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バビ・ヤールで80周年式典
ウクライナでは、ナチスドイツ支配下にあった1941年9月、キエフ近く、バビ・ヤールと呼ばれる峡谷で、3万7000人以上のユダヤ人がたった2日の間に銃殺され、ある者は生き埋めにされた。
現場にはメモリアルセンターがあるが、現在、ハイテクのさらに大きな記念設備が建設中である。完成予定は2026年。建設費用は1億ドル(110億円)で、ロシアとウクライナのユダヤ人富豪2人が出資しているとのこと。以下は、今あるメモリアルセンターの様子。
新しい施設は、まだ建設中だが、今年は、バビ・ヤールでの大虐殺から80周年であることから、10月6日、ウクライナ政府はこの虐殺を覚える記念式典を行った。式典には、ウクライナのゼレンスキー大統領(ユダヤ人)とイスラエルのヘルツォグ大統領、ドイツのステインマイヤー大統領が出席した。
なお、ヘルツォグ大統領は、イスラエルとウクライナとの公式の関係を1991年に成立させた、ハイム・ヘルツォグ大統領の息子である。
バビ・ヤールでの大虐殺
ナチスドイツは、ポーランドを制圧すると、1941年6月からロシア方面へ進軍。戦争で陥落させた地域へ殺戮部隊アインザッツグルッペンを派遣し、ユダヤ人たちを虐殺していった。
この殺戮で、ウクライナだけで150万人、ウクライナを含む東ヨーロッパ全体で、250万人が虐殺された。
ナチスの記録によると、特に、1941年9月29-30日のヨム・キプール(大贖罪日)の2日間に、ウクライナのバビ・ヤールで殺されたユダヤ人の数は3万3771人であった。ナチスは、ユダヤ人の命だけでなく、その信仰も殺そうとしたのか、あえてユダヤ教の例祭の日に、大虐殺を行っていることがある。
キエフのバビ・ヤールでは、特に虐殺が大きかったこの時期に、毎年メモリアルの行事が行われている。
バビ・ヤールでの殺戮については、銃殺の後、遺体がすべて埋められたことで、不明点も多く、まだ全貌が明らかになっていない。このため否定論も歴史認識を長く妨害してきたのであった。
しかし、これまでに、1941年から1943年の間にここだけで、10万人のユダヤ人が殺害されたことがわかっている。
ユダヤ人たちは、システム的に、バビ・ヤールとよばれるこの地域に連れてこられ、まず服を脱がされて、穴の上に並ばされて銃殺され、穴に落ちるとそのまま埋められた。
銃殺で、死に損なったものは、生き埋めになるか、なんとか遺体の山から這い出た者もいた。2日ぐらいは、生き残った者のうめき声とともに、その人間を埋めた山がまだ動いていたという。子供から女性、大人までありとあらゆる人が殺された。文字通り、死の谷であった。
この被害の調査には、バビ・ヤール・モデルという手法が使われている。3D写真を使って、残されている写真の位置を正確に調べ、その地形が、どのように変わったかで、遺体がどこのどれだけあるかを推測する手法である。
銃殺した後遺体を埋めたので、地形が変わっていることから可能になった調査である。
この他、新しいメモリアルセンターに加害者として挙げられるナチス関係者の名前は150人にのぼるという。
しかし、ヤド・バシェムによると、この犯罪はナチスドイツだけにとどまらず、多くのウクライナ人が、ナチスに協力したか、この虐殺をみて見ぬふりをしていたのである。結局、犯罪はナチスだけれはないということを訴えている。
www.timesofisrael.com/after-80-years-and-failed-attempts-ukraine-inaugurates-memorial-to-babyn-yar/