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イスラエルのガザへの地上戦が本格的にはじまり、ガザでの壮絶な様子が報じられている。日本のテレビや大手新聞などでは、現代のイスラエルが独立して以来、いかにガザを残忍に取り扱ってきたのかということだけが、解説者の口から出ている。事実とは大きく異なるため、ここで解説を試みる。
ガザ:聖書時代以前から存在する町
「ガザ」と呼ばれる町、または地域は、最近になってできた町ではない。聖書の創世記の時代からすでに登場している。
歴史的には、紀元前3000年ぐらいに、ガザは、カナン人の町の一つとしして人が住んでいたという。ということは、日本史でいえば、弥生時代にはすでに、「ガザ」は存在していたということである。
*聖書とは
日本人には、深くは馴染みのない聖書だが、これは宗教の書物というよりは、イスラエルを中心とした実際の歴史とその中に生きた人々の書いたものが記されたものである。旧約聖書は神とイスラエルの契約がテーマであり、新約聖書はいわばその完成がテーマになっている。
聖書は、世界で最も翻訳数、出版数が多い、文字通り世界一の不動のベストセラーである。池上彰氏は、「聖書を読めば世界が見える」という書籍を出版されている。
聖書の中に登場するガザ
1)ノアの時代にまで遡るガザ
カナン人は、聖書の創世記10章によると、ノアの方舟で有名なノアの3人の息子、セム(のちのイスラエル人)、ハム、ヤペテのうち、ハムの子孫の一部族であった。そのカナン人の領土として、10章19節に上がっている地域の中に「ガザ」が含まれている。
また、創世記10章では、カナンと同じハムの子孫としてミツライムが上げられており(6節)、その子孫の中に「ペリシテ人」が登場している(14節)。「ペリシテ」という言葉は、ヘブライ語でフィリスティンであり、今の時代の「パレスチナ人」になったという説もある。
ペリシテ人は、ここでカフトル人とも記されているように、かつてクレタ島やエーゲ海に住むようになり、「海の民」と呼ばれた。
2)イスラエルの宿敵ペリシテ人の町ガザ
海の民とも言われていたこの「ペリシテ人」は、その後紀元前13世紀ごろから、今のイスラエルの海岸から陸地に上がって住むようになった。ガザから今のテルアビブに続く海岸付近には、ペリシテ人たちが、かつて住んでいて、アルコールを楽しんでいたといった考古学的な遺跡も発掘されている。この当時の支配者は、エジプトである。
ちょうど、同じころ、エジプトから出て、ヨシュアとともに父祖の地パレスチナ地方に住み始め、ペリシテ人と衝突するようになった。その後、ペリシテ人は、その後長く、イスラエルの宿敵として登場していくことになる(創世記26:18)
この対立が、ガザの名前とともに著名になるのが、紀元前13世紀ごろの預言者サムエルとサムソンの時代である。この当時のペリシテ人の5大都市が、ガザ、アシュケロン、アシュドド、ガドとなっている(ヨシュア13:3)。ガザ以外は今は、イスラエルの領土内に入っている。
イスラエル人であったサムソンは、ガザのペリシテ人と対峙し、最終的には、ガザでペリシテ人たちを道連れにして死ぬことでヒーローに数えられた。(士師記16章)
その後もダビデ、ソロモンと、ペリシテ人とガザは、イスラエルの宿敵として登場し続け、紀元前6世紀、ヒゼキヤ王の時代にもペリシテ人の領土の中に、その名前が記されている。(第二列王18:8)
3)最終的にさばきが預言されているガザ
ガザについては、最終的なさばきが預言されている。
エレミヤ(25:7)、アモス(16:7)、ゼパニヤ(2:7)、ゼカリヤ(9:5)には、イスラエルに敵対したガザには、将来、神の裁きがあることを記している。
聖書時代以降:現代イスラエル建国までの中で
1)ローマ帝国時代から近代までのイスラム支配の下で
ペリシテ人の名前がなくなるのは、紀元前4世紀のアレキサンダー大王の時代であった。しかし、ガザの名前は残り、新約聖書の時代には、ピリポが、「ガザ」への道中にエチオピアの宦官に出会ったことが書かれている。
ガザはローマ帝国時代に再建され、一時ヘロデ大王の支配下に置かれて、一大都市となり、この時代に始まったキリスト教も盛んになった。このためガザには、古いシナゴーグの遺跡などが残っている。しかし、7世紀にイスラム教が始まって、イスラム帝国に支配されると、ガザは、イスラムの町となった。
