建国75周年を迎えたイスラエルだが、今年も3月に世界中の国々の人々が幸福だと思うかどうかの調査が行われた。結果、イスラエルは昨年の9位から一気に4位へとアップしていた。
1-3位はお馴染みの北欧、フィンランド、デンマーク、アイスランドである。つまり、イスラエルは、欧米諸国の中で最も幸せな国という事である。
しかし、イスラエルは、ユダヤ人の国であり、ホロコーストを通り、世界中に見放されるという経験をした人々である。今でも聞けば、ホロコースト犠牲者を家族に持つという人がほとんどである。
さらには今も常に戦争の危機にあり、子供たちを戦場送り出さなければならない。市内でのテロも頻発し、いつ自分や家族が犠牲になるかもわからない。加えて、普通に麻薬もあらゆる犯罪もある。物価も相当に高く暮らしが厳しい人も多い。
国際社会では、陰謀論もあり、パレスチナ人への暴力の国として嫌われ、逆に反ユダヤ、反イスラエルの暴力で傷つけられている。そのイスラエルで、自分は幸せだと言う人が、世界第4位なのである。
イスラエル人の幸せの根源はどこにあるのだろうか。無論、個人によりという事が原則ではあるが、どこからその幸せが来るのかを考えてみた。
1)全能の神の前に有無なしを知っているということ
今回、ホロコースト記念日にはじまり、戦没者、テロ犠牲を覚える記念日とその直後に行われる75回目の独立記念日をイスラエルで過ごし、改めて、ユダヤ人たちの独特のつながりを実感させられた。
異邦人のなにものもが入り込めない、独特のつながりがあるということである。それは、まず、彼らがいかに多様であっても、同じ聖書の神の元にいるということ。言い換えれば、価値観、人生観を共有しているということである。
この神は絶対であり、何があっても逆らえないこと、何があっても最終的にはその計画こそが最善であると信じざるを得ないという共通点があるということである。
2)ユダヤ人は同じ船にいる独特の仲間意識
1)の結果として、ユダヤ人の間には独特の仲間意識がある。それは他人同士の仲間をこえて、どこか家族的なつながりではないかと思う。
過去に迫害を受けてきたユダヤ人社会では、不要な人はいないという認識が共通している。また、生き残るためには、家族こそが大事なのであり、その家族同士がつながって共に社会を作っていく必要があるという意識もある。「アムイスラエル・ハイ(イスラエルの民は生きる)」という必要を皆が共通して持っているということである。
とはいえ、そのために個人が犠牲になることはない。それぞれが社会にできることを、目指していくことを喜びとしている。社会のために犠牲になるのでは、幸せではないが、社会に貢献できることこそが幸せとして戻ってくるのである。
なので、イスラエルに遠慮も犠牲もなく、ただそれぞれが自分のなすべきことをみつけていく。その中で、自分の家族を生み出し、次世代を社会全体が育てていく。子供たちこそが、イスラエルにとってなによりも宝なのである。それはイスラエル人全部が共有している価値観であると感じる。
石のひとりごと
私とイスラエルとの関わりは、イスラエル人の知人を通して、異例中の異例、WZOの移住プログラムに入れてもらうことから始まった。今回の75周年記念のWZOのイベントに参加させてもらったことは、まるで原点に戻ったかのようであった。
彼らの中に入ることで、まず学んだことは、自分はユダヤ人ではないということ。日本人として創られたということの認識の始まりであった。当時、私は、自分と日本がどうしても好きになれなかったので、いわばショッキングなことであったと思い出す。
そうした中で、日本人として神が創造された自分を嫌っていたという神への失礼、罪の自覚へと導かれた。イエスキリストの身代わりの罪の贖いとその復活という事実に出会い、受け入れ、感謝して、この神に立ち返ることができたのであった。
それから、少しづつ、日本人としての自覚も定着していったが、それから30年以上経った今、再びWZOのユダヤ人の人々の中に入って、日本という国の顔がようやく見えてきたような気がする。
それはゼロ戦に乗った日本人の姿だろうか。以下のビデオクリップが頭から離れない。私は、ユダヤ人のように、「日本の民は生きる」といって生きることができるだろうか。神はイスラエルだけでなく、この日本という国にも目をとめておられる。そうしたことを次世代の若者たちにも伝えていければと思わされている。