テロの中でもイベントは中断せず:エルサレム 2016.3.20

<18日エルサレム・国際マラソン>

エルサレムでは、17日木曜午後、市内タルピヨットのモールでナイフによるテロが発生。被害者(25)は、顔や頭を多数刺されて中等度の負傷を負った。西岸地区でも、パレスチナ人2人に女性兵士が刺されて重傷。

金曜には、グッシュ・エチオンやベンジャミンエリアなど西岸地区で、テロが未然に防がれ(パレスチナ人1人は撃たれて重傷)。20日にもヘブロンのマクペラの洞窟で、パレスチナ人(18)が国境警備員を刺し(軽傷)射殺された。相変わらずテロ事件は連日続いている。

しかし、エルサレム市が、大きなイベントをキャンセルすることはない。

18日、エルサレムでは、今年6回目となるエルサレムマラソンが行われた。参加者は3万人でこれまでの記録を更新。このうち25000人がイスラエル人で、5000人は62カ国から来た外国人だった。

ランナーは、エルサレム旧市街から、国会までを走るため、町中ほとんどの道路が木曜夜から遮断。文字通り町をあげてのイベントである。    

旧市街をのぞむプロムナードは、アラブ人地区ジャベル・ムカバのすぐそばだが、ユダヤ人の小学生の子供たちがたくさん先生に引率されて応援に来ていた。イスラエルの旗をふりながらやかましくやっていた。

無論、ジャベル・ムカバへの出入り口は閉鎖。治安部隊や警備員1800人が付近を護衛し、上空ではヘリコプターが監視していた。幸い、何事もなく、マラソン大会は終了した。

www.jpost.com/Israel-News/High-security-mobilized-for-Fridays-Jerusalem-Marathon-448254

<3月24、25日・町をあげてのプリム祭>

今週、24,25日は、エステル記を記念するプリムの祭りである。プリムといえば仮装である。

エルサレムでは、先週ぐらいから、プリムの仮装用コスチュームや小道具が色とりどりに店頭に並んでいる。「ハマンの耳」と呼ばれる三角のクッキーや、”交換”するお菓子のバスケット(エステル記9:17-19)が、華やかに販売されている。

プリムには、大勢が、大人も子供もけっこう本格的な仮装をして町に出て来るが、中には、仮装の一部としておもちゃのライフルや武器を持つものもいる。それらを見て、嘘や間違いの通報が殺到する可能性がある。

爆竹や、煙を発生させる小道具などが、パニックを誘発する可能性もある。着ぐるみの中に、本物のテロリストが入っている可能性もある。治安部隊には頭の痛い日である。

仮装グッズを販売する店主によると、さすがに、今年は、おもちゃの銃やナイフを買う人は少ないという。逆に、テロが頻発する中、治安部隊や警察官への賞賛が高まって、兵士や警察官風の扮装グッズが、例年より売れているとのこと。

しかし、驚いたことに今年の仮装グッズでの最高ヒットは、なんと、ISIS人質のあのオレンジのジャンプスーツなのだそうである。大人用も子供用も売れているということで、繊細な日本人には理解に苦しむというところか。

イスラエル人は悲しいかな。もはやテロがあるという現状に慣れっこになっている。数十年前、テロが頻発した時、一度だけ、プリムの仮装が禁止になったことがあった。しかし、それ以来、いかなるテロが発生しても、プリムの祭りは行われ続けている。

ある仮装グッズ店主は、「テロはこれまでもあった。でも祝いはやめなかった。今年も祝うし、将来もずっと祝いは続ける。」と言っている。

エルサレム市では、今年も3月24、25日、市役所や町の中で大勢の人々が集まるプリムのイベント(主には25日)を予定通り行う。

www.ynetnews.com/articles/0,7340,L-4778974,00.html

テルアビブはもっと盛大だ。25日、朝11時から夜までストリート・パーティを行う。夜9時からは「ゾンビ・ウォーク」。文字通り、大勢が、気味悪いゾンビに紛扮装し、町を練り歩く。

安息日入りの金曜夜にこんなことをするとは、さすがは世俗のテルアビブ。霊的にかなり微妙だが、毎年恒例の風物詩である。これらに、テロリストが紛れ込まないようにとりなしを!

興味ある人はどうぞ・2015年のテルアビブ・ゾンビウォーク:https://www.youtube.com/watch?v=kfbMGgrHdfE

<テロをどう防ぐ?>

国内治安担当のシンベトのディスキン長官は、「パレスチナ人たちに”希望”を与えなければ、テロはなくならない。」と警告している。”希望”とは、パレスチナ人が自尊心をもって自立する可能性が少しでも見えるという状況のことである。

ディスキン市は、パレスチナ人と土地の交換(定着してしまった入植地の土地の広さ分別の土地を譲)をして、土地をきちんと2つに分け、非武装のパレスチナ国家を実現する必要があると主張する。

エルサレムについては、なんらかの独創的な解決をみつける。海外で在留して、戻って来れなくなっているパレスチナ人には補償金を払う。土地交換で撤退を余儀なくされたユダヤ人にも補償金を支払う。などの具体案を提案している。

国がないということは、人間の自尊心を大きく損なうものである。マラソン大会では、にぎわう人々の合間を縫うようにして、パレスチナ人たちが道路の掃除や片付けをやっていた。

ランナーが飲んで投げ捨てた水のボトルを拾い回っているパレスチナ人のおじさんがいたので、話を聞くと、東エルサレムの在住者(おそらくジャベル・ムカバ)で、市役所に雇われているという。「お金のためだよ。」といいながら、休む間もなくボトルを拾い回っていた。

気のせいだろうか、今年はいつもより、そうじのパレスチナ人がたくさんいたように思う。ごみが出るはしから集めていたので、イベントが終わりかかる頃には、道路はすでにきれいになっていた。

こういう仕事はユダヤ人はやりたがらない。同時に東エルサレムのパレスチナ人は仕事を必要としているので、市役所はあえてパレスチナ人を雇う。しかし、驚喜しながら、イスラエルの旗を振って応援している人々の間で、掃除をするのは、パレスチナ人にとってはあまりおもしろいことではないだろう。

ディスキン氏の言う通り、ただただ治安を武力で守っているだけでは、暴力への煽動に油をそそぐだけで、解決にはつながらないのかもしれない。しかし、ディスキン氏の提案は昔からあったものであり、結局のところ、実現は難しいと思われるものばかりである。

www.jpost.com/Arab-Israeli-Conflict/Nothing-fuels-terrorism-more-than-lack-of-hope-ex-Shin-Bet-chief-says-448436

「国籍は天にあり。」この聖書の約束が、もしやパレスチナ人にとっての希望にならないだろうか。。。

<石のひとりごと>

最近日本では、「保育所落ちた。日本死ね。」というネットへの書き込みが反響をよんだという。この記事を読んで背中がぞーっとする思いがした。

私自身は子供を持っていないので、この叫びをアップした人の苦しみはおそらくわからないことは認める。しかし、「日本死ね」などとは口が裂けても言うべきでない。

国があって当たり前なのは日本人ぐらいである。国が死んでしまったシリアの人々の苦しみを知らないのか。その悲惨は、保育所おちたどころの話ではない。

世界は、今とんでもない方向に向っている。まだその入り口なので、日本では実感がないかもしれない。保育所が不足しているということは確かに深刻なことだが、国が死んだらもっと深刻だということもまた知っていただきたいと思う。

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

コメントを残す

*