ペリシテ人とは何者か:初の墓発見でDNAから判明 2019.7.8

アシュケロンの発掘現場 写真出展:Times of Israel

イスラエル南部、ガザの隣、アシュケロンは、聖書でイスラエルの敵として描かれているペリシテ人の町である。2016年にアシュケロンで、ペリシテ人の墓が見つかり、そこに埋葬されていた遺体からDNA検査が可能となった。

ペリシテ人たちは、ちょうどイスラエル人がモーセに率いられてエジプトから脱出してきたころと同じ紀元前12世紀ごろ、今のイスラエルに入ってきて落ち着いた、「海の民」のグループの一つと考えられてきた。

「海の民」とは、地中海沿岸に住んでいた人々で、同時北アフリカからイスラエル地域を支配していたエジプト各地に侵入を試みた人々である。ペリシテ人は、その海の民の一派で、今のイスラエルの地域に定着したグループであると考えられていた。

これまで、ペリシテ人については、その居住の遺跡などから、その生活様式や文化はわかっていたが、ペリシテ人自身の根源については、まだ確証がなかった。

今回、発掘された墓でみつかったペリシテ人のDNAと、それより古い時代のカナン人のDNAを比較調査したところ、ペリシテ人は、予想されていた通り、紀元前12世紀ごろ、南ヨーロッパから来た海の民であった。

しかしその後、現地カナン人と混血して、まもなく海の民の痕跡は失われていった。これに伴い、オリジナルのペリシテ人の文化や言葉も失われていき、現地カナン人になっていたとのことである。

ペリシテ人の遺跡で代表的なのは、紀元前7世紀ごろの「エクロン碑文」である。エクロンは聖書にペリシテ人の町として登場しているが、その町が実在していたことの物証である。このエクロン碑文の中に出てくる女神が、南ヨーロッパに起源を持つという。

www.timesofisrael.com/know-thine-enemy-dna-study-solves-ancient-riddle-of-origins-of-the-philistines/

また、碑文は、王の祝福を祈る文章が書かれているのだが、それが、申命記6章24節の祭司の祈りによく似ているとのことで、イスラエル人の影響も受けていたことがうかがえる。

www.baslibrary.org/biblical-archaeology-review/24/5/15

余談になるが、ペリシテ人は、アシュケロンから、テルアビブ近辺までの地中海沿岸沿いに多くの町を持っていた。ペリシテ人の遺跡からは、ビール工場や、ビール関連の食器が多くみつかっている。ビーチでビールを片手に楽しく過ごしていたことがうかがえる。

興味ふかいことに、今のテルアビブは、ユダヤ人の町になったが、今もビーチとビールが大好きである。

*アシュドドのペリシテ博物館(筆者のお気に入り博物館) http://www.phcm.co.il/en

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。