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ヤイル・ラピード首相(58)は、ベネット前首相と違って、中道左派、世俗派、中間層支持者に支えられている政治家である。所属シナゴーグは、改革派で、右派で正統派であったベネット前首相とは、ユダヤ教における立場は、だいぶ違っている。
しかし、現代イスラエルを守り発展させるという覚悟と意志は、ベネット氏と変わらない。以下は、ラピード首相の歩んできた背景と、これから速攻で対処すべきことがらである。
ジャーナリストから政治家へ
ヤイル・ラピード首相(58)は、1963年、テルアビブで生まれた。父はハンガリー出身のジャーナリストで、ホロコースト・サバイバー、後にイスラエルの法務相になったヨセフ・ラピード氏である。
母シュラミットさんも劇作家、その父で祖父にあたるダビッド・ギラディ氏は、イスラエルのヘブライ語有力紙マアリブの創設者の一人であった。母方曾祖母にあたるヘルミオネさんは、アウシュビッツで虐殺されている。
代々執筆者の家系で育ったラピード首相は、青年のころはどうもは、問題児であったのかもしれない。高校を中退している。しかし、執筆能力はあったのだろう。従軍中は、軍隊でも記者として軍誌を担当。従軍後は、マアリブでの記者になった。このころには、アマチュアボクサーの顔もあるとのことで、なかなか難しい若者だったかもしれない。
1988年からは、マアリブのコラムニストとして書き続ける他、イスラエルのもう一つの有力紙イディオト・アハロノトで編集者として働くようになった。多数の小説を出版する他、歌を作ったりもしていた。
1994年からは、テレビのニュース番組司会者を開始する。日本でいうならNHK(コマーシャルはある)ぐらいの国民的なチャンネル2のプライムタイムのニュースで、人気コメンテイターを務めた。
ラピード首相は、大学で学んでなかったので、博士号取得のためにバルイラン大学(日本では東大ほどに優秀)への入学が認められた。しかし、学士どころか高校も卒業していない人がいきなり博士号への入学を許可されたとして問題になったという。最終的には、多くの執筆や社会的貢献から、入学を認められるといったエピソードもある。
政界へのデビューは2011年からである。ラピード首相は、彼が党首を務めるイエシュ・アティード(未来がある党)を立ち上げた。その翌年の総選挙で、ラピード氏は、ネタニヤフ政権に加わって、2013年から経済相を2年間務めた。
www.timesofisrael.com/yair-lapids-unlikely-rise-from-tv-star-to-israels-incoming-prime-minister/
ベネット前政権の立役者として
経済相だった2年の間、ラピード氏は、ネタニヤフ氏とは犬猿の中となり、2013年からは、ネタニヤフ氏と対立する主要な野党勢力となった。一時、青白党を立ち上げたガンツ氏と合併して、ネタニヤフ政権の打倒を試みたが、ガンツ氏が、ネタニヤフ首相に寝返ったので、この試みは潰えた。
ラピード氏は、再び未来がある党に戻って、体制を立て直した。中間層世俗派からの支持を背景に、2021年の4回目総選挙で、得票数が2番目となり、過半数を得られなかったネタニヤフ首相に代わって、大統領から政権設立を命じられた。
この時、ラピード氏は、とにかくネタニヤフ氏を首相にさせないことを大目標として、各党と交渉を続け、アラブ政党ラアム党を引き入れることに成功。ベネット氏が先に首相になることを条件に、ヤミナ党も引き入れて、昨年6月、史上最も多様と言われた、右派左派中間、アラブ政党まで加わったベネット政権を立ち上げたのであった。ベネット政権の立役者はラピード氏であったということである。
ラピード氏は、この1年、ベネット首相のやることにはほとんど口出しせず、ひたすら、外相として、UAEとの大使館交換開所など、さまざまな諸国との重要な関係づくりを成立させた。
この経過からも、ラピード首相は、ベネット首相と同様、自分よりも、国を優先する人であることがうかがえる。
しかし、今いよいよ、ラピード氏の順番が来たということである。
www.jpost.com/j-spot/article-710838
就任からすぐのラピード首相動き:バイデン大統領を迎える
大変な覚悟で首相をひきついだラピード首相だが、直面する課題はまったなしである。
まず、まず初日の7月1日、ラピード首相は、電話で祝いを述べる各国首脳との対応に追われる。7月中旬には、アメリカのバイデン大統領がイスラエルに来るので、その準備を急がなければならない。
7月3日には最初の閣議が行われる。7月5日は、外相を兼任する首相として、フランスを訪問し、マクロン大統領と会談する。その合間に、総選挙の準備や交渉もしなければならない。
これからのラピード首相を覚えて祈られたし。