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緊張の旗の行進前
新政権発足2日目。新ベネット政権に最初のテストがやってきた。15日、エルサレム旧市街、ダマスカス門からイスラム地区を通って嘆きの壁まで、宗教シオニストのユースグループが、イスラエルの旗を振りかざしてマーチする、旗の行進をどうするかという問題である。
旗の行進は、本来、エルサレム統一記念の5月10日に行われるところであった。しかし、その頃、パレスチナ人との対立が、非常に危険な状況にあったことから、6月に延期、さらに再延期で6月15日になったものである。
イスラエルとハマスは5月、激しい戦闘になったが、その原因の一つになったのが、少数ではあったが、過激右派が、「アラブに死を」といいながら、この行進を実施したことであった。
ハマスは、今回も、「もし旗の更新が行われたら、今回も容赦はしない。」と脅迫宣言を出し、再びガザとの紛争になる危険性が懸念される事態になっていた。
ベネット首相は、宗教シオニストである。これについて、どう対処するのかが注目された。政府と警察は論議を続け、民主主義の観点や、ハマスは、実際には今は反撃できないのではないかとの意見も出て、予定通り、ダマスカス門から入る形でのマーチを実施することになった。
イスラエルは、万が一に備え、南部などに迎撃ミサイルアイアンドームを配備した他、この日のベングリオン空港への発着ルートを変更もしていた。また、報道によると、イスラエルはエジプトを介して、ハマスに抑制を要請していたとのことである。
ギリギリ変更で実施・パレスチナ人との衝突
しかし、政府は、最終的には、ぎりぎりになって、ダマスカス門前では集会だけを行い、宗教そこから旧市街へは入らず、マーチ自体は、ヤッフォ門から入るルートに変更されたのであった。
ダマスカス門周辺では、治安部隊2000人が配置され、集会の前に周辺をクリアにするなど、厳重な警戒体制がとられ、周回は午後6時ごろから始まった。
東エルサレムのダマスカス門周辺は、パレスチナ人の中心的な地域である。そこでイスラエルの旗を振って踊りまくる姿は、やはり挑発的である。
しかも極右議員ベン・グブール氏も加わって、大勢の過激右派が「アラブに死を!」と叫んだのであった。この他、ベネット首相の写真に「裏切り者」と書いたプラカードを掲げる者もいた。
www.timesofisrael.com/bennett-the-traitor-liar-flag-march-sees-chants-posters-directed-at-new-pm/
この時、ラピード外相は、この「アラブに死を」を非難する声明を出し、「これはユダヤ教ではないし、イスラエルの意思ではない。」と表明した。
声明がラピード外相からということからすると、ベネット首相自身は宗教シオニストなのでできにくいことを、チームメンバーで中道左派ラピード外相が代弁した形かもしれない。
しかし、周辺では、パレスチナ人らも旗の行進を行った。「火と血でパレスチナを解放する」などと対抗する声も出て、警察が必死に衝突を抑える様子もみられた。
アラブ統一政党のアフマド・ティビ議員は、「この地域で、旗の行進ができるのは、パレスチナの旗だ。」と反発した。
ダマスカス門周辺では、パレスチナ人が投石するなどして、治安部隊と一時衝突となり、パレスチナ人33人と警察官2人が負傷。パレスチナ人17人が逮捕された。
以下は一連の様子だが、途中からヤッフォ門方面へ誘導されるデモ隊の様子もみられる。
なお、パレードに参加した人は、ダマスカス門では、極右系数百人であったが、最終嘆きの壁では、一般参加者も加わり、約5000人ほどになっていたいう。
ベネット政権初仕事は合格?
事項に述べるが、この日の朝、ガザからは、火炎風船による攻撃が行われて、イスラエル南部で20ヶ所以上の火災となっていた。これを受けて、以前からのベネット首相の意向通り、イスラエル軍は、ガザへの空爆を実施した。風船攻撃に対し空爆では、アンバランスだといわれかねない出方である。
エルサレムでの旗の行進は、このあとのことであったため、対処次第では、再びガザとの戦闘になっていた可能性がある。
しかし、右派の意向に反して、旗の行進ルートを変更させたことで、ハマスは攻撃の理由を失ったと言える。
また、ラピード外相が「アラブは死ね」という主張が、イスラエルとしての声明ではないと、政府を代表しての表明を出した。これにより、ベネット政権が、右派一色ではないことも表明できたといえる。うまく協力できた形だろうか。
イスラエル国内では、新政権の対応を、おおむね合格としてみているようである。
www.timesofisrael.com/jerusalem-is-ours-nationalist-flag-march-held-under-ramped-up-security/