イスラエルでは、20日日没から、ホロコースト記念日となる。今年は、新型コロナ危機下にあるため、ヤド・バシェムでの国家式典は、オンラインで行われる。すでに6人のサバイバーの証含め、録画され、翻訳のサブタイトルもつけられているという。
日本時間では、今夜夜中の2時からになるが、式典の中継は、以下で見ることができる。明日は、通常ならメモリアルホールで、亡くなった人の名前が読み上げられるが、今年はオンラインで行われる。
今年のテーマは、「ホロコースト時代の義なるユダヤ人(ユダヤ人を助けたユダヤ人)」で、その代表的な1人であるギシ・フレイシュマンさんの言葉がテーマとしてあげられている。
ギシさんは、スロバキアのブラティスラバのユダヤ機関で働く女性であった。ギシさんの娘2人は、戦争が始まる前に、まだ開拓中であったイスラエルへ移住しており、母娘は別れた状態でホロコースト時代を迎えた。
ホロコーストが、後半に入り、いよいよガス室による大量虐殺がはじまっていた1942年、ギシさんがいたブラティスラバにも、ユダヤ人の大量移送がせまってきた。
ギシさんは、ラビ・ウェイスマンとともに、地下組織、ワーキング・グループを結成し、移送を止めたいなら金を払えというナチスドイツへの支払いのために奔走する。JDC(ユダヤ人の支援団体)などにも働きかけて、この金を集めようとした。しかし、この時は不成功に終わっている。
しかし、1944年、ワーキンググループは、アウシュビッツレポートと呼ばれる記録をブダペスト(ハンガリー)経由で、スイスに運んで出版に漕ぎつけた。この発表により、ワレンバーグ(スウェーデン外交官で義なる異邦人)が、一部のユダヤ人を助けることとなった。
ギシさん自身は、1944年10月17日に、ブラティスラバで逮捕され、アウシュビッツに移送された。その日のうちに殺害されたとみられている。そのギシさんが、イスラエルの娘たちに送った言葉で、今年のホロコースト記念のテーマになった言葉は、以下の通り。(訳:石堂にて)
”私たちは分かれる運命でした。でも、その同じ運命が、今、この私たちの民族の大きな苦難の時にあって、あな母に、その苦しみを少しでも和らげるよう働かせています。もし、私がこの苦難を乗り越えられたら、私は無駄に生きたのではなかったと言えるでしょう。
ユダヤ人は、個人的な痛みを超えて、運命を共有するのですから、あなたがたも、私たちの別離を耐えてください。”
www.yadvashem.org/yv/en/remembrance/2020/theme.asp
<現在のユダヤ人人口:まだホロコースト以前の数に届かず>
イスラエルの中央統計局によると、2020年1月25日の時点で、全世界のユダヤ人は、現在1470万人。ホロコースト大虐殺直前の1939年のユダヤ人は、1660万人だった。80年経ったいまも、まだ当時の人口の届いていない。
ホロコーストでは、ユダヤ人600万人が殺害されたと言われているが、その影響がいかに大きなものであったかがわかる。
今日、イスラエルにいるユダヤ人は670万人だが、そのうち520万人は、イスラエル生まれである。次に多いのは、アメリカで570万人。フランス、カナダ。イギリスという順番である。
今も生きているサバイバーは、40万人。このうち19万2000人がイスラエルに在住している。
イスラエルにいるサバイバーのうち、64%はヨーロッパ出身、36%は旧ソ連出身、18%はルーマニア、6%がポーランどとなっている。このほか、北アフリカのモロッコ、アルジェリアでホロコーストを経験した人もいる。
イスラエルで、昨年中に死亡したサバイバーは、1万4800人にのぼる(2020.1.25データ)。多くは高齢者ホームに在住しており、最近では、新型コロナで死亡した人もいる。
www.jpost.com/israel-news/there-are-192000-holocaust-survivors-living-in-israel-614407
ホロコーストを知らない世代の間で、記憶が失われい行くことへの対策として、「ジカロン・バサロン」家のサロンで、ホロコーストサバイバーを招いて、皆で話を聴こうというこころみが毎年行われているが、これもオンラインとなる。