十字軍が一時的にイスラムから解放したが、その後もガザと周辺の海岸地域は、マムルーク朝、エジプト、オスマントルコと、1000年以上、イスラムの国に支配された。
2)イギリス委任統治の下で
これを破ったのが、1917年に第一世界大戦でパレスチナ地域を委任統治するようになったイギリスである。イギリスの支配下で、ガザは、発達を遂げている。この時代、バルフォア宣言でユダヤ国家のビジョンが、現実味を帯びてきたこともあり、パレスチナ地域での開拓をすすめていたユダヤ人が、ガザでの開拓も進めていたのであった。
しかし、1929年に、アラブ人による蜂起でユダヤ人との衝突が激化してきたことを受けて、ユダヤ人たちはガザから撤退していった。
イスラエル建国からインティファーダの時代(1948-1987)
1)激動のイスラエル建国1948年から1987年
1948年にイスラエル独立戦争が勃発すると、パレスチナ地方にいたアラブ人たちは、多くがヨルダンとエジプト方面へち逃れて行った。エジプトへ行こうとしたアラブ人たちは、ガザ地区に留まった。戦争が終わると、ガザ地区はエジプトが支配するところとなった。
その約20年後の1967年に勃発した第三次中東戦争で、西岸地区とガザを含むシナイ半島が、イスラエルの支配下に入ることとなった。イスラエルは、エジプトとの和平交渉でシナイ半島は返還したが、ガザはイスラエルもエジプトも受け入れたくない地として放置された。
しかし、このころ、アラファト議長によるPLO(パレスチナ解放戦線)が、「パレスチナ人」という名称で、国際テロを行うようになる。1987年には、第一次インティファーダ(民衆蜂起)が始まり、中等問題が泥沼化すると、ヨルダンは、1987年に正式に西岸地区を放棄するとの表明をしたのであった。
2)ハマス登場:自爆テロの発案者
ハマスが出てくるのはこの時代である。ハマスは、エジプトのアフマド・ヤシンのムスリム同胞団という組織が、イスラエルを打倒することを目的に立ち上げたテロ組織である。ハマスは、イスラエル国内で自爆テロで多くのイスラエル人と殺害するようになる。
3)ガザのユダヤ人とパレスチナ人が共存した時代
この激動の時代、ユダヤ人たちは、西岸地区、ガザ地区にも入植活動初めた。
グッシュ・カチーフは、ガザに豊かなハイテクを取り入れた農園を作り、近隣のパレスチナ人を雇って、海外へも輸出するまでに成長したのであった。
パレスチナ人によるテロは発生していたが、それなりに共存もできていた。
この時代、イスラエル人たちは、ガザのビーチに子供たちとともに遊びにいけていた。ガザ周辺に住むイスラエル人の多くは、ガザにパレスチナ人の友人がいたのである。
しかし、1993年にオスロ合意でパレスチナ自治政府が立ち上がると、逆にイスラエルとパレスチナ人の敵対は深まっていった。2000年には、自爆テロによる第二次インティファーダも発生するようになった。
イスラエル軍は、ガザのユダヤ人たちを保護するためにガザにも部隊を駐留させた。しかし、これで戦死する兵士もあいつできたことから、2005年、当時のアリエル・シャロン首相は、ガザからの民間人、治安部隊全部を撤退させることを決断。実施したのであった。
1700の家族(9000人)が、長年開拓した美しい農園を敵に明け渡さなければならなかった。ユダヤ人たちは、自ら農園を破壊して去っていった。
当時、ビル・ゲイツが、ガザのユダヤ人から、この農園の一部を買取り、ガザのパレスチナ人に寄贈したが、それも含め、パレスチナ人はすべて破壊した。今、ガザで食糧難になっているが、この農園をすべて利用していたら、今の人道支援問題はある程度防げたはずである。
ハマスのガザ支配と以後の戦争の経緯(2005ー現在)
1)ハマスのガザ支配
2005年にイスラエルがガザから完全撤退してから2年後、パレスチナ人の間では、パレスチナ自治政府が汚職にまみれていることに不満が高まり、2006年に行われた総選挙ではハマスが過半数となった。
ところが、ハマスは政治的にパレスチナ人を支配してよりよくする意志などなかったのか、2007年、パレスチナ自治政府に反旗を翻し、ガザから自治政府職員を追放して、支配権を奪ったのであった。以後、ガザはハマスに支配される形である。
ハマスがテロ組織であることから、イスラエルだけでなく、エジプトも基本的には国境を閉じて、特別な場合以外、ガザからの出入りができない形に置いた。ガザを天井のない檻にしたのはイスラエルだけでなく、エジプトもその一端を担っているということである。
