イスラエルでは、10月4日の日没から、仮庵の祭に入った。この後続いて安息日にも入ったため、交通も店も稼働しない日が続き、すっかり休日ムードである。すごしやすい気候の中、夜も昼も、屋外に建てた仮庵の中で食事する食器の音や楽しげな家族たちの声が町中で聞こえている。
8日(日)は、例祭の中日となり、祭司の祈りがささげられるため、嘆きの壁広場は再び、人でぎっしりと埋めつくされる。例のごとく、治安部隊はテロの防止に目を光らせてくれている。
イスラエル政府は、先月のハル・アダールでのテロ事件(イスラエル人3人死亡)が、イスラエル国内での労働許可を持っていたパレスチナ人によるものであったことから、今年は仮庵の例祭の7日間全期間、西岸地区からの入国を、労働許可を持っているパレスチナ人も含め、全面的に禁止すると発表した。
しかし、パレスチナ人労働者に加え、イスラエル人雇用主からの要請もあり、結局1万人は入国することになったもよう。
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<スコテとは何か>
仮庵の祭は、スコテと呼ばれる。スコテは、非常に脆弱で無防備な仮庵のことだが、その他、出エジプトを果たしたヘブル人たちが、最初に宿営した場所の名前でもある(出エジプト12::37)。ヘブル人たちは、ここで種無しパンを焼き、ここから奴隷ではない新しい歩みを始めた。
しかし、スコテは、全く何もない砂漠である。いつ襲われてもおかしくないような脆弱きわまりないスコテで寝るはじめての夜。喜び勇んでエジプトから出て、自由になったものの、ここで初めて厳しい現実に直面することになったヘブル人たちは、いったい何を考えただろうか。
もはや、自分の力にはたよれず、これから何が待っているのかもさっぱり見えない。どこへむかっているのかもわからない。これから彼らを守るものがあるとすれば、彼らを導き出した神、主でしかない。しかし、主は目にはみえるお方ではないし、何を考えておられるのかもわからない。
人間的には、非常に恐ろしい状況だが、このスコテの祭では、イスラエル人は、とにかく喜ぶよう命じられている。目にはみえずとも、全世界の総司令官でもある創造主自身が、彼らをエジプトから導き出したのだから、主ご自身がこれからも必ず守り、導かれるはずだからである。
実際、聖書には、神はここスコテで、彼らのために、寝ずの番をされたとある。(出エジプト12:42)
ユダヤ教では、この例祭期間中、聖書の中の”伝道者の書”を読むことになっている。この書物は、「空は空。いっさいは空である。日の下で、どんなに労苦しても、それが人(アダム)に何の益になろう。一つの時代は去り、次の時代が来る。しかし地(アダマ)はいつまでも変わらない。」と一見、ネガティブな感じで始まっている。
ユダヤ教によると、この書物のキーワードのひとつは、「アダム」(人間)と、「アダマ」(土)という、ヘブル語では同じ”根”を持つ言葉である。
土は、それだけでは、何かをなすことはない。しかし、土は、すべてを生み出す力も秘めている。神が土から人を、様々ま動物や植物を創造されたのである。人も同じで、人自体は、何かをなすことはできないが、神がそこからすべてを生み出させる力も秘めているということである。
スコテは、イスラエルの新しい出発の地だった。ヘブル人は、あまりの無力さに震えていたかもしれないが、彼らは、神によってすべてを生み出す可能性も秘めていたということである。仮庵の祭(スコテ)は、全くの無から、すべてが生み出される新しい出発という意味もあるという。
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仮庵には、この他にも終末にかかわることなど、様々な深い意味があるが、それらをいちいち知ることもなく、とにかく神に命じられたままに仮庵を作り、毎年喜び楽しんでいる現代国家イスラエル。この国は、やはり聖書の神がおられることを証する祭司の国であり、けっして侮ってはならない国だと実感させられている。