イスラエルとパレスチナの和平交渉再開が話題となっているが、必ず問題となるのが、西岸地区のユダヤ人入植地である。
先日、ナブルス(シェケム)近くの小さな入植地イタマルを訪問。昨日、その開拓者、モシェ&レア・ゴールドスミス夫妻と再会することができた。
イタマルといえば、最近では2011年、パレスチナ人テロリストに小さな子ども3人を含む一家が惨殺されたことで知られる。しかし、それ以前にもパレスチナ人に殺されたユダヤ人の名前はどの入植地よりも多い。
そのイタマルは、28年前に、ニューヨークからイスラエルへ移住した、ゴールドシュミット夫妻らが、0から立ち上げたコミュニティである。
イタマルは現在、260家族、1500人(イシバ寮生含む)のコミュニティに成長し、移住を希望する家族たちが順番待ちだという。今回は、教師でもあるレアさんから、イタマルに住むことの霊的な視点をお聞きし、大変興味深かったので紹介させていただく。
<西岸地区と聖書>
西岸地区・・・入植者たちは西岸地区と呼ばず、ハート・ランド(中心地域)と呼ぶ・・は、イスラエル全土の中央を走る山地地帯の中央部分にある。実は聖書に書かれた大部分の出来事がこの地域で起こっているのである。
その山脈の中央部分であるシェケム、エルサレム、ヘブロン。これが聖書の中心地だとレアさんは言う。
エルサレムは神殿があった聖書の中心地。ヘブロンは、アブラハムとサラ、イサクとレアの墓がある場所。シェケムはエジプトに売られたヨセフが骨となって、帰還を果たした場所である。イスラエルの帰還を象徴する場所なのだ。
ヨセフの墓は、今もシェケムにあるが、町はパレスチナ自治政府の完全管轄にある(A地区)。名前も、シェケムではなく、「ナブルス」と呼ばれている。ユダヤ人は数ヶ月に一回、厳重な護衛つきで訪問するのがやっとだという。イタマルはこのナブルスのすぐそばにある。
<なぜ今、和平交渉再開か>
レアさんの説明によると、今なぜ土地を二つに分けると言い始めたのかというと、「ユダヤ人の国」という概念が出てきたからだという。
今までは、民主国家イスラエルでよかったのだが、だんだん国内のアラブ人の数が増え、イスラエルへ”帰還”したいパレスチナ難民の数が増え、民主国家といううたい文句だけでは、「ユダヤ人の国イスラエル」という概念が危うくなってきたのである。
確かに、ネタニヤフ首相は、つい最近まで、パレスチナ人の国反対と言い続けてきた人物。それが、急に国を分けてでもイスラエルはユダヤ人国家でなくてはならないというようになっている。
しかし、世界は、この「ユダヤ人の国」という概念を受け入れることができないとレアさん。確かにネタニヤフ首相が「ユダヤ人の国」といえば言うほど、世界は人種差別だと非難ごうごうである。
それで、ユダヤ人の国にとって肝心な3つの町、エルサレム、シェケム、ヘブロンと取り去って骨抜きにした「ユダヤ人の国」にしようとしているというのである。
ゴールドシュミット夫妻は、「”ハートランド”とそこにある3つの町なしにユダヤ人の国イスラエルはありえない。国は2つに分かれることはない。そう聖書に書いてある。」と言った。
ではパレスチナ人を全部追い出すのかといえば、そうではない。パレスチナ人も、主を知るようになり、ユダヤ人を殺そうとしないならば、”ユダヤ人の国”で共に、平和に住むことを願っているというのである。
<イスラエルと世界は今霊的転換期>
エゼキエル書37章によると、イスラエルは物理的に元の地にもどされたあと、霊的にも変えられて本来あるべきイスラエル、すなわち「ダビデの時代のイスラエル」に戻ると預言されている。本来あるべき姿とは、世界に主をつげ知らせる者としての役割を果たすということである。
現代イスラエルは、今や物質的な面ではなんの不自由もない国になった。したがって今、次の段階への転換期に入っているとレアさんは言う。転換期にあるのはイスラエルだけではなく、世界も同様だと。
これから世界は、聖書に書いてあることを信じるのか、そうでないのかの二手に分かれてくるだろうという。福音派キリスト教徒や、ノア派人々は彼らを支持するが、そうでない人たちはイスラエルに激しく敵対し続けるというのだ。
