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ネタニヤフ首相の国連総会スピーチ:ゲリジム山とエバル山
9月22日(金)、ネタニヤフ首相は、首相として12回目となる国連総会でのスピーチを行った。その様子は、イスラエルのメディアは、同時配信の形で報じていた。
ネタニヤフ首相は、3000年以上前に、モーセに率いられたイスラエル人が、約束の地に入る前に、モーセが群衆に語ったとする聖書箇所からスピーチを始めた。
ネタニヤフ首相が引用したのは、聖書の申命記27章からで、約束の地に入ったら、祝福の山(ゲリジム山)とのろいの山(エバル山)の間に立つことになり、祝福かのろいかの選択をしていくことになると言った形である。
これに続く28章には、祝福を道を選んだ場合と、のろいの道を選んだ場合の具体的な結果が書き記されている。
それによると、祝福の道とは、もしイスラエルの民が主の声に聞き従った場合で、その結果どうなるのか、11節までにわたって、具体的な祝福の形が記されている。次に、主の声に聞き従わなかった場合どうなるのか。12節から、68節までに、さまざまなのろいが延々と綴られている。
のろいの方がはるかに多いだけでなく、最終的には、「あなたのいのちは、危険にさらされ、あなたは夜も昼もおびえて、自分が生きることさえおぼつかなくなる」と最悪の事態となっている。明らかに選択を間違うなという警告だということである。
モーセの使命はここまでで、その後実際に約束の地に入って、ヨシュアが、ゲリジム山とエバル山の前に立ったのは次世代のヨシュアの時代であった。ヨシュアは、モーセが命じた通りのことをここで宣言した。(ヨシュア記8:30-35)
しかし、その後、イスラエルの民は、主に従いきれず、数々ののろいを経験することになる。ヨシュアは、主に従いきれない人々を前に、自分でどうするのか選択せよと言い、ヨシュア自身は、「私と私の家とは。主に仕える。」と主の声に従う道を選ぶと宣言したのであった。(ヨシュア記24:15)
要は祝福の道を選ぶのか、のろいの道を選ぶのかは、私たち次第だということ。ネタニヤフ首相は、聖書のこの箇所から、世界にどの道を選ぶのかのチャレンジをしたということである。そのチャレンジとは以下の3点。
1)これまでの常識ではなくイスラエルと中東諸国の平和を認めるのか否か
ネタニヤフ首相は、今世界、特に中東が、これまでの争いの常識ではなく、平和を選ぶことを問いかけた。
具体的には、これまでは、パレスチナとイスラエルの問題が解決しない限り、中東アラブ諸国とイスラエルの対話はありえない、と考えられてきたことへの方向転換を示したということである。
ネタニヤフ首相は、2020年に発足したアブラハム合意を通して、その平和の結果としての大きな変化、祝福は明らかであるとし、今、サウジアラビアとの国交も間近になっているとの期待を明言した。
また先のG20で合意されたIMEC(イスラエル経由ヨーロッパを結ぶ輸送路構想)を地図を出して提示し、アジアから中東(サウジアラビアとヨルダン、イスラエル)を経由してヨーロッパに、平和と安定した物流となり、歴史的な変化になると語った。こうした動きはパレスチナ人にとっても、結果的には祝福になっていくはずだと語った。
ネタニヤフ首相は、こうした対話の中に、パレスチナ人もいるべきだが、彼らに拒否権を与えるべきではないとも述べた。パレスチナ人は、人口でいえば、中等世界の2%であり、その2%が、98%の国がイスラエルとの国交を開始しようとする決断を左右すべきでないということである。98%のイスラエルとアラブ諸国が、平和になっていけば、その中で、パレスチナ人の立場も明確になっていくと語る。
2)イランの政権でなくイランの市民たちに目を向けること
一方で、こうした動きを妨害し続けているのがイランだと指摘。イランは、世界でテロを支援し、外国人を誘拐・捕虜にする。ドローンはイスラエルや周辺諸国の脅威になっているだけでなく、核兵器を開発し、世界の脅威となっている。
しかし、イランには政権に反対し、危険の中で戦っている市民たちがいる。そういう市民たちこそが本当のパートナーである。
3)AIを平和と繁栄のために利用できるのか否か
次にネタニヤフ首相が持ち出したのは、AIにより、世界が今大きな転換に立っているという点。AIの進歩により、医療の発達や老化の防止、社会生活の便宜が高まるなど、限りない祝福が見えている一方で、AIによる個人生活や、民主主義、倫理が簡単に脅かされることにもなりうると警告した。
最後に、AIを祝福に使うのか、のろいに使うのか。そのための十分な時間は与えられていない。私たちは人間と機械の知性の組み合わせで、AIを危機ではなく、祝福にしていくことができると呼びかけた。
国連会場はからっぽ:会場外では約2000人のイスラエル人がデモ
開会から4日目でもあり、スピーチや外交の予定が終わった首脳たちのほとんどは、すでに帰国した後なので、会場はかなりの席が空席であった。(オンラインでは見ていたと考えられる)
会場に座っていたのは、まだスピーチが終わっていない国の代表と、ネタニヤフ首相を支持する政権関係者と在米の右派支持者たち。それからサウジアラビアの代表も座っていたことは注目された。
それとは対照的に、ネタニヤフ首相がスピーチするのに合わせて、国連の外では約2000人のイスラエル人や、在米イスラエル人、ユダヤ人などが、司法制度改革に反対を訴えるデモを行っていた。
www.timesofisrael.com/2000-protest-outside-un-against-netanyahu-as-he-addresses-general-assembly/
石のひとりごと
ネタニヤフ首相のスピーチは、国内でも賛否両論あるようである。確かに、今中東は、平和に向かって方向転換するチャンスに立っているとは言えるだろう。
しかし、若干、現実離れと感じられなくもない。サウジアラビアとの国交成立には、まだまだ超えなければならないハードルがいくつもあるし、その一つであるパレスチナ問題は、今や内戦、戦争の様相にまでなっているのである。パレスチナ自治政府は、ネタニヤフ首相のスピーチに、昂りもいいところだと激怒を飛ばしている。
さらにいうなら、イスラエル国内も火がついていて、サウジアラビアとの国交条件には右派も左派もが、同意していない。国連の外で、スピーチの間中、自分に反対をぶつけていた2000人以上の同胞たちを見て、ネタニヤフ首相は何を感じたのだろう。
国連でスピーチするネタニヤフ首相の目に、やはり以前のような目力がなかったように思う。これからイスラエルはどうなっていくのだろうか。しかし、どうにも先がみえないからこそ、ここから主がどんなふうに、イスラエルを導かれるかもまた期待するところである。
私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方。
主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
(聖書 詩篇121)