選挙後:私たちを支配するのはだれか:ニューヨーク:タイムズ・スクエア・チャーチより 2020.11.14

ティム・ディレナ牧師夫妻 出展:Times Square Church

大統領選挙で混乱が続くアメリカ。加えて、ヨーロッパだけでなく、アメリカでもコロナが、急増する傾向にあり、失業者もまだ6.9%(ニューヨークは、9.7%)と、まだ元(3.5−3.6%)に戻りきっていない状況が続いている。今後アメリカがどうなっていくのか、誰にもわからないとの警戒感が続いている。

ニューヨークのタイムズスクエアチャーチでは、先にコロナが始まって以来、今も礼拝で集まることができず、オンラインでの礼拝が続く。しかし、オンラインでの礼拝と、市内の食糧支援を含む活動を含む小グループでの活動は、今も活発に続けられている。

これからどうなっていくのか全く先が見えない中、ニューヨークで教会を導くディレナ牧師のメッセージは、今は、まさに、だれに頼るべきかを思い出させ、ふるいにかけられているときだと語っている。(選挙直後11月8日(日)メッセージ)

<トライアスロンのような今日このごろ>

ディレナ牧師によると、ニューヨークでは、選挙後も、両陣営が、暴力的な対立に及ぶ可能性が続いており、店舗の中には、板で店先を防御したままのところも多々あるという。

だれが大統領になるのか、どちらに転んでも、半々だったので、国が分裂して混乱に陥っていく可能性がある。ディレナ牧師は、この2ヶ月、いったい何が起こるのか、予想もしないような、大きな変化を迎えるかもしれず、だれにも先が読めないと語る。

ディレナ牧師は、今は、トライアスロンのような時代だと表現する。水泳が終わったと思ったら、今度は自転車。自転車が終わったと思ったら、そこからマラソンが始まるという具合に、休む間もなく、次のあらたなチャレンジがやってくるということである。こうした状況の中では、政治家に限らず、あらゆるリーダーたちの決断が、非常に難しくなっている。

余談になるが、先日、日本で開業医をしている人と話す機会があった。これから冬にむかって、38度の熱のある人が来た場合、いったいどの治療をしたらいいのかわからないと言っていた。

たとえば、アレルギーに効くステロイドは、コロナには効く可能性があるが、そうでないインフレンザなどの感染症の場合、悪化させてしまう。患者を見ただけでは、どれが基礎にあるのか、判断がつかないというのである。医師ですら、これまでに直面したことのない道を歩んでいるのである。

①見えてないことを認める:人間の知恵が大きい時、主は小さくなる

ここからどうなっていくのか、どうしたらいいのか。ディレナ牧師は、私たちが今、学ぶべきことは、「人が大きくなれば、主は小さくなる。」ということだと語る。

ディレナ牧師は、詩篇119:100、ダビデの「長年生きて多くの経験をした老人よりも私には知恵がある。それは、私があなたの戒めを守っているから。」という箇所から、普通に考えたら、老人の方が経験も知恵もあるのだが、これまでにない道を行くときには、そうした、人間の知恵だけでなく、主に本気で依り頼むことこそが、本当の知恵だということである。

とはいえ、老人のいうことを全く聞かなくても良いといっているのではない。たとえ経験を積んだ賢い人も、今は、もう一度見えていないことを認めて、主にのみ導いてもらう必要があるということである。また、人間の知恵に頼っているだけでは、必ず、落胆を経験することになるという点である。

②すぐにいなくなる人ではなく、永遠に変わらない主に頼る

マルコ8章では、イエスが盲人に2回泥を塗っている。今一度、確実に主の前に、自分は見えないということを認めることが重要ということ。そうして、初めて、目が開いたときに、いったい、何が起こっているのかが明らかに見えてくる。

第二歴代し24章に出てくるヨアシュ王は、側近のエホヤダが近くにいる時は、主に忠実であったが、エホヤダがいなくなったとたん、主から離れてしまった。それが国に大きな損害を与えることになった。

私たちは知らず知らずのうちに、人に頼っていることがある。しかし人はいつかはいなくなる。永遠にいなくならないお方にこそ、ついていくべきである。今は、まさに、だれに頼るべきかを思い出させ、ふるいにかけられているときだとディレナ牧師は語っている。

「彼(主)に信頼するものは、失望させられることはない。」(ローマ書10:11)

パズルは、バラバラの時は、全部そろっているのかどうか、わからないものだが、主は必ず全部を揃えておられるということである。

③それぞれが主の聖さに近づいていくこと

今、自分が何に頼っているかを調べ、人ではなく、それぞれが主に聞き、主に従っていくという個人的な聖さに近づいていくべきときである。ディレナ牧師は、今主が、アメリカの教会(有名な牧師や大きな教会名を誇りにしてきた)に、これまでのツケを払わされているのかもしれないと語る。

ではどうやって、個人的な聖さに近づいていくのか。すかさず従順に従っていくという姿勢である。押し出される(Conviction)ではなく、導かれる(leading)という姿である。みこころはわかったら、すぐ動くという姿勢が必要だ。なかなか動かないでいると、その導きが失われていくと知っておき、すぐに従う姿勢をもっていたい。

失敗もあるだろうが、それを続けていたら、主の声か、そうでない声がわかるようになってくるものである。この不確実な時代だからこそ、他のどの声でもない、主の声に従って歩んでいくことが必要になっている。そのために、必須なことが、主にある新しい命であると福音を語った。(ヨハネ3章)

<石のひとりごと>

日本でも今じわじわとコロナ感染が増加しつつある。しかし、海外ほどの被害や警戒感はまだないのか、あってもメディアがそういう報じ方をしていないだけなのかは、わからない。

先週の礼拝の中で、再献身の思いを感じ、それに応答の告白をした。その数日後、いろいろなことが起こる中で、海で、足がつかないほどの深みに来ていて浮いている感覚があった。ディレナ牧師の話で、状況がよくわかった。

いよいよ主の計画に乗っていくしかない。恐れというよりは、逆にエクサイト感がある。これから時代が大きく変わる中、主は何を見せ、何をさせてくださるのか。失敗もあるだろうが、それも駅になるはずだ。それは不安ではなく、楽しみであるということを読者には知っていただきたい。

主という全能の創造主である神は本当におられるのであり、この方が私を知ってくださっている。何がおころうが、いかに失敗しようが、けっして見捨てられることはない。自分だけで戦っているのではないというこの感じは、救われて、主との関係を回復できたことの特権であろう。不確実な情勢であることから、ぜひ多くの人に知ってもらいたいと思う。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。