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2021年コロナ禍のホロコースト記念日
1月27日、今年も世界は、国際ホロコースト記念日を迎えた。この日は、110万人を殺戮したアウシュビッツ強制収容所がソ連軍によって解放された日である。2度と同じことが起こらないようにと、国際社会が、歴史を振り返って学ぶことが目的で定められた記念日である。
昨年は、プーチン大統領はじめ、アメリカからは、ペンス副大統領、フランスのマクロン大統領、イギリスのチャールズ皇太子、ドイツからはステインメイール大統領など、世界47カ国からの首脳や、政府代表たちが、エルサレムでの式典に出席したのであった。(以下の映像は昨年のフォーラムのまとめ)
今年はコロナ禍の影響で、式典はオンラインであった。式典とはいえ、ズームによるもので、リブリン大統領のコメントもあったが、かなり地味であった。イベントの中では、ヤドバシェムのシニア歴史学者のデービッド・シルバークラング博士が、集団射殺に関するセミナーを行っている。(1時間13分)
ホロコーストは、先進民主主義のドイツで発生した狂気であった。しかし、また、人間の弱さが浮き彫りとなり、普通の善良なドイツ人がナチスに賛同し、また、保身のために、普通の人がユダヤ人をナチスに売り渡したのであった。また、当時のすべての国々では、ナチスに便乗して、ユダヤ人虐殺に協力、またみずからも殺戮にも手を染めていた人がいたことも忘れてはならない。
悪いのは、ナチスだけではない。だれもがナチスになりうる。ホロコーストで覚えるべきは、人間すべてに内在する罪である。また、民主主義のもろさを自覚することであると、イスラエルは、未来にむかって、国際社会によびかけている。
1)ヤドバシェム
しかし、これに合わせて、32分のアウシュビッツ・ビルケナウのバーチャルツアーがアップされている。(33分)主なプレゼンは、アウシュビッツにある、ブロック27のヤドバシェム独自の展示室。他の部屋と違って、ユダヤ人の視点が感じられる部屋である。
個人的な感想ではあるが、おそらく何が違うかというと、単に歴史ではなく、そこにいた人々の心や、希望が感じられる点である。
また、これに先立ち、ヤドバシェムのバーチャルツアーもアップしている。(1時間8分)ヤドバシェムのミュージアムは、昨年ほとんど閉まったままであった。
この他、ヤドバシェムでは、「I remember」というページを立ち上げ、犠牲者で名前のわかっている人とともに自分の名前と国籍を写真とともにアップするプロジェクトも行われた。これまでに14万5000人以上が参加している。
iremember.yadvashem.org/?language=en&p=11510
2)イスラエル外務省
イスラエル外務省は、アウシュビッツからのサバイバー、イサク・ヤアコビさん(92)腕に彫り込まれた番号11057の証言を取り上げた。ヤアコビさんは、アウシュビッツが解放される直前に、強制歩行に連行され、マイナス27度の極寒の中、パジャマと木の靴だけで歩いたという。
www.timesofisrael.com/ahead-of-holocaust-remembrance-day-israel-says-900-survivors-died-of-covid-19/
3)世界各国
イスラエル以外でも、アメリカやカナダ、ヨーロッパなどそれぞれの国で、ホロコーストを覚える式典の様子や、クリップをユーチューブにアップしていた。通常なら、アウシュビッツで行われるマーチ・オブ・ザ・リビングは、今年も現地に行けないので、サバイバーたちの声をオンラインで届けている。
日本では、イスラエル大使館の他、広島のホロコースト記念館、NPOホロコースト教育資料センターこころが、それぞれオンラインなどでのイベントを行っていた。
*アウシュビッツ・ビルケナウとは
ナチスドイツは1939年9月1日、ポーランドへ侵攻。第二次世界対戦勃発となった。1940年、ナチスは、ポーランドのオフィシエンチム市(ドイツ名アウシュビッツ)から近隣住民を追い出して産業を強奪。収容所を設立し、主に政治犯を収容して強制労働させた。
初代所長はハインリッヒ・ヒムラー。最初の収容所は1万人を収容であったが、近隣に2番目につくられたビルケナウ収容所には、9万人が収容された。ガス室が造られたのはこの2番目のビルケナウである。さらに3つ目が、1万1000人以上を収容するブナ。これらは本収容所から6キロ以内にあり、周辺には、労働のための副収容所と呼ばれる小さい施設も50箇所あった。
収容された人は、最初はポーランド人政治犯で、1941年からはユダヤ人たちも送り込まれるようになる。ガス室でのユダヤ人虐殺が始まるのは1942年からである。悪名高いSSの医師メンゲレが人体実験を行ったのもここである。
最終的にここで虐殺されたのは、ユダヤ人100万人、ポーランド人7−7.5万人、ジプシー2万3000人、ソ連軍捕虜1万4000人、その他1万5000人で、計110万人と推定されている。(アウシュビッツ公式パンフレットデータ)
アウシュビッツの解放は1945年、1月。東からはソ連軍、西からは連合軍が、ナチスドイツを挟み撃ちのように迫る中1月20日、旧ソ連の赤軍が、アウシュビッツを解放したのであった。
*イスラエルのホロコースト記念日(今年は4月9日)との違い
イスラエルではこれとは別に、独自のホロコースト記念日を定めている。こちらは、主にユダヤ人自身が覚えるための記念日で、犠牲になった600万人だけでなく、この時に正義に立ち上がったヒーローたち(ユダヤ人、異邦人)を覚える。
主な起源は、1943年4月19日(当時は過越の祭初日)に始まったワルシャワ・ゲットー蜂起。当時、ゲットーに生き残っていた20代のユースが、強大なナチスドイツ軍に向かって、勇敢にも立ち上がった。勝てるはずはなかったが、ただ虐殺されるのではなく、立ち上がった者たちがいたことは、後世のユダヤ人たちに、大きな誇りとなっている。
記念日は、建国して約10年後の1959年、ベングリオン当時首相の元、ニサンの月の27日と定められた。過越の祭の1週間後で、独立記念日の8日前にあたる。
アントニー・ブリンケン米国務長官からの挨拶
アメリカでは、バイデン政権の新しいアントニー・ブリンケン米国務長官が、就任最初の仕事として、国際ホロコースト記念日のメッセージを発表した。ブリンケン国務長官は、ホロコーストを生き延びた父を継父に持つユダヤ人である。
継父は、ホロコーストで死の収容所にいて家族全てを失ったが、自身は脱走してアメリカ軍に保護された。継父は、「恐ろしい悪はこの地上でも起こりうる。だからなんとしてもそれを止めなければならない。」と言っていたという。
ブリンケン国務長官は、「民主主義を否定する過激派が、ホロコーストを否定し、陰謀論を持ち出して勢力を拡大しようとすることが多いと指摘。その攻撃の矛先はユダヤ人であり、さらには、難民や、有色人種、LGBTなどである。」と述べ、歴史は覚えなければならないと語った。
「米国務長官として働く時、継父が言っていたこと、ホロコーストの犠牲となった600万人のユダヤ人や数百万のその他の犠牲者を忘れない。また、国の評価は、どれだけの軍備や経済があって強いかではなく、どれだけ、道徳的な選択をするかであると考える。
ホロコーストは、ただ起こったのではない。出てくることが許されたのである。Never Again」と語った。
アメリカの国務長官が、ユダヤ人であり、ホロコーストを意識する人物であることに期待したい。