*ノア派・・・ユダヤ教に改宗しないがユダヤ教を信じる。イエスは信じないので日本の「まくや」に近いグループ
レアさんは、ユダヤ人は今の内にイスラエルへ来るべきだと信じている。今は帰還のドアが開いているが、やがてそのチャンスはなくなる。今まだ財産があるうちにイスラエルへ来る方がよい。すべてを奪われて命からがらイスラエルへくるようにならないようにしてほしいと。
そう願っているわけではないが・・と言いつつ、アメリカはもうすぐ没落するとレアさんは言っていた。確かに、時事問題を見ているとその気配が見えなくないこともない。アメリカが没落するとその怒りの矛先がユダヤ人に向くことは十分予想できることである。
こうした発言は、特に聖書を読まない人々にとっては受け入れがたい考え方だろう。しかし、レアさんの話を覚えつつ、改めてエゼキエル書37章全体、特に16~24節を読むと、なるほどと思わされる。
<エゼキエル書37章16~28節>
「人の子よ。一本の杖を取り、その上に、『ユダ(解説:エルサレム、ヘブロン地域)と、それにつくイスラエル人のために』と書きしるせ。もう一本の杖を取り、その上に、『エフライムの杖、ヨセフと、それにつくイスラエルの全家のために』と書きしるせ。
その両方をつなぎ、一本の杖とし、あなたの手の中でこれを一つとせよ。あなたの民の者たちがあなたに向かって、『これはどういう意味か、私たちに説明してくれませんか』と言うとき、彼らに言え。
神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、エフライムの手にあるヨセフの杖と、それにつくイスラエルの諸部族とを取り、それらをユダの杖に合わせて、一本の杖とし、わたしの手の中で一つとする。
あなたが書きしるした杖を、彼らの見ている前であなたの手に取り、彼らに言え。神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは、イスラエル人を、その行っていた諸国の民の間から連れ出し、彼らを四方から集め、彼らの地に連れて行く。
わたしが彼らを、その地、イスラエルの山々で、一つの国とするとき、ひとりの王が彼ら全体の王となる。彼らはもはや二つの国とはならず、もはや決して二つの王国に分かれない。
彼らは二度と、その偶像や忌まわしいもの、またあらゆるそむきの罪によって身を汚さない。わたしは、彼らがかつて罪を犯したその滞在地から彼らを救い、彼らをきよめる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。
わたしのしもべダビデが彼らの王となり、彼ら全体のただひとりの牧者となる。彼らはわたしの定めに従って歩み、わたしのおきてを守り行う。
彼らは、わたしがわたしのしもべヤコブに与えた国、あなたがたの先祖が住んだ国に住むようになる。そこには彼らとその子らとその子孫たちとがとこしえに住み、わたしのしもべダビデが永遠に彼らの君主となる。
わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。これは彼らとのとこしえの契約となる。わたしは彼らをかばい、彼らをふやし、わたしの聖所を彼らのうちに永遠に置く。わたしの住まいは彼らとともにあり、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
わたしの聖所が永遠に彼らのうちにあるとき、諸国の民は、わたしがイスラエルを聖別する【主】であることを知ろう。
<石のひとりごと>
和平交渉で万が一、一部の入植地撤退ということになれば、イタマルは、その対象になると言われている。しかしそれでも信仰と確信と平安をもって、にこやかに語るゴールドスミス夫妻。
モシェさんはラビだが、まるで宮川大助・花子のように、レアさんに完全におされっぱなしだったのがおもしろかった。個人的な見解だが、終末の艱難時代にあって、最後まで反キリストに従わないユダヤ人の姿を見たような気がした。