何度もお伝えしているように、ハマスの存在目的はただイスラエルの滅亡であるので、ガザの治世にはほとんど力を入れてこなかった。このため、インフラは崩壊し、経済も崩壊。民間人たちは、国連などの支援に頼る生活となった。
2)イスラエルとの戦争の経緯
2005年にイスラエルがガザから撤退して以降も、ガザからはロケット弾による攻撃が続いた。イスラエルへの侵入も続いたことから、イスラエルはガザとの国境に防護壁を築いた。すると地下トンネルを掘って、地下からイスラエル領内へテロリストが入ってくるようになった。このため、イスラエルは、国境の地下深くにも防護壁を作った。これにものすごい資金を割いていたことを覚えている。
こうした中で、ハマスとイスラエルの間には、軍事衝突が何度も発生した。大きな事件としては2006年にイスラエル兵ギラッド・シャリート軍曹が、ガザ国境で誘拐され、この年の夏から秋にかけてイスラエルは地上戦を行った。11月に停戦となった。
ガザからは、以後もイスラエルへロケット攻撃が続いていたことから、2年後の2008年2月には、イスラエルにロケット弾が150発も撃ち込まれた。イスラエルは地上戦と開始。ガザでは、1200―1400人が死亡したとされる。この時も、国際社会はイスラエルを非難し、国際違反だと責めた。レバノンでヒズボラが、エジプトやイランで反イスラエルデモとなった。6月にエジプトの仲介で停戦となった。
シャリート軍曹が、イスラエルに戻ったのは拉致されてから5年後の2011年。当時のネタニヤフ首相が、ハマスの要求に応じて、イスラエルに収監されていたパレスチナ人テロリスト1000人強を解放したことでの事であった。
この時に解放されたテロリストが、後に、イスラエルに対して深刻なテロを起こして、多くのイスラエル人が死亡することとなった。
その後も毎年のように衝突が発生。2012年には、「防衛の柱作戦」が実行され、イスラエルの地上軍がガザへ入っている。この時欧米諸国はイスラエルの自衛権を支持したが、アラブ諸国はイスラエルを非難した。
続いて2014年7月にも大きな衝突が発生。イスラエルは「防衛の先端作戦」としてガザへ地上軍を進軍させた。この時ガザでは、2205人(民間人1483人)が死亡。イスラエル人も71人(66人が兵士)が死亡した。8月に停戦。
この時から、ハマスが民間人を盾にしていることが明確にされるようになった。
以後、毎年のように衝突が発生していたが、2018年からは年に数回となり、2022年以降は、エスカレートする状況にあった。全部を列記することはできない。
今回の戦争はスケールが違いすぎるということ
ガザのこれまでを振り返って明らかなことは、イスラエルが、ガザという領土には全くこだわりがないということ。イスラエルが、ガザのパレスチナ人を殺そうとする意志は全くないことは明らかである。
さらに、イスラエルを戦争に駆り立てるのは常に、パレスチナ側の過激派テロ組織であるという事実。そのテロ組織が、パレスチナ市民たちのことはまったく考えていないどころか、盾どころか武器にしているという事実である。
ハマスは、パレスチナの若者をマインドコントロールして、自爆テロに育てた。今も、トンネルや基地の上にパレスチナ人を住まわせている。イスラエルの警告で南部へ逃げようとした民間人を妨害したのである。
ガザにできた大きなクレーターの上に立っているのは男性がほとんどではないか。パレスチナ人の女性や子供たちはどこにいるのだろうか。彼らもまたマインドコントロールされているのだろうか。
今回、これまでと同じように、またイスラエルが停戦に応じることはない。それはこれまでとってきた停戦という方策で、今の事態を招いたからである。また今回、イスラエルが受けた攻撃は、これまでとは全く違うスケールであった。
ガザからイスラエル南部へ侵入したテロリストは3000人だったことが新たに発表された。その3000人に、1400人ものイスラエル市民が、残虐に一気に殺されたのである。その残虐性とその人数の大きさは、人間の想像を超えていた。
イスラエル軍が提供した記録映像は、メディアやイスラエルの政治家に公開されたが、最後まで見られなかった人も少なくなかった。その度合いを世界はまだ知らないと思う。ハマスは、こうした虐殺は機会あるごとにやり続けると宣言しているのである。
ニュースでは、イスラエルがハマスより大きな軍事力を持っていると解説しているが、今のハマスはこれまでのハマスと全く違っている。軍事力もそのスケールも予想をはるかに超えている。ハマスがイデオロギーであることを考えても、今ある武装システムを完全にすべて破壊しなければならない。
今思えば、国際社会は、早期のうちに、イスラエルとともに、このナチスやISISなみにテロ集団を撃滅しておくべきだっただろう。それこそが、パレスチナ人にとっても最善だった。逆に、国際社会は今も、イスラエルの手を縛り上げて、被害を拡大しようとしているのである。
今、ヒズボラやフーシ派まで出てきて、イランの姿がこれまで以上に現実味を帯びている。世界に何をいわれようが、イスラエルは、生き残りをかけて徹底的に戦うだろう。
石のひとりごと:このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか(聖書)
ガザという町は、はるか昔から存在している。その歴史を振り返って、あらためて、ハマスがイスラエルの滅亡しか望んでないということを実感させられる。それは長い歴史を通じて変わっていないのである。
昔から、神がその名をつけて、神ご自身を証する者として見守っておられるイスラエルに敵対し続けるという、その性質は今も変わっていないのである。その一点をみても、聖書がいかにリアルを語っているかがわかるだろう。
かつて、イスラエルに住み、イスラエル人と過ごす中で、2014年の戦争の時は、ガザ国境にも取材に行った。もう10年近くなるのに、ハマスの敵対心が消え去らないどころか、もっと増大して、その能力もグレードアップしていることに恐ろしさを感じる。
まさに背後に霊的な悪、天地創造の聖書の神に敵対し続ける悪い者がいることを実感させられる。ハマスもパレスチナ人もその悪に支配されているということなのである。イスラエルはその勢力に包囲されており、ニュースでは強そうにみえても、実際には、かなりの危機に立たされている。
しかし、今知るべきは、聖書によると、この天地を造られた神が、「イスラエルの神」と名乗られていると言うことである。そして、このイスラエルの神は、ハマスやイランなどよりはるかに大きく、はるかに力強いということである。
聖書は、上記に書いたように、イスラエルを呪うものは、最終的にはその呪いが自分にふりかかると明確に警告している。特にガザについては、名をあげてそれが書かれているのである。
これは主に選ばれた者、イスラエルを虐めたことへのバチという意味ではない。聖書の神、主は、イスラエルをひいきにしているわけではない。
ただ神は、イスラエルを用いて、まず人間の限界を示されている。その上でなお、イスラエルを見捨てず、彼らの義のゆえではなく、神自らの義と、自らの手でもって彼らを救うことで、私たち皆にご自身の私たちの真の愛を示しておられるのである。
神が望んでいることは、私たち自身が罪あるもので、神の前に足りないものであることをまず認めるということ。そして、神から与えられる赦し(イエスの贖い)を受け取り、神に立ち返ること。
これを示すことに選ばれているイスラエルが負っている、主の証になるという使命は苦難続きだ。ホロコーストをみてもそれは明らかである。
だから、神は、最終的には、イスラエルもまた自らの罪に目が開かれ、救われる日が用意されていると書いてある。国単位で、罪が取り除かれて救われる時が来るという約束をいただいているのは、イスラエルだけである。(ローマ書11章)
だから、何があろうが、主の目はイスラエルから絶対に離れない。だからこそ、イスラエルに歯向かう者は最終的には、苦難を受けるということなのである。
主は、イスラエルから離れない。聞き耳をたてておられる。今苦難の中で、イスラエル人たち、特に戦争を導いているネタニヤフ首相や、軍のリーダーたちには、イスラエルの軍備ではなく、彼らの持つ最大の武器、主に目を向けてもらいたいと思う。私たちクリスチャンも彼らと共に、主が戦ってくださることを求めていきたい。
全知全能の神が彼らの祈りを聞き、悪の支配からイスラエルを守り、ガザのパレスチナ人たちを解放へを導いてくださることであろう。世界はその中に、聖書の神をみることになるだろう。
まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。(申命記4:7)
この全集団も、主が剣や槍を使わずに救うことを知るであろう。この戦いは主の戦いだ。主はおまえたちをわれわれの手に渡される。(第一サムエル17:47)
*少年ダビデが、ペリシテ人巨人ゴリアテと戦った時のことば