真理が非常識と呼ばれる時:今世界が直面する霊的戦いに勝つには:ニューヨークの講壇より 2023.9.26

9月10日、ニューヨークのTimes Square Churchでの礼拝で、ティム・ディレナ牧師が、「When Truth is Called Insanity(真理が非常識と言われる時)」というタイトルでメッセージを発信した。2週間たった時点で、世界中から5万人近くが視聴している。

このメッセージの中で、ディレナ牧師は、コロナの数年の間に、アメリカは大きく変わり始めたと指摘。その一つがLGBTQの問題である。アメリカでは、自分が女性だと思ったら女性で、男性だと思ったら男性というように、特に性別に関しての混乱が拡大しているのである。

人権を守るために多様性を認めようと、LGBTQの人々への理解や受け入れ、同性結婚などを国、大統領あげて保障する時代になっている。

また、アメリカでは、最近AIによる聖書解釈が出回るようになっており、AIがイエスが言わなかったことまで付け加えているという。

たとえば、女性が井戸でイエスに出会うところ。AIによる解説では、イエスが女性に、最後に「恐れなくて良い。私の国では、男性も女性もないからだ。」と教えているという。これは聖書には書いてないことである。

ディレナ牧師は、非難されることや教会から人が出ていくことを覚悟するとして、自分は社会に逆行するクレイジー牧師になるといいながら、ローマ書1:26-28を提示した。

こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行うようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。

また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。

聖書に明確に書いてあることだが、私の愛するこのニューヨークでは、これは、ここでは、今や非常識であり、社会の流れに逆らうことになるとディレナ牧師。人間は、今、真理を非常識と呼ぶようになりはじめている。非常識とは、つまり社会の価値観にに逆らっている、おかしいとみられるということである。

これはたとえば、聖書では、エレミヤが真理を語ったのに、その時代の王はこれを受け入れず、気に入らない記載を焼き捨てた。また、初代教会は、ローマ帝国という巨大な社会構造から法的に非合法とされた。

このように、ディレナ牧師は、今世界は、公的、また法的にも価値観が、聖書(真理)の価値観から、世俗的、人間の価値観に移行しつつあると警告する。それは、聖書を最高の権威とする教会が、社会の流れに逆らうとして非難されるようになることを意味する。戦いに突入していこうとしていると語る。

では、その戦いは、どこから始まるかといえば、人間の頭の中の思考から始まる。頭で考えることが行動になり、それが社会の流れになり、法律になっていくのである。私たちクリスチャンも簡単にその流れに入っていき、それこそが正しいと思うようになる。

悪魔は、常に、私たちの頭の中に、疑問や懸念を投げかけてくる。「それはほんとうなのか?」など。イエスを惑わそうとした時もサタンは、あなたはほんとうに神の子なのかと試すようなことを投げかけた。

イエスは、みことばに立ち返ってそれに正しく応答したが、私たちは、そういう疑問を投げかけられた時に、自分の考えでそれを判断してしまう。具体的な声としては、「お前は価値がない。」「やっても無駄」というような声である。

みことばではなく、自分の考えで判断して、どんどん考えや行動のパターンが間違っていく。いわば頭の中の戦が常にあるということである。それがサタンの手口なのである。頭の中は、サタンの戦場であると理解しなければならない。

私たちは社会や時代の中での戦うのだが、その原点は、私たち自身の頭の中だということを知らなければならない。ではどうやってこの戦いに勝利していくのか。考えが、神の真理より高くならないようにする。自分の常識が聖書の常識より高くならないようにするということである。

頭に中にある思いというものは非常に強い砦のようである。そこに私たちはつい時間をどんどん使って、そこにはまり込んでいく。

確かに、ローマ書には、「彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのために彼らは、してはならないことをするようになりました。」(ローマ書1:28)と書いてある。

ディレナ牧師は、「極端な話、自分の考えは、とりあえず全部疑え」とまで言っている。

この戦いに勝つためには、自分ではないこの聖書(AIではない)を通して、主がどういうお方なのかを知るというところで成長していくことが必要だと語る。

そうした時に、頭の中に投げ込まれることが真実なのかそうでないのかがわかるようになる。そこに時間を費やさないようになる。何が真理なのかがわかれば、恐れず社会の流れに逆らう必要が出てきたときに、そこにしっかりと立つことができる。

このイラストとして、ディレナ牧師は、あるとき飛行機のパイロットが、飛行中にコックピットの中で、ねずみたちが走り回り、手ではとらえられずに危険な状態になったときの話をした。この時、パイロットが、飛行機をはるか上空まで持ち上げたところ、高圧に負けてネズミたちは動かなくなったと言う。

私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。(第2コリント10:5-6)

最終的に、ディレナ牧師は、自分が言っていることがどれほど非常識に聞こえるか、よくわかっている、教会から去っていく人もいるだろうと言いながら、それでも、こう書いてあると語った。

創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。(マタイ19:4-5)

人を男にしたのか、女にしたのかは、人ではなく神である。したがって、人が、自分が男か女かをそれぞれが決めて良いという今の社会の考えは、真理ではないと、はっきり宣言したのであった。

石のひとりごと

この話を聞きながら、ホロコーストの時代に、完全に社会の流れに逆らい、それだけれなく、自己防衛という自然にまで逆らって、ユダヤ人を守った人々のことを思い出した。この人々の選択は、彼ら自身の力を超えていた。神が私たち後の時代の者たちに、その可能性を教えてくださっているのかもしれない、

日本は、特に社会の空気を読むことを期待される社会である。統一教会の問題もある。社会に逆らうことが、逆に福音宣教の妨害になってしまうことも懸念される。ますます正確な判断と確信が必要になってくる。

これから、クリスチャン一人一人、教会は、自分でも疑わしいような時に神の真理に立ち続けることができるのか。今、私たちも日本で厳しい時代に進んでいると思う。覚悟して、主がどういうお方なのかをさらに知っていくことが、何よりも必要な準備になっていると思わされる。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。