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テヘラン北西部核施設へのドローン攻撃
23日、イランの首都テヘラン北西カラジにある原子力関連の施設が、ドローン2機によって攻撃された。
当初、イラン政権は、なんらかの攻撃があったことは認めたが、被害は最小限出会ったとして、攻撃は失敗であったと発表した。しかし、その後、イランの野党勢力から、決定的なダメージを与えていたとの通告があったとのこと。
この施設については、イランは、平和利用だと主張しているが、核兵器に関連している疑いが2007年からあり、国連、EU,アメリカも制裁の対象に置いていた施設である。
2015年のJCPOA(イランと世界の核合意)で、この施設に対する制裁は、いったん解除されたが、2018年にトランプ大統領によって再開されている、いわくつきの施設である。
イラン国内の野党勢力によると、このカラジの施設では、ウラン濃縮のための遠心分離機が製造されているとのこと。
イスラエルが攻撃したとすれば、ベネット・ラピード政権は、就任わずか10日目にして、すでに、イランへの攻撃を実施したことになる。
政権交代したイスラエルの様子見をしているとみられるイランに対し、大きな警告となった可能性がある。また、ドローンを使った攻撃であったことから、ガザのハマスに対する警告にもなった可能性もある。
www.timesofisrael.com/attack-on-iranian-nuclear-site-damaged-centrifuge-production-facility-reports/
イスラエルの対イラン政策
イスラエルは、アメリカが、JCPOAに復帰することを目標に、経済制裁を部分的にも解除するといったイランへの譲歩には今も強く反対している。
今もしアメリカが、少しでも譲歩したら、先に頭を下げることになるので、以後、イランが、譲歩する理由がなくなるからである。イスラエルはガンツ防衛相に続いて、現在、コハビ参謀総長をワシントンへ派遣し、改めて、イランとの譲歩への反対の意思を再び強調している。
www.timesofisrael.com/meeting-top-us-officials-kohavi-blasts-american-plans-to-rejoin-iran-deal/
しかし、アメリカの方針はどうあれ、イスラエルは生き残りをかけて、イランに対処していかなければならない。イランに少しでも核兵器製造への兆候があると、それを未然に破壊する、またその科学者や関係者を暗殺するという作戦を続けている。今回のカラジへの攻撃もその一環とみられる。
進まないアメリカとイランの交渉:もはや外交手段はない?
イランでは、18日、反米・強硬派のライシ氏が次期大統領に決まり、将来的には、現在のイスラム最高指導者であるハメネイ師(87)の後継者になるとの見通しとなっている。
バイデン大統領は、4月から、ウイーンにおいて、JCPOAに復帰し、イランとのあらたな長期に及ぶ核合意を目指していたが、進捗がないまま今にい至っている。この間、アメリカは、お試し的に、小さい制裁を解除して様子を見たが、イランの態度に変化はなかった。
今、強硬な次期ライシ政権が出てきたことから、その就任の8月3日までに、なんとか、交渉を終えたいところである。ライシ政権にとっても好都合であったと思われた。アメリカとの交渉の責任を前政権に押し付けられるとともに、経済制裁解除による資金の流入という恩恵を受けながら、新政権を発足させられるからである。
アメリカは、ライシ氏が次期大統領に決まると、アメリカとイランとの交渉を妨害させないようにするため、イランに関係する36のウェブサイトをハッキングしたりしている。
www.nytimes.com/2021/06/22/us/politics/us-iran-websites-nuclear-talks.html
しかし、ライシ次期大統領は、アメリカのJCPOAへの復帰は、今の経済制裁をすべて解除することが条件だとする立場を、変えることはないと表明しただけでなく、バイデン大統領に会うこともないと言っている。
こうなると、もはやイランの核兵器開発を外交的に止める方策は残されていないということになる。
つまり、イスラエルがやっている武力による脅迫と、核開発の芽を武力で破壊していくことしかないということである。
www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/06/post-96557.php
一枚岩ではないイラン:現政権に反発する勢力に期待?
イスラエルとJCPOAを離脱したトランプ前大統領が望んでいたのは、イランの現政権が、イラン人自身の手によって、民主的な政権に覆されることである。今のイラン政権は、大きなイランという国の歴史に深く根ざした政権ではないからである。
今の時代、イランといえば、激しくイスラエルを非難するイスラム主義国のイメージになっている。しかし、イランが常にこんな様相であったわけではない。非常に古くからの歴史があり、国民が、すべて、現政権と同じ考えをもっているわけではないのである。
イスラエルが、今、さまざまなイランの極秘情報をしっかり把握しているという背景には、イラン国内に、イスラエルに協力するイラン人がいるということを示している。イラン人の中には、今のイスラム政権が倒れることを望んでいる人が少なくないとも考えられる。
ここで少しイランの歴史を振り返ってみよう。
1)イラン5000年の歴史から、イスラエルとも交流していた パーレビ王朝時代(1925-1978)
イランの歴史はイスラエルよりも古い。紀元前3000年ごろには、メソポタミア文明を基盤とするエラム人の国として存在していた。その後、アッシリアやバビロンの時代を経て、ペルシャになっていく。このころのイランはゾロアスター教である。これが今に続くイラン独自の文化である。
イランにイスラム教が入ってくるのは、イスラム帝国に支配される7世紀をすぎてから。その後トルコ、続いてモンゴル、続いて14世紀からはティムール王国の支配を受け、本格的にイスラム教シーア派となっていくのは、16世紀サファヴィー朝以来である。
サファヴィー朝の後18世紀からは、ガジャール朝が支配する。この時代に、シーア派イスラム国としての色が定着していくことになった。
石油が発見され、イギリスやロシアが乗り込んでくる。この混乱の中、第一次世界大戦となり、1925年、ガジャール王朝から、パーレビ王朝に変わる。第二次世界大戦中、イギリスの支配の中1941年、イギリスのテコ入れで、パーレビ王朝のモハンマド・レザー・シャーが国王になり、その後、1979年のイスラム革命までの38年間、イランを支配することとなる。
このパーレビ国王時代のイランは、イスラム教シーア派ではあったが、伝統的なゾロアスター教も混じって、世俗的であった。このため、アメリカやイスラエルとの協力もあり、イラン経済は繁栄していたのである。このころまで、イラン人の中に反米・反イスラエルの意識はなかったということである。
2)すべてが変わったイスラム革命(1979年)から現在までの42年間
それが一気に変わるのが1979年のイスラム革命である。それに先駆けて、イランでは、かなりのプロパガンダが行われ、アメリカやイスラエルを憎む時代に入っていく。しかし、高い教育を受けたイラン人たちは、この革命の時に大勢がイランを脱出し、今も多くのイラン人が、アメリカなど広く海外に住み、帰国できない状態にある。
それから42年。硬派のシーア派イスラム主義者が政権を握っているということである。イラン人に聞いたところによると、イラン人たちは、たとえ民族や宗教が違っても、イランという国にアイデンティティを置く傾向にあるという。今、祖国が、経済的にも国際的にも悲惨な状態にあることを嘆いている人々は少なくないとみられる。
イラン国民が実際何を望んでいるのか。これは、メディアなどでは現れてこない部分である。8月からさらに強硬なライシ政権になる中、イラン国内から、また別の革命が起こって、パーレビ時代のような、自由で開かれたイランに戻る可能性もないわけではないということである。