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イシュマエル・ハニエ(ハマス政治部門最高指導者)暗殺
8月30日夜、ベイルートで、ファド・シュクルが暗殺された、約4時間後の31日午前2時、テヘラン市内の建物が空中誘導型の爆弾が着弾したとイランのメディアが伝えた。
この攻撃で、ハマス政治部門最高指導者のイシュマエル・ハニエ(61)が死亡。そのボディーガードも死亡した。イランは、事件後まもなく、ハニエが、暗殺で死亡したと確認する声明を出した。
この日、ハニエがテヘランにいたのは、30日のイランの新しいペデスキャン大統領の就任式に出席したからである。
ハマスとパレスチナ自治政府は、これがイスラエルによるものだと断定し非難した。イランも、後にハメネイ師が、この暗殺がシオニスト政権(イスラエル)によると断定し、イスラエルが大きな報復を受けると宣言している。
イスラエルは、今も沈黙を続けている。しかし、イスラエルは、2023年10月7日以降、ガザの外にいるハマス指導者たちも全員暗殺すると宣言していたのであった。
www.timesofisrael.com/hamas-leader-ismail-haniyeh-assassinated-in-tehran-missile-strike/
ハニエの暗殺については、このミサイルが国外から発射されたのか、国内からかも含め、まだ多くが不明のままである。
ハニエの死亡を受けて、一部のイスラエル人たちは、道路で甘いお菓子を配ってこれを祝う様子が伝えられていた。
これはガザや、西岸地区でパレスチナ人たちが、イスラエル人が死んだ時に行う習慣である。ユダヤ教にはその習慣はない。
イシュマエル・ハニエ:イスラエルとの戦闘に家族も犠牲にした一生
ハニエについては、日本では、ハマスの最高指導者と報じられている。しかし、ガザのハマスの組織については非常にわかりにくく、多数の指導者がそれぞれの立場を維持しており、いったい誰が一番トップなのかはわからない。
ハニエは、2005年にイスラエルがガザから完全撤退した後、ハマスの最高指導者となった。その翌年、2006年のパレスチナ自治政府における選挙で、広くパレスチナ人の支持を集め、過半数をとっていた。
しかし、その翌年、2007年には、ガザからパレスチナ自治政府を、事実上排斥し、ガザをハマスが支配するようになった。ハニエは、その一連の動きを導いた最高指導者であった。
しかし、2017年、そのポジションをヤヒヤ・シンワルと交代。
その他複数のハマス指導者らとともに、カタールに住み、ハレド・マシャアルの後継者として、外から特にガザの政治部門を担当する指導者となった。
ガザ市民が貧しさに苦しむ中、ハニエら指導者たちのカタールでの超裕福な生活が、イスラエルでも揶揄されるようになっていた。
しかし、ハニエの家族親族の多くはまだガザに住んでいる。10月7日以降、まずその10月中に、兄弟など家族14人がイスラエルの空爆で死亡。
今年4月には、息子3人と孫3人が、イスラエルの空爆で死亡。6月にも姉と孫が死亡していた。ハニエの妻はまだ生きている。
こうした中、政治部門指導者として、ハニエは、今のイスラエルとの停戦・捕虜解放の交渉で、ハマスの代表を務めていたということである。
今、ハニエが死亡したことで、今後の人質交渉について、もはやイスラエルは交渉する気がないとのメッセージだとの見方もある。
石のひとりごと
オリーブ山通信を通して、イシュマエル・ハニエとの付き合いは長い。ハニエの一生を振り返れば、怒涛の人生が今終わり、本人すらも満足ではないかとも思わされる。
子供も孫も夫も失った妻は今どんな思いだろうか。こんな人生を送り続けているハマス、そのハマスに振り回されているパレスチナ人たちは、サタンに振り回されているのである。彼らの解放のためにも祈りが必要である。