”ヒトラーはユダヤ系”ラブロフ外相問題発言:プーチン大統領が謝罪 2022.5.6

昨年10月にプーチン大統領を訪問したベネット首相とエルキン住宅相

ヒトラーはユダヤ系発言その後

March 24, 2022. (Photo by Kirill KUDRYAVTSEV / POOL / AFP)

ラブロフ外相が、1日、ヒトラーもユダヤ系だったとのタブー発言で、イスラエルはじめ、ウクライナや世界のユダヤ人からも、反発が出ていたお伝えした通りである。

特に「赦し難い」と猛烈に反発したイスラエルのラピード外相のコメントに対し、ラブロフ外相は、「今のイスラエルの政権は、ウクライナのネオナチ政権を支持している。

ちょうど、ナチスに任命されたユーデンラット(ユダヤ人指導者)が、ナチスに仕えたようなものだ。」と火に油をそそぐようなことを言った。

ウクライナの高官からは、「ロシアはゲッペルスと同じ道を行こうとしている。」とか「ロシアはユダヤ人全体の脅威になる。イスラエルはもはや、蚊帳の外に立つべきではない」などと言った発言も出ていた。さらに、ロシアは今、ハマスやイスラム聖戦など、イスラエルと敵対する組織に接近しているため、そこからの攻撃も懸念され始めていたところであった。

ベネット首相とゼレンスキー大統領の作戦も?

この間、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ベネット首相に電話をかけ、ラブロフ外相発言とともに、今マリウポリのアゾフタリ製鉄所で行われている市民の人道回廊による避難についても話を行った。

www.ynetnews.com/article/skv00orel5

イスラエルの首相府情報によると、ベネット首相は、ゼレンスキー大統領との電話の後で、プーチン大統領と電話会談している。おそらくはベネット首相の方から、プーチン大統領にかけた電話であったと思われるが、これについては確かな情報はない。

いずれにしても、その電話会談の中で、プーチン大統領の方から、ラブロフ外相のコメントについて、謝罪を言ってきたとのことである。

プーチン大統領は歴史理解について、旧ソ連がユダヤ人を殺戮していたナチスドイツを最初に打倒した記念の日だとして、共に5月9日の戦勝記念日は重要だと語り合ったとのこと。確かに、ドイツの首都ベルリンに入って、ナチス政権を打倒し、アウシュビッツを最初に解放したのも旧ソ連軍だった。その点について、ベネット首相は、歴史を共有したということである。

その後、プーチン大統領は、イスラエルの独立記念への祝いを表明し、ロシアとイスラエルの関係は良好に保たれるだろうと語ったとのこと。書面記録としての謝罪はないが、ベネット首相がそう言っているということである。

この時、ベネット首相は、プーチン大統領に、マリウポリでの人道支援上の問題を持ち出し、アゾフターリ製鉄所からの人道回廊についても話し合った。プーチン大統領は、人道回廊は今後も続けると言っていたとのこと。

その後、確かに製鉄所からのウクライナ市民の脱出は再開され、国連によると、500人以上が人道回廊から脱出できた。ただし、その後ロシア軍の攻撃が再開され、今はまた、回廊は機能しなくなっている。

www.timesofisrael.com/putin-apologizes-for-russian-envoys-hitler-comments-bennetts-office-says/

いずれにしても、ロシアとイスラエルとの関係が急速に悪化していくのではないかとの懸念には、一応の落着ということになったようである。

石のひとりごと

プーチン大統領が謝罪し、ベネット首相がすんなりそれを受け入れたことは特記すべきことだろう。

ヒトラーにユダヤ系の血筋があったなどと言ったということは、どう考えてもロシアが、不利に立つことになる。もしかしたら、ゼレンスキー大統領は、その弱みを逆手にとって、ベネット首相に電話をかけて、マリウポリでの市民救出をはかろうとしたのかもしれない。

イスラエルは、表立ってロシアに目立つほどに反抗的な態度を出さず、ロシアとの窓口を維持している国の一つだが、中東という重要な舞台を背景に、ロシアとのつながりは、他の仲介者たちにはないような暗黙の駆け引きで、つながっている。

ベネット首相。やはり不思議にぎりぎりを通り抜ける首相である。コロナしかり、ラマダン中の神殿の丘しかり。意地やプライドではなく、とにかく、実質何が大切かを最優先させる手腕にも注目させられる。

ただ一点、懸念させられることがあるとすれば、今これだけ世界とロシアの関係が悪化している中、イスラエルが、ロシアとの友好、協力関係を維持することが、逆にユダヤの陰謀論を煽ることにならなければとは懸念させられる点ではある。

いずれにしても、聖書によると、いつかはイスラエルが北の大国に攻め込まれる時はくるわけである。先日、あるクリスチャンの集会で、もし終わりの時が来て、戦いが主の計画であるとしたら、どう祈るのかという質問があった。その場合、戦争が止まるようにと祈らないのかという質問である。

私たちは、状況から、その時が近いということを読み取ることは可能かもしれない。しかし、同時に人間には、主のみこころは全部わからないものだということを知るべきだと思う。

だから常に、どんな時でも、私たちが願うところである、平和を祈り求める。必死で主の憐れみを祈る。もし本当にまだ終わりの時の戦いでないなら、祈りがきかれて戦いは避けられる。

しかし、もし、本当に終わりの時の戦いであるなら、かつてのバビロン捕囚の時のように、戦いは進んでいくだろう。それでも主のあわれみがあので、祈りに答えて救われる人々は起こしてくださるだろう。だからいずれにしても祈りは続ける。

今、世界には、ウクライナでの戦争だけでなく、多くの困難が広がりつつある。私たちは、どんな時でも主の前に、多くの人が救われないまま死んでいくような、戦いを止めてくださるように、各地で、人々の救いを与えてくださるようにと祈るべきであると思う。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。