日本を愛したアインシュタインと核兵器問題 2017.10.30

10月、ユダヤ人物理学者アインシュタインが、日本の帝国ホテルでボーイに渡したとされるメモ2つが、エルサレムでオークションに出され、計約180万ドル(2億500万円)で落札された。

1922年、アインシュタインは、日本の各地での公演のため来日中に、ノーベル賞受賞のニュースを受けとったと言われる。メモは、アインシュタインが、東京に滞在した際のこと。ホテルの部屋に、届け物をしたボーイに渡すチップがなかったので、「運が良ければ高額で売れる。」として渡したものだという。

最終的に、ものすごいチップになったということである。

日本にはチップの習慣はないので、このボーイが日本人だったのかどうかが気になるところだが、今回このメモをオークションに出した人はこのボーイのおいで、ドイツ在住とも伝えられている。明らかにはされていない。

www.bbc.com/japanese/41745019

<ナチスの核兵器開発をアメリカに警告したアインシュタイン>

アインシュタインはドイツで生まれたユダヤ人である。1922年にノーベル賞を受賞したが、その知らせは、日本訪問時に受け取った。この時、アインシュタインは、日本全国を公演して周り、日本の人々との交流を深めている。その後ドイツに戻ったが、1933にヒトラーがドイツで政権をとると、この年、反ユダヤ政策から逃れて、アメリカへ亡命する。

ユダヤ人への激しい迫害が伝わる中、アインシュタインは、1938年、ドイツの化学者がアインシュタインの相対性理論を使って核分裂エネルギーを発見したことを知る。ドイツが核兵器を開発しはじめたことに危機感を持ったアインシュタインは、ルーズベルト大統領にドイツ打倒のため、アメリカも核兵器を開発するようすすめたのであった。

これを受けて、アメリカは核兵器開発をすすめた。1945年5月、ナチスドイツは、アメリカの核兵器完成をまたずに降参した。しかし、アメリカは核開発をやめなかった。化学者1000人を動員して原子爆弾を急ぎ製造した。ドイツ降参からわずか3ヶ月後、アメリカは、完成したばかりの原子爆弾を広島に投下した。これは、日本を降参させるためというよりは、”実験”であったとの見方もあるほどである。

日本を訪れ、日本を愛していたアインシュタインはこれに衝撃を受けたという。まもなくアインシュタインは、世界の化学者とともに核兵器は、”世界政府”が管理すべきであると訴え、核兵器廃絶の平和運動を展開した。これにより1968年、核拡散防止条約への道を開くことになっている。

しかし、残念ながら、現在の世界の核開発は、さらに破壊力がすすみ、核保有国も拡散する方向にむいている。

かつて、アインシュタインが、アメリカのルーズベルト大統領に、ナチス打倒のために、核兵器開発を急ぐようすすめたという動きは、今現在、イランが核兵器の開発を行っているとイスラエルが懸命に訴えている様子とつながるものを感じた。

現代の核兵器の威力は、アインシュタインの時とは比べものにならないほど進歩している。次回、また世界戦争になり、核兵器が使われる時はまさに世界の終わりになってしまうだろう。それまでに、日本が再び核兵器実験の餌食にならないようにと懸念するところである。

*NHKその時歴史が動いた「日本を愛したアインシュタイン・その悲劇」 https://www.youtube.com/watch?v=nQuXDrAu76Y&t=848s

石堂ゆみ

ジャーナリスト、元イスラエル政府公認記者、イスラエル政府公認ガイド、日本人初のヤド・ヴァシェム公式日本語ガイドとして活動しています。イスラエルと関わって30年。イスラエルのニュースを追いかけて20年。学校・企業・教会などで講演活動もしています。

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