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イスラエルでは18日日没から19日にかけて、第56回目となるエルサレム統一記念日を祝う日であった。ガザとの5日間の戦闘が、あやうい停戦に入ったばかりであり、ハマスからの脅迫も出ていたので、毎年のことながら、国内外からの懸念が噴き出す中でこの日を迎えたのであった。
ネタニヤフ首相は、右派政権らしく、右派たちの神殿の丘訪問、右派ユダヤ人ユースによるフラッグマーチが東エルサレムを通過することも公に許可を出していた。警備には3000人以上が配備されていた。
今年のフラッグマーチ参加者は、昨年の7万人よリ少ない5万人と伝えられている。幸い、今年も大きな衝突に発展しないうちに、すべてのイベントが無事終了となった。
エルサレム統一記念日と現在のエルサレム:人口98万人中ユダヤ人59万人
エルサレムは、1948年の独立戦争以来、20年近く、高い壁で東(ヨルダン)西(イスラエル)に分離した状態に置かれた。エルサレムは、旧市街は、東エルサレムであったので、ユダヤ人は神殿の丘に行くことができず、遠くから眺めて憧れていたのであった。
しかし、1967年、イスラエルは、六日戦争で神殿の丘を含む東エルサレムを奪回する。この時東西を分離は打ち壊され、エルサレムは東西を統一した、今の形となった。
宗教シオニスト(右派)のユダヤ人にとっては、まさに大興奮の出来事であり、毎年、右派ユダヤ人ユースたちが、数えきれないほどのイスラエルの旗を振りながら、象徴的に東エルサレム、旧市街のダマスカス門からイスラム地区を通って、嘆きの壁までの大行進(フラッグ・マーチ)を行っている。
しかし、実質的には、今も東エルサレムに住んでいるのは、大部分がアラブ人(パレスチナ人)であり、町の雰囲気は、西と東では別の国かと思うほどに違っているというのが、現状である。その明らかにアラブ人地域に、大勢のユダヤ人ユースの大群衆が、イスラエルの旗を振りながら、通過していくというのがこの日である。
当然ながら、アラブ人にとっては屈辱の日である。この日をめぐって、ガザからロケット弾の雨となった年もあり、毎年、かなりの危機的な懸念の中、最大限の警備をもってこの日のイベントが行われてきたのであった。
現在、エルサレムは総人口98万人。テルアビブの2倍で、イスラエル最大の都市。このうち、ユダヤ人(ユダヤ教徒)は59万人で、アラブ人は37万5000人。アラブ人のほとんどにあたる36万2000人はイスラム教徒で、1万2900人がキリスト教徒。非アラブ系キリスト教徒は3500人で、1万500人がその他となっている。
エルサレム在住のユダヤ人で20歳以上の大人のうち、35%が超正統派である。超正統派ユダヤ教徒とイスラム教徒も子供が多いので、エルサレム総人口の35%が14歳以下の子供である。
ユダヤ人たちのイベント:東エルサレムで殴り合い喧嘩も
1)18日午前中に右派政治家神殿の丘訪問
今年も18日、フラッグマーチと重ならない午前中に、大臣1人を含む右派政治家たちが、ホットスポットである神殿の丘を訪問した。訪問したのは、右派リクードの議員と、極右政党オズマ・ヤフディの、ネゲブ・ガリラヤ担当代人と議員を含む過激右派ユダヤ教徒ら数百人である。
הר הבית בידינו pic.twitter.com/5yQiSRY1Vh
— ארנון סגל (@arnonsegal1) May 18, 2023
今年は、ベン・グヴィル氏は含まれていなかったが、その妻、アヤラ・ベン・グヴィル氏が含まれていた。これについては、ヨルダンが、挑発行為だとして警告、非難する声明を出した。
2)フラッグマーチ:過激右派政治家ベン・グビル氏も
18日午後から、西エルサレムのグレートシナゴーグ前の通りを、イスラエル全国から集まった右派、ユダヤ教シオニスト系の若者たち(ユダヤ教神学校生徒などで多くは10代)を中心に、大勢の市民たちが、それぞれイスラエルの旗を掲げて集合し、あちこちでダンスするなどして、エルサレム統一を祝うイベントが行われた。
その後、男女それぞれの集団に分かれて、喜びながらイスラエルの旗を掲げて、旧市街、ダマスカス門から、入って、嘆きの壁に向かって歩いていった。この一団に過激右派政治家で警察を管轄に置くベン・グビル氏と同じ政党から12人も含まれていた。
Yeshiva students sing the ultranationalist hymn and vengeance song about Samson toppling a temple on the Philistines in the Muslim Quarter of the Old City of Jeruselem during Jeruselem Day events today… pic.twitter.com/dghho6OsUe
— Jeremy Sharon (@jeremysharon) May 18, 2023
毎年のことではあるが、今年も、「アラブ人は死ね」「お前たちの村は燃えてしまえ」などとの過激な声を発したり、アラブ系メディアの報道陣を妨害したり、一部ではパレスチナ人との殴り合いになる様子も報じられていた。
Instances of violence already reported among Palestinians, as Jewish nationalists march through the Muslim Quarter of the Old City. pic.twitter.com/8lg58Aacc3
— Hamdah Salhut (@hamdahsalhut) May 18, 2023
以下は、嘆きの壁でのイベント
3)左派のフラワーマーチに数百人
一方で、こうした過激ではない方法で、午前中のうちに、ダマスカス門ではなく、ヤッフォ門からアルメニア地区を通って嘆きの壁に至ったグループもいた。
左派によるグループで、「この日がアラブ人にとっては嫌なひであることを覚えるべきだ。」として、「愛、連隊」を表明するため、イスラム教徒、キリスト教徒、アルメニア地区住民に、花を配布しながらマーチした。
このマーチを始めたのは、自身も宗教シオニストのラビ・グバリヤフで、右派のフラッグマーチのようなやり方は、毎年東エルサレムを制覇するようなものであり、エルサレムばすでにイスラエルの主権下にあるのだから、そんな人種差別的な挑発は不要だと訴えている。
ラビ・グバリヤフによると、実際のところ、フラッグマーチが、ダマスカス門からイスラム地区を通るようになったのは、2000年代になってからだという。確かに、マーチは年々、過激化しているように思う。
しかし、当然ながら、ユダヤ人からの花を笑顔で受け入れてくれる人もいれば、拒否する人もいるとのこと。やり方は違っても、アラブ人にしてみれば、イスラエルに制圧された日であることには違いはないので、逆に花を渡される方が嫌味かもしれない・・とも思う。
3)弾薬の丘での国家イベント(フラッグマーチとほぼ同時進行)
日没からは、東エルサレムで六日戦争の激戦地域であった弾薬の丘で、毎年行われる国家イベントが行われた。ネタニヤフ首相は、「脅迫があったからこそ、フラッグマーチは予定通り行った。ガザで、大きな打撃を与えたが、そのメッセージはガザだけでなく、その周囲の組織にも伝わったと信じる。」と、強気をアピールした。
ヘルツォグ大統領は、ユダヤ人賢者の言葉から、「意味のない憎みあいが、エルサレムを破壊してきた。」と述べ、2000年前に、エルサレムがローマ帝国に滅ぼされたのは、当時市内にいたユダヤ人が、過激派右派(熱心党)とそうでない人々との間に、意味のない、憎しみがあったからだと語った。
意見の相違がある時に、平和に向けた話し合いをせずにいると、憎しみにつながり、それが破壊につながっていく。歴史からの教訓を学ぶべきだと述べた。
司法制度改革問題は、ガザとの戦闘が停戦になったのではあるが、まずは予算を通過させることが先決となっているので、今はまだ棚上げ状態になっている。予算策定後にまた動き始めると思われるが、その予算でもまた、どうしようもない意見の不一致で、もめているところである。
www.timesofisrael.com/herzog-at-jerusalem-day-event-warns-senseless-hatred-leads-to-destruction/
ガザ国境で反発デモ
エルサレム統一記念日が行われたこの日、ガザ地区国境では、これに反発するデモが行われ、数千人が参加していた。パレスチナ人たちは、タイヤを燃やすなどして、反発した。
これに対し、イスラエルからはドローンが飛来して、催涙弾を落としていったとのこと。
WATCH: Israeli army drone drops tear gas canisters as Palestinians protest near security fence on Gaza border pic.twitter.com/lyl2xSMYB1
— i24NEWS English (@i24NEWS_EN) May 18, 2023
なお、別件になるが、ハマスは、イスラエルに対し、先のイスラム聖戦との戦闘の際、参戦しなかったとして恩を売り、カタールに舗装金を要求しているとのこと。
www.israelnationalnews.com/news/371616
石のひとりごと
エルサレム統一。喜ばしいことなのであろうが、なかなかそうとばかりは言えないようである。
ヘルツォグ大統領が言うように、意見の相違を管理しないままでいると、憎しみが深まっていく。その憎しみがいろいろなものを破壊していくのである。そのサイクルは、主でしか止められないという、これが人間の現実なのだろう。
将来、主が来られて、水戸黄門のように、すべてを平定する。それまで人間は、望んでいないにもかかわらず、意見の相違と憎しみと、実際の争いで、自らを破壊し続けてしまうのかもしれない。
主は地の果てまでも戦いをやめさせ、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる。」(詩篇46:9-10)