12日金曜は、ラマダン最初の礼拝日だった。エルサレムはイスラムにとっても聖地。そのため神殿の丘での礼拝に参加するため、のべ100万人とも言われるイスラム教徒が、東エルサレム、西岸地区だけでなく、ヨルダンやレバノンなどからもやってきた。
この日はイスラム以外の者は神殿の丘へは入れないため、オリーブ山に上って午後12時から始まる神殿の丘での祈りを撮影。神殿の丘は文字通り、人々で埋めつくされ、祈りの声とともにいっせいに立ったりひれ伏したり。1時間ほどで終わるとゆっくりぞろぞろと出ていくのが見えた。
オリーブ山から降りてライオン門から神殿の丘に面するイスラム地区へ入ったが、神殿の丘から出てくるあまりの群衆でそこからダマスカス門に出るまで1時間半以上かかった(通常は早足なら15分)。
ライオン門を入ると、直ぐに神殿の丘への出入り口がある。出口から通りまでのいわば仲見世通りには、ラマダン用のパンの他、コップや皿、なぜか掃除用具などの出店が待っており、活発に買い物が繰り広げられていた。
特にラマダンでは子供たちにおもちゃが買い与えられるらしく、カラフルなお人形やぬいぐるみ、男の子用には水鉄砲やおおげさに大きくパッケージされたゲームなど。
孫とおもわしき5才くらいの男の子がほしがる大きなおもちゃを買うため、にこにこと財布出すおじいちゃん、小さな娘のほしがるおままごとセットを、じっくり検証した結果、買うことにしたお父さんなど、かわいらしい光景があった。ちょうど大晦日で除夜の鐘を聞いて明治神宮や住吉神社(大阪)などから出てくる群衆を想像してもらえばよい。
神殿の丘への入り口は多数あるが、その角すべてにイスラエル兵が5-6人単位、場所によっては10人ほどで立っていた。皆、暴徒に対処するフル装備である。じわじわとしか動かない群衆に交じってヘブル語で「早よいけ。」といいながらパトロールする兵士もいた。
かんかん照りで暑いのでテントの下に兵士が立っているところもあったが、その同じテントの下でパレスチナの民族衣装のおばちゃんたちも休憩。はぐれた家族を待っている様子だった。
ダマスカス門周辺では、兵士や警察の他、水砲を放つ対群衆車の他、イスラエル、パレスチナ双方の救急車が待機していた。もののもしさもあったが、けわしい顔のアラブ人たち、働く子供たち、商売の活気にあふれた声と群衆の中で、一つの絵としてしっかり収まっている感じだった。
パレスチナ人数人にインタビューしたが、ラマラやアナタなど西岸地区から来ていたらしく「今はラマダンだからエルサレムに来れるが、いつもは来ることができない。」と口をそろえるようにして同じ不満を訴えていた。
・・が、今日は、いさかいや衝突もなく、パレスチナ人もイスラエル兵も皆笑顔で過ごせたことに感謝だった。
*これを書いているのは、翌朝4時頃のエルサレム南部の・東タルピヨットだが、周辺のアラブ人村から聞こえる祈りのアザーンがいつもより大きく響いている。この祈りのあと、アラブ人たちは食事をしているはずである。