつもの日常や、家族の存在のありがたさとともに、この福音の重さを改めて実感させられている。

石堂ゆみ

石堂ゆみ

ジャーナリスト、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて18年。学校・企業・教会などで講演して15年になります。