<夏休み気分:平和なエルサレム>
8月初頭、日本では連日、熱中症警報が続いている。エルサレムも連日29-32度前後だが、乾燥しているせいか、また水を飲む習慣が定着しているせいか、イスラエルで、熱中症という言葉はほとんど聞かない。
子供達の学校は夏休み。宿題なし。大学生はテストに追われているが、基本的に授業はない。大学の図書館は、クーラーが効いているせいか、高齢者も含め、大人たちがけっこう来ていて、読書に勤しんでいる。
安息日の夕刻になると、道路を走る車の音もほとんどなくなり、かわりに住宅地のあちこちから、子供達の声や、その親たちの声が飛び交う。食事を共にする笑い声や食器の音もする。平和そのものである。ニュースもあるようでないようで・・全国的にすべてがゆったりで、いつもはハイピッチで動くイスラエルが、まるで、時間が止まったかのようである。
夏であろうが冬であろうが、まるでベルトコンベアーに乗せられているかのように人間の川状態で、夜遅くまで働く東京からは、想像もできないこの不思議なのんびり気分・・・
しかし、実際には、イスラエルはそれどころではない事態にある。以下の記事にまとめるが、イスラエルは来月17日、再総選挙で13年ぶりに首相が変わるかもしれないという一大事にある。にもかかわらず、人々の心がどうにも休暇気分でものごとが動かない・・とイスラエル政府メディア関係者が言っていた。
おそらく、9月に入るやいなや、海外からのメディアもおしよせて、一気に選挙ムードになるのだろう。加えて緊張続くイラン情勢、シリア情勢、南北国境も、9月に入れば、再び戦闘ムードになるのかもしれない。
国が小さいせいか、イスラエル社会の空気はあっというまに変わる。今はしばしの平和でおだやかな夏休み・・といったところである。
<ティシャ・ベ・アブ(神殿崩壊記念日)>
夏といえば、イスラエルでは、ティシャ・ベ・アブ。ティシャ・ベ・アブは、アブの月の9日目ということで、今年は、8月10日夕刻から11日にかけてが、この日にあたる。
この日は、神殿崩壊記念日と訳されているように、主にエルサレムの第一神殿(BC586年)、第二神殿が破壊(AD70年)、バルコフバの戦いで最終的にエルサレムから追放されたことを記念する。こうした古代の出来事に加え、スペインからの追放やホロコーストの決定的な決断、最近では、ガザからの撤退など、ユダヤ人を襲った歴史的な苦難がみなこの日に起こったといわれる。
敬虔なユダヤ教徒は、断食し、嘆きの壁はもちろん、全国のシナゴーグに集まって、床に座り込んで、聖書の「哀歌」を朗読する。「哀歌」は預言者エレミヤが、BC586年についにバビロンに破壊され、人々が連れ去られていったエルサレムを見て哀しんだ詩である。
この日、日没になると、神殿の丘を見下ろすエルサレム南部の丘に多くの人々が集まり、今もユダヤ人は入ることができない神殿の丘を見ながら神の前に嘆く。
しかし、これらは、日本史でいうなら、弥生時代かそれ以前の話である。いったい、弥生時代のことを今の日本人が悲しむことは可能だろうか?ユダヤ人の歴史は、想像以上にスケールが大きいということである。
<イスラムのイード・アル・アドハ>
イスラエルのティシャ・ベ・アブと同じ10日から、イスラム教では、イード・アル・アドハという例祭がはじまる。
この日は、アブラハムが、その息子イシュマエルを、エルサレムでアラーの神へ犠牲としてささげようとしたところ、その従順を認めてアラーがその代わりとなる子羊を与えたことを記念するといわれている。子羊の身代わりによって生き延びたイシュマエルの子孫が、アラブ人である。
しかし、このアブラハムが息子を捧げるという話は、もともとは聖書に書かれているもので、聖書によると、アブラハムが、神に捧げようとしたのは、イシュマエルではなく、息子イサクであった。イサクが、子羊の身代わりによって生き延び、その息子がヤコブ、つまり後のイスラエルであり、ユダヤ人である。
聖書はイスラム教よりはるかに古い時代から存在するので、イスラム教の方が、アブラハムがイサクを捧げようとしたというオリジナルの聖書の記述をとって、イサクをイシュマエルに置き換えてイール・アル・アドハにしたということである。
この日は、同時にハッジ(メッカへの巡礼)の最終日にもあたり、イスラム教の聖日とされている。遠方から家族が戻ってきて、ご馳走を食べるお祭りである。
エルサレムの神殿の丘は、9-14日までイスラム教徒意外には閉鎖となる。ガザ国境でも、毎週金曜の国境でのデモはなしになるという。