パレスチナ人の国視野の休戦・人質交渉を拒否するイスラエル:聖書にみる霊的背景を考える 2024.2.17

GPO

ネタニヤフ首相の難しすぎる決断:人質救出が先かハマス打倒が先か

イスラエルは今、密集地ラファへの地上作戦決行を前に、ハマスとの人質返還とそのための休戦に関する交渉に直面している。

国際社会は、ラファが戦闘になれば、多くの犠牲者が出るとの危機感から、絶対に交渉に応じるべきだとイスラエルに圧力をかけている。

ハマスを完全に絶滅することは現実的ではないとの見通しもあり、外からだけでなく、人質家族はじめ、世論調査によると、イスラエル国内からも、交渉に応じてとりあえず、人質を取り戻すべきだとの考えに移行する傾向も指摘されている。

White House, February 16, 2024, in Washington. (AP Photo/Evan Vucci)

また今、アメリカのバイデン大統領が持ち出してきているのが、恒久的な平和のため、最終的には、ハマスのような過激派は抜きにするとしても西岸地区とガザを合わせてパレスチナ人が管理するパレスチナ人の国を立ち上げなければならないというビジョンである。

アメリカは実際にそのための水面下の動きも始めている。この動きに世界はおおむね賛同しているようである。

www.timesofisrael.com/biden-says-doesnt-expect-israel-to-launch-rafah-operation-as-hostage-talks-continue/

こうした中、ネタニヤフ首相は、ハマスとの交渉には応じられないとする姿勢を続けている。理由は、ガザにいるハマスの勢力は85%まで打倒しており、安全な市民生活を取り戻すためには、ガザからハマスの勢力を消し去り、非武装化しなければならないと考えているからである。

またこの流れで、パレスチナ人に国を認めるということは、過激テロ組織に、褒美を与えるようなものであり、平和どころか、イスラエル滅亡への運動はさらに悪化するとの見通しを訴えている。

www.timesofisrael.com/liveblog_entry/after-call-with-biden-pm-says-israel-wont-be-pressured-into-accepting-palestinian-state/

何が最もイスラエルにとって良いことなのか。ネタニヤフ首相は今、自分自身の立場どころか、国民全部の賛成を得られず、嫌われることを受け入れてでも将来のイスラエルを見越した選択をしなければならない立場に立っている。

今のネタニヤフ首相は、少し違うように見えるが、かつてのネタニヤフ首相は、その顔にまさに、イスラエルを守ることへの本気が見えていた。首相の座に残ろうとするのは、権力への執着ではなく、自分以外のだれであってもイスラエルは守りきれないと思っていたからではないかと感じていたものである。

これはイスラエルの初代首相、ベン・グリオン氏の中にもあった確信である。独立戦争を導いたベングリン氏は、連続して重大な決断をしなければならなかった。仲間内でも賛否両論ある中で、次々と決断をしていった。

無論、失敗や間違った決断もあったが、それでも、最終的には、彼の決断がイスラエル建国へと導いたということである。

ネタニヤフ首相の祖国イスラエルへの真の愛は今、どうなっているのだろうか。今もそれが彼を動かしていることを祈るのみである。

石のひとりごと:聖書に学ぶ悪との交渉と今私たちがすることとは

最近、おどろかされたことがあった。聖書から教えられていたことと、その後にニューヨークのTimes Square Churchのディレナ牧師が礼拝で語ったメッセージが、聖書箇所からその内容まで、かなり重複していたのである。

ただ、ディレナ牧師は、このメッセージとイスラエル情勢を結びつけることはされていない。あくまでも、石のひとりごとであることをご了承いただきたい。ただこのタイミングからして、もしかしたら主からのメッセージかもしれないと思い、ここに記録させていただいた。

1)悪とは交渉、妥協してはならないということ(第二列王記18-19、第二歴代誌32、イザヤ書36-37)

今、イスラエルは南北、また西岸地区からも、イスラエルに敵対する者に囲まれる事態になっている。聖書の時代にも同様の危機があった。

かつてのイスラエルは、北と南に分裂していたが、まず紀元前722年に、アッシリアが来て、北イスラエルを滅ぼしている。その約20年後の紀元前701年、アッシリアが、南ユダにも攻め込み、町々を滅ぼした後、エルサレムにやってきて、これを包囲した。

この一大危機に直面したユダの王、ヒゼキヤは、エルサレムにあった神殿の宝物、それだけでなく、本堂の扉に貼り付けた金をはぎとったものまで、アッシリアに引き渡して、「これらを引き渡すので、攻め込むのをやめてほしい」と、いわゆる交渉を持ちかけたのであった。

しかし、アッシリアはさらにエルサレムに踏み込んで、「今、私がこのこの所を滅ぼすために、上って来たのは、主をさしおいてのことだろうか。主が私に「この国に攻め上って、これを滅ぼぜ」と言われたのだ。」と言った。(第二列王記18:25)

基本的に、イスラエルを滅ぼそうとする敵がすでに迫って来ている段階での交渉は、無意味であるだけでなく、さらなる危機をもたらすだけであることが、この聖書箇所からうかがえる。

今のイスラエルが直面しているハマス、国際社会が交渉を強く勧めているハマスは、純粋に、イスラエルを滅ぼし、今のイスラエルの地を全部制覇しようとする、イスラム教過激派である。

ハマス創始者の一人の息子で、ハマスの息子として知られる、モサブ・ハッサン・ユーセフ氏によると、イスラム教聖典のコーランには、「神が不従順になっているイスラエルを罰する」と書いてあるという。ハマスは自分たちは、その剣だと考えて、10月7日の虐殺に及んだというのである。

ハマス、ヒズボラもアッシリアが南ユダを滅ぼしに来たときに使った動機でもって、イスラエルに立ち向かっているということである。

今、アメリカと世界は、イスラエルにハマスとの戦闘から手を引けといっているだけでなく、パレスチナ人の国という、まさに、大きすぎるご褒美を用意しようとしている。人間的には、論理的で人道的にも聞こえることが、実は、聖書の神に反発する悪の勢力に乗せられているという可能性もないとはいえない。

ネタニヤフ首相は今、世界から、また国内からも頑固で危険人物とされてでも、この交渉を拒否している。果たして、ネタニヤフ首相はかつてのヒゼキヤ王なのか、否か。その断言はできないが、今イスラエルと世界で起こっていることの背景に霊的な動きがあることも見る必要があるということである。

2)勝利への道:主へのとりなし

ここで重要なことは、その先どうなったかである。交渉も失敗したヒゼキヤは、交渉を停止し、人々にはアッシリア代表団とは口を聞かないように指示した。そうして、ヒゼキヤは、イスラエルの神、主の前に出ている。

主よ。御耳を傾けてください。主よ。御目を開いてご覧ください。生ける神をそしるために言ってよこしたセナケリブのことばを聞いてください。主よ。アッシリャの王たちが、国々と、その国土とを廃墟としたのは事実です。

彼らはその神々を火に投げ込みました。それらは神ではなく、人の手の細工、木や石にすぎなかったので、滅ぼすことができたのです。の神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知りましょう。(第二列王19:16-18)

この直後に、預言者イザヤが、イスラエルの神、主からのメッセージを届けるのだが、ヒゼキヤには何の作戦も力も残されていない中で、次のように言われた。「わたしはこの町を守って、これを救おう。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。」(第二列王19:34)

そうして、この時、ヒゼキヤたちが寝ている間に、主がアッシリアの軍勢18万5000人を打ち倒し、アッシリアは撤退していった。

イスラエルの歴史を見ると、その王がどのぐらい、その神、主とつながっていたのかが、国全体のことにつながっている。今、首相として決断するところに立っているネタニヤフ首相の心が、どれほどに主の前に出ているのかが、歴史を変えるということである。

その決断を支えるのが、私たちの祈りであるということである。ディレナ牧師は、メッセージの中で、私たちは、主がどれほどに大きなお方であり、祈ることで動く用意があるお方だということをもっと認識すべきだと強調している。

この混乱の世界にあって、主とつながっているクリスチャンたちは、自分の救いで終わらず、イスラエルや世界、日本という国のためにとりなすことができる。そのとりなしが、歴史を動かすということである。

ただ同時に、ディレナ牧師は、そうすればそうするほど、この主につながれば、つながるほど、この世からは嫌われるとも警告していた。主の名が付けられているイスラエルを支持することが、自分の身を不利にするということである。しかし、それこそが、本物かどうかがわかる点でのあると言っている。

今のネタニヤフ首相の決断が、いいのか悪いのかを断言することはできない。また、100人以上の人質がいることや、ハマスを打倒するということがいかに難しいのか、将来のガザはどうなるのか、人間的にはもうわからないくなっている。

今、ヒゼキヤのように、へりくだって、ただこの神の前に出て、イスラエルを助けてくださるように、ハマスの支配の中で悲惨極まりなくなっているパレスチナ人を覚えて、とりなす時である。

どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。

また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。

神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ書1:17-21)

なお、ディレナ牧師が発進していることは、自分の考えに基づいて、大事なものを罪に引き渡すと言った悪との妥協をしないこと。どうしようもない時には、主の前に出て、主に祈る、頼み込むということ。主はそれを待っておられるということである